"病弱教育"の世界
突然ですが
みなさんは"病弱教育"という言葉を知っていますか?
私は先週、大学の展示会で知りました。
その時に聞いたお話が個人的にとても心に刺さったので、今回はそれをシェアします。
病弱教育とは
だそうです。
そして今回私は、「いるか分教室」という、東京都立墨東特別支援学校の分教室として、国立がん研究センター中央病院内に開設された学校について知りました。なんとここの教室では、闘病中の子どもたちが、小〜中〜高すべてのお勉強ができるそうなのです。
「いるか分教室」で教員として働く方にお話を聞かせていただいて、まず私が驚いた、知らなかった、今まで目を向けていなかったことは、
病気になった子どもたちが入院しながら勉強ができる場所は、今の日本にはほとんどない
ということ。
特別支援学校という存在はあるけれど、それはあくまで「学校に行く」という生活ができる子どもたちのためであって、ずっと病院で生活をしている子は、そもそも教育を受ける場がないのです。
例えば、幼い時に小児がんを発症、治療しては転移や再発、という人生を送ってきている子。
人によっては何年もの間病気と闘い続けなければいけない中で、彼らはいつ学校に行けるのだろう。
そういった子たちがしっかり、義務教育を受けることができるように、病弱教育はあるのです。
今回私は、「いるか分教室」で過ごす子どもたちの作品を見ながら、エピソードを聞く体験をしてきました。
印象的だったのは、「いるか分教室」は、病気の子どもたちにとって最高に幸せを感じられる"居場所"であったということ。今まで、私は彼らの生活を具体的にイメージしたことすらありませんでしたが、彼らは、治療しながらも日々教室に通い、友達を作り、先生と心を通わせ、生きていました。
「病気になっていて大変そうだ、かわいそう」
このような目を今まで向け、自分は今まで何も知らなかったなあと思います。
彼らは、自分が「自分の人生、幸せだ」と言い切れる場所で生きているのです。
そして、今回の展示では、それぞれの子どもたちが、夢や目標、自分の考えなどを作品に表してくれていました。
例えば、幼い頃に癌を発症し、高校生まで再発を繰り返す人生を何年も送っている女の子。
彼女は、「病気を治す奇跡を起こして、周りの人をあっと驚かせたい!」と、『驚天動地』という言葉を力強く、筆で表現しました。
だけど…
"その奇跡ならもう何回も起こしてるじゃないの"
そう言う教員の方を見て、ああ、彼は本当に女の子のことを愛しているんだなあ、と思いました。
何度癌が再発してしまっても、希望を捨てず、治してみせるんだと語る姿がかっこよくて。
このたったひとつのエピソードから、そして彼女の書いたパワフルでかっこいい『驚天動地』の文字から、会ったこともないですが私は彼女がいかに強く生き抜いたかを感じました。
しかし、その場で展示されていた作品をつくってくれた子供達の多くは、既に亡くなっているとのことでした。『驚天動地』を書いた彼女もです。
その子たちの話を聞いて、その事実はもちろんですが、それ以上に彼らの生きた姿に、私はとても胸を打たれました。
話を聞いた直後、私が感じて書き留めていたことです。
病気である・ないの話ではなく、私は、目指す生き様として、彼らのようになりたいと思いました。
周りの人たちと愛を交換しあう。
自分なりの思いを持ち、毎日笑って生きる。
今を楽しむ。
こうやって生きている人の姿は、他の人には絶対、すごく素敵に写っているはずです。それに、こうやって生きていれば自分の人生が幸せであると言い切れると思うんです。
だから、関わった人たちが、自分がいなくても、「あの子は素敵だったね」ってお話をして、ずっと覚えていてくれて、それがまた誰かを動かすことができます。
それってすごく素敵だなと思うんです。
誰かの心に笑顔の記憶を、愛を、残せる人間でいたい。
私は今回「いるか分教室」のお話を聞いて、病気の子どもたちがどうやって勉強しているか、ということを知っただけでなく、その空間から溢れ出る幸せ、"今を生きる"子どもたちの生き様に触れて、「人を信じる・愛する」そして「ともに生きる」ことを教わった気がします。
私は、素敵な教員の方に偶然巡り合うことができて、とても幸せでした。
彼らのために、私が直接できることは今はないかもしれないけれど、全力で生きる彼らのように、自分らしく今を楽しむことが、私にできることだなと思います。
「いるか分教室」の子どもたちが、健康で幸せな人生を送れますように。
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