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子育て話②夫婦関係と子ども

子どもの問題は夫婦関係の質の結果。 

そうなると、夫婦が仲良く、喧嘩もない方が、子どもは健やかに育つということになるのかな。

でも、人間同士が本当に相手と向き合った時に、衝突も何もないことがあるのか、と考えると、それは互いの深いところに触れないように、一定の距離感を保っているだけの関係かもしれません。

私は過去にたくさんの方とお付き合いをしてきました。でも、深く相手と向き合ったことがありませんでした。年齢を重ねるほどにその傾向は強くなり、ぶつかってこそ生まれる関係があることを知ることも味わうこともなく恋愛を重ねてきました。

いつしかぶつかることを恐れるようになり、自分の内面を知られることへの抵抗も生まれました。そうなると自分を閉じ始める。閉じていれは相手は入ってこないけど、相手に入ることもできない。そうして自分を守っていたのだと思いますが、その結果、満たされない想いにいつも支配されていました。

人は孤独が苦しいのだと思います。だから相手を求める。でも、相手を求めることが自分の欲求を解消するためだけだと、それは単なるエゴでもあるから関係性がうまくいかない。もちろん気持ちがあるから相手を求めるところもある。距離をつくっていたら、相手を求める気持ちもなくなる。でも、それだけでは人間関係、ましてや夫婦関係はうまくいかない。

でも、結婚という契約をしていたら、そこで簡単に終わることは出来ない。ましてや子どもがいたら。

エーリッヒフロム著「愛するということ」より引用します。

 愛があれば対立は絶対に起こらない、という幻想である。人はふつう、苦しみや悲しみはどんなことをしても避けるべきだと信じているが、ちょうどそれと同じように、愛があれば対立は起きないと信じている。どうしてそう思うのかといえば、身のまわりで見かける対立がすべて、どちらの側にもよい結果をもたらさない破滅的な関わりにしか見えないからだ。

 なぜ双方に好ましくない結果しかもたらさないかといえば、ほとんどの人の「対立」が、じつは真の対立を避けようとする企てにすぎないからである。もともと解決などありえないような、些細な表面的なことがらで仲違いしているにすぎないのだ。ふたりの人間の間に起きる真の対立、すなわち何かを隠蔽したり投射したりするものではなく、内的現実の奥底で体験されるような対立は、けっして破壊的ではない。そうゆう対立はかならずや解決し、カタルシスをもたらし、それによって、ふたりはより豊かな知と能力を得る。

愛するということ

夫婦で衝突することも、その目的が明確ならば、それは破壊的ではなくて、ただエゴを主張し、衝突することは破壊的な行為となる。私は誰かと衝突することなく生きてきたから、そこから生まれる関係性を想像することが出来ず、それが愛とは反対の行為だと認識し、破壊的にぶつかり続けました。

その私の意識が子どもたちに影響しないわけがなく、もちろんその意識のままでは夫婦の関係もうまくいくはずがありません。

我が家の場合は、それでも夫が逃げることなく、私に諦めずに向き合い続けてくれたおかげで、ぎりぎりのところで踏ん張ることが出来たと思っています。私が自分の感情を根拠に推し進めていたら、大変なことになっていました。

でも、ネットを検索すると、自分を擁護できるような情報をたくさん吸収するのです。自分を一番大切にするべき、自分の感情に蓋をするべきじゃない、夫婦は一定の距離感をもつべき・・・。どれも一理あると思いながらも、状況次第でそれはマイナスな選択にもなるということを今は実感しています。でも、自分の感情に支配されている渦中は、冷静に判断する能力はなく、自分を守るために、自己正当化するための情報が優先的に脳に入ってきます。共感を強く求めていたのも同じことだと思います。

人間の感情に基づく判断能力は危ういものだということを、本当に痛感した2022年でした。だからこそ、機械の力を借りるというのは自分自身に対し、家族に対し、胸をはって生きると思う人にとっては最適な手段だというのも実感するに至っています。

ということで、夫婦関係の質は自分自身にかかっていますし、それが子育てにも大きく関わるとなると、やっぱり自分がどうあるか、しかないのだということだという結論です。

私の問題点や、子どもにどう影響が出るかを、夫が綴っています。


機械の力で意識を測定します。


子育て話①はじめに、はこちらです。


2023年は心をオープンに生きていくことが一つの目標です。noteもご覧いただけたら嬉しいです。よいお年をお迎え下さい^^



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