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母がいた-14

ハリーポッターの原作を読み返し始めた。文体が児童文学っぽくて懐かしい。これがあんな激重ストーリーになるなんて誰が想像しただろうか。おもしろいのでウェルカムなんですけどね。

第1巻「賢者の石」の中には、読者をワクワクさせる描写がたくさん出てくる。ハリーにとって見慣れない魔法の道具や何に使うかもわからない草花、タイトルだけで興味をそそられる書物の数々。そんな文章を読んでいると本当にワクワクするし、自分も行ってみたくなる。

などと考えているうちに「なんとなくこの気持ちに既視感があるな」と思った。なんだっけ、と記憶をたどってみる。そうだ、小さいころよく行っていた、輸入菓子の量り売りのお店だ。

母は和菓子が好きな人だったが、もちろんそれ以外のお菓子も大好きだった。というかお菓子にめちゃくちゃ精通していた。どのくらい詳しかったかと言うと、それから十数年後に流行を迎えたマリトッツォや豆花を自宅で食べていたくらい。恐るべし母の甘味レーダー。

そんな母からある日「だいすけ、でかけよう」と声をかけられた。小学4年生とか、そのくらいだった気がする。どこに行くの?と聞く僕に、母はつやつけて「𝓒𝓪𝓷𝓪𝓵 𝓒𝓲𝓽𝔂....」とネイティブ寄りの発音で答えた。キャナルシティというのは福岡の商業施設だ。県外の人でも、福岡の写真として屋台の並ぶ川沿いを見たことがあるのではないか。その屋台が並んでいるあたりにでかでかと建っているのが、キャナルシティである。アパレルから飲食店、雑貨屋に映画館まで様々なテナントが入っている。要はちょっとこじゃれたでっけえイオンだ。

キャナルまでは我が家から車で30分ほど。普段は近場のスーパーに行くのも少し面倒くさがる母が、その日はキャナルに行くという。一体キャナルに何があるというのか。その謎を解き明かすべく我々は博多のコンクリートジャングルの奥地へと向かった。母が「ちゃんこ号」と名付けた小さな軽自動車に乗って。

キャナルに到着し、まだどこに行くかわかっていない僕を連れて母はズンズンと突き進む。そして大きめのガラス戸をぐいと開くと、そこはアメリカンポップカラーであふれたお菓子屋さんだった。僕は確か小声で「𝓦𝓸𝔀........」とか言っていた気がする。親子だ。

どう見ても体に悪そう(でも美味しそう)な色のグミに、絵本でしか見たことのないペロペロキャンディ、100種はあろうかというチョコレートなど、僕はその光景に圧倒された。当時は輸入菓子を取り扱う店が少なかった記憶がある。数年後にヴィレッジヴァンガードが福岡に初出店、とかそのくらいの時期だった。今でこそスーパーやコンビニなどで手軽に手に入るハリボーグミも、その時の僕にとっては「超アメリカンでおしゃれなグミ」だった。

はたから見てもワクワクに胸躍らせていたであろう僕の肩をたたき、母は「ハニーデュークス….みたいでしょ….」とささやいた。そう言われ僕はハッとする。そうだ、ここは….ここはまさにハニーデュークス・・・・!!!!

僕ら親子は当時ハリーポッターにハマっていた。それはもう見事に。そんなハリーポッターの作中に出てくる、ホグズミード村の不思議なお菓子屋さん「ハニーデュークス」がまさにこんな雰囲気なのだ。色とりどりのお菓子、子供たちであふれたお店。僕と母はホグワーツ1年生になった気分で売り場に突撃した。

母は知人からこのお店のことを聞き、ずっと来てみたかったらしい。ただ、ひとりで来るのは少し恥ずかしかったから僕と来られる日を待っていた、と言った。なんだかうれしかった記憶がある。頼られているようで。

そのお店(ハニーデュークスと呼んでいたので正式な店名を忘れてしまった。今はもうない)は量り売りシステムを採用していて、大中小の袋を選び、そこに好きなだけお菓子を詰めて、最後にレジで計量して値段が決まるというものだった。僕らはもちろん大の袋を選び、それぞれ大切に袋を抱えて店内を巡った。

当時の僕のトレンドは「グミとすっぱいお菓子」だったので、グミコーナーで「超すっぱいグミ」を見つけた時は小躍りした。びろーんと長い板ガムのようなサワーグミを袋に詰めながら、次はどこへ行こうかときょろきょろ見回す。視界の隅で母が銀紙に包まれたボンボンチョコレートをスコップで袋に詰めていた。

超おしゃれなハリボーグミやチョコレート、味の想像もつかないのになぜか「絶対にこれはうまい」と確信したリコリスを袋に詰めて、母と合流した。お互い少し息が切れている。どれだけ興奮したんだ。

それぞれ何を買ったか話しながらレジに向かう。母は財布を取り出しながら「どのくらいするんだろうねー」と気楽に構えていたのだが、店員さんに「おふたつ合わせて8,500円になります」と言われて動きを止めた。

高い。当時の我が家の懐事情を考えるとちょっとびっくりする金額だった。お菓子に、お菓子に8,500円。詰めすぎたのだ。周りを見渡すとみなほどほどに詰めてはいるが僕と母の袋のようにパンパンではなかった。僕らのはまるで道の駅で野菜詰め放題にチャレンジしたような量だった。

袋の中に積み重なったお菓子を今更戻しますとは言えず、母は少し覚悟を決めたような顔で1万円札を取り出し会計を終える。僕は固唾をのんでそれを見守っていた。

僕らは店を出た瞬間「やっべえなアメリカお菓子!」「どうするよこれ!」「何がハニーデュークスだ!!」と口々に焦りを口にした。車に戻り、お互いパンパンの袋を抱え一時呆然とした。呆然としたが、「まあ買ってしまったのだから食べるしかないだろう」とそれぞれ袋に手を突っ込みお菓子を一口食べる。

「うまい!!!!!!!!!」とふたりで叫んだ。アメリカの味だ。未知の領域の化学調味料と着色料が織りなすウィザーディングワールド。暴力的なまでの甘みが僕ら親子の脳髄をぶん殴る。

「これは我々とんでもない店を知ってしまったのでは」「そうですね」と先ほどの焦りから一瞬で手のひらを返し僕らは車を揺らして喜んだ。

母は僕に「パパには内緒ね」と5度ほど念を押して、車のエンジンをかけた。母との秘密。なんだかワクワクした。それから無事帰宅した僕らは、それぞれの部屋に「秘密のお菓子」を隠した。父や姉の目を盗んではグミを噛み、チョコレートを舌の上で躍らせる。

あんなにあったお菓子も食べれば当然底をつく。そんなころ、母と僕は秘密の合言葉を使っていた。目が合った瞬間母が「ハニー」と言い、僕が「デュークス」と返し、ちゃんこ号に乗ってふたりでこっそり魔法のお店へ出かけるようになった。2度目以降は中サイズの袋を手に取るようになったけど。

僕がお菓子を食べているところを姉に見つかり「父にバラされたくなければ私をそこへ連れていけ」と脅されるまで母との秘密の買い物は続いた。あの時の姉の目はマジだった。黙っててごめん。

それから数年後、福岡のハニーデュークスは閉店となり、僕らの秘密の買い物は終わった。ですけ親子と秘密のお店、完結である。ただ、その頃には母は別のお菓子に熱を上げていたし、僕も姉もさんざん食べた後だったのでそれほど残念がる人もいないまま、この思い出は幕を閉じた。父には何も明かされないまま。

そんな話を、ハリーポッターを読み返すまで忘れていた。記憶や思い出というのはどこから出てくるか分からない。母の記事を書いて、ハリーポッターの映画を観返して、原作を読み直してよかったな、と思った。

アメリカンなお菓子に魅了され
財布をボコボコにされながらも
大好きなお菓子をこっそり楽しんだ

そんな、母がいた。

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