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母がいた-9

先週、久しぶりに会った親戚のおばちゃんからおまんじゅうをもらった。甘酒まんじゅうだった。ふかふかしっとりした皮と甘すぎないあんこのマリアージュ。最高。たしか4つくらいもらっていたのに、その日のうちに全部食べてしまった。甘酒まんじゅうおそるべし。まんじゅうって語感可愛いな。

おまんじゅうといえばというかやっぱり母の話になるのだが、母は和菓子が大好きだった。ケーキやプリンなどの洋菓子ももちろん好きだった。ただ特に和菓子をこよなく愛していた。あれは愛だった。

家族で遠出したら現地の和菓子屋で羊羹を買い、温泉に行けば温泉まんじゅうを食べ、祖母の家では練り切りをもちもち食っていた。今思い出してたけどあの人常に何か食べてたな。すごい。

そんな甘味マスターの母がダントツで好きだったのが、大福だった。当時住んでいた家の最寄り和菓屋さんには、母専用の取り置き大福枠があった。なんだそれと思うが、毎日買いに来るものだから店主のおじさんが「ふみちゃんのね」と言って必ずひとつは残していてくれたのだ。

そんな母の大福好きにアクシデントが起こる。持病の悪化だ。かかりつけの医師に「甘いものなんかはね、控えましょうね」と言われて帰ってきた母の表情はちょっと笑ってしまうくらい沈んでいた。

それから母は低カロリーのゼリーやするめなどを食べて過ごしていたが、やはり偉大なる砂糖の魅力を埋めるには全く及ばなかったようで、ある日の夜トイレに起きた僕がリビングを通りかかると、ぼんやり光る冷蔵庫の前で羊羹をかじる母を見つけた。

走る緊張。数秒の沈黙のあと、母は小声で「パパにはないしょにして….」と絞り出した。僕は笑いをこらえきれず、思い切り吹き出してしまった。母の目があまりにも切実だったからだ。そんな顔せんでも。

本来ならここで母の羊羹をとりあげてメッと叱るのが家族の役割なのだろうが、そうできない理由が一つあった。祖父のことだ。

僕が小学校に上がるかどうかというころに、祖父が他界した。治療の難しい病気で、完治は見込めないということで緩和ケアを行っている時だった。どうしても巻きずしが食べたい、という祖父に、僕たち家族は「先生に聞いてみるね」といって担当医師に相談をした。

もちろん医師からは「だめですよ」と言われてしまい、僕たちは祖父に巻きずしを届けることができず、そのまま祖父は亡くなった。

そんなことがあって以来、「もう緩和ケア中だったんだから、あのとき先生に聞かずに食べさせてあげればよかった」と悔やんでいた。

話は冷蔵庫前で羊羹をかじる母を見つけた時に戻る。当時母の病状は緩和ケアを選択するほど悪いわけではなかったが、かといってこれから10年生きられるという保証もない、というような状況だった。

そんなときに、母が夜中に隠れて自分で車いすに乗り、冷蔵庫に向かってまで羊羹を食べているのを見た僕は「もうこれは好きに食べてほしいな」と思ったのだ。

怒らないから父にも相談して、もう好きなものを食べようよ、と母に伝えた。翌日父も了承し、家族内での「おかあさん好きなもの食べよう計画」が始動した。大好きな大福を食べ、お米も玄米から白米に戻した。ピザだって注文したし、喫茶店でパフェも頼んだ。

まあそんな事をしていれば当然病院での検査結果で即バレするわけだが、母の担当医師は「それもご家族の選択なので、構いませんよ」と言ってくれた。あの先生には今でも感謝している。

それから数年して母はいよいよ病状が芳しくないぞということになり、入院生活を送った。病院食は母にとって味気ないものだったようで、お見舞いのたびに佃煮や漬物などご飯のお供を要求された。病院食は量が決まっていたので、おかわりシステムなどはもちろんない。おやつの時間もないわけだから、母の甘いもの欲求は高まるばかりだった。

そこで考案されたのが「密輸大作戦」だった。物騒だな。

母は相変わらず喫煙者で、病院側からやんわり禁止はされていたがお見舞いのたびに病院の喫煙所へ車いすを押して行っては、ものすごくうまそうな顔でタバコを吸っていた。いつの間にかほかの入院患者とも仲良くなり、人生相談にのっていたりもした。母のコミュ力はとどまるところを知らない。すごい。

そんな喫煙タイムに、我々見舞客からこっそり和菓子を受け取っていたのだ。アイコンタクトで母はパジャマのポケットを開き、そこに見舞客がそっと和菓子を入れる。ギャングの薬物取引のような光景が、国立病院の喫煙所で繰り広げられていた。母は消灯時間の後、夜な夜なベッドの上で甘味をたべる怪談のような存在になっていた。

密輸という言葉は使ったが、もちろん先生には相談済みで、ご本人のしたいようにさせてあげてください、と認めてもらっていた。当時はすでに緩和ケアの時期に入っていたので、先生もそうきつく咎めることはなかった。

そうして密輸の甲斐もあってか母は入院生活を比較的穏やかに過ごし、最後までタバコを吸いながら好きなものを食べて、この世を去った。「太く短く生きるんよ」が口癖の母らしい、豪快な生きざまだった。

そんな母の葬儀で、面白いことがあった。一般的に葬儀で故人を悼む最後の花入れの儀ではその名の通り花を一人一輪入れていくものだが、母の場合は違った。確かに花も入れていたが、弔問客のほとんどが事前の打ち合わせもなくお菓子を入れていったのだ。大福に、羊羹に、マカロンやチョコレート。綺麗な花とたくさんのお菓子が詰まった棺は、まさに母の好きなものであふれた幸せな棺だった。弔問客は棺の中に添えられたお菓子を見ては口々に「このお菓子もある、あの時食べてたこれも!いいね、好きなものがたくさんだね、ちゃんこ」と母に言葉をかけていた。

そうして母は、抱えきれないほどのお菓子と共に火葬されて旅立った。不謹慎かもしれないが、棺からお花とは違う甘い香りがあふれていて、僕たち家族はたくさん笑った。母らしい最期だった。

祖父の時は叶えてあげられなかった願いを、母の時は叶えてあげられた。それは僕たち家族にとって思い残すことのない「密輸大作戦」の記憶だった。そんなことを、おばちゃんにもらった甘酒まんじゅうを食べながら、思い出した。

甘いものをこよなく愛し
本当の最後まで好きに食べ抜いた
そんな、母がいた。

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