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笑顔が見たくて

子どもが周りをよく見ているというのは、本当のことだ。特に、父や母の感情の動きを、家族の雰囲気をよく見ている。

僕の実家の近くには有名な神社があった。
そこでは毎年何回か、何かしらの催しで出店が沢山出るときがある。
りんご飴、綿あめ、焼きそば、たこ焼き、串焼き、フライドポテト、射的、くじ、チョコバナナ、飴細工、ベビーカステラ……
色んな匂いと、人混み、カラフルな屋根と、溢れかえったゴミ箱、遠くから聞こえるお囃子。非日常を詰め込んだ、よく通る場所。
僕は、その非日常が好きだった。
神社に行くことより、出店を巡ることが幼い僕の目的で特別な楽しみだった。

僕の父は、マイペースで、楽しいことが好きな人だ。
僕の母は、そんな父をいつも許して、ついて行く優しい人だ。

 その日も僕は、母と2人父の帰りを待っていた。
母はいつもと変わらず晩ご飯の用意をして、僕は宿題をした。
父が帰ってきた。
母は「おかえり」と笑い、父は「ただいま」と笑った。そして「神社に行こう」と言った。
僕は「行く!」とウキウキした。出店がある。
いつもと変わらないと思っていた今日が、日常を抜け出して、非日常に切り替わる音がした。
上着を羽織って、手袋をして、父の手を握った。
神社までルンルンで歩いていると、ふと、母が後ろを静かに歩いていることに気づいた。
どんどん明るくなっていく道に照らされる僕と父とは違って、母だけが冬の闇に取り残されているように見えた。
母が泣いている気がした。怒っている気がした。その時の自分には、なぜ母が泣いているのか、怒っているのかわからなかった。
ただ、神社に近づくにつれて増えていく人達の群れに入ってしまう前に、近づくウキウキに触れてしまう前に、どうにかしなくてはと思った。
父の手を離して、後ろを歩く母の横についた。
母は何も言わない。ただ、前を歩く父を見ていた。いつもなら、手を繋いでくれるのに。いつもなら、笑って僕を見てくれるのに。やっぱり何がおかしい。母が怒っている。
道に等間隔に紙の飾りがかかっていた。僕がジャンプしてやっと届くくらいの飾りだった。
僕は何も持っていなくて、もうすぐ非日常に触れてしまう。もうこれしかないと、焦っていた。

「ママ見て!」

ジャンプして、紙の飾りに頭突きをかました。
訳が分からない。
しかし当時の僕には、これできっと笑ってくれるという自信があった。結果は案の定である。
母はちらりと僕の頭突きを見ると、冷ややかに
「何が面白いの。」と言った。
今思えば、本当に何が面白いのか分からない。笑ってくれる自信は消え去り、神社に行くウキウキの代わりに僕の頭には母の冷ややかな言葉がグルグルと回った。
その日神社で、なにを買って、何を食べたのか、結局母がそれから笑ったかも覚えていない。

 次に覚えているのは、翌朝、昨日の晩ご飯用に母が作っていたハンバーグを1つ食べていることだった。母は僕の前に座って、ボサボサに寝癖の付いた頭の僕を、優しい顔で見ていた。ダイニングテーブルに差し込む朝日が、母の笑顔を美しく照らしていた。
「昨日はごめんね。
元気付けようとしてくれたのに、冷たくしちゃった。晩御飯作ってたのに、無駄になっちゃったから、イライラしちゃったの。
ママ、酷いことしちゃったって、反省したの。
ごめんね…」
優しい声だったけど、母の優しさに涙を溶かしたような、そんな声だった。
「なんのこと?
ハンバーグ、美味しいね!」
ボサボサの頭、青色のパジャマで、ハンバーグを口いっぱいに頬張って笑った。

 我ながら、なかなかの気遣いだったと、今思う。
きっと、母も僕も、もしかしたら父も、ちょっとずつ傷付いた。
チョコバナナもりんご飴も記憶から消えるくらいに、僕にはちょっと衝撃だった。

 それでも僕は、母の笑顔が見たかった。


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