ぽにょ

夏を帆る🌺

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最近の記事

うまれかわる(?)

「手放すフェーズ」 今、こんなところに辿り着いてきたような気がする。 辿り着くなんてかっこいい言い方するもんじゃない。来ただけ。 今持っているものを手放す。 頭は、そうすべきではないと考えるなどする。きっと一部の他人は、私がそうすることに疑問を持ったり、止めようとしてきたりする。 例えば、大学を休学する、既に始めたプロジェクトをやめる、SNSから離れる。 大学にはちゃんと行きなさい、なんでやめてしまうの、そう言われることは容易に想像がつく。誰からか?親から?他の誰かから?

    • やるったらやる!

      なんか、激動の1週間を過ごして、たくさんのインプット、アウトプットをしたんだけど 圧倒されたからなのか、疲れたからなのか、 今、やりたいことがわからない!なにしたらいいのかわかんない! 正解がわからない、やりたいことなんてもうない 私なんか〜〜って 謎なネガティブ思考を繰り返す数日間を過ごしてた。 いつもはしないのに、やめる理由探してた 今でも何か、引っかかってるんだけど やるったらやる! その先の景色を見に行きたい! 正直この言葉を書いてることもしんどく

      • 不合格になったことはないけど、優勝したこともないよねって話

        文字通りの中身なんだけど 特に人に読ませる向けではないでございます ここに書くのがちょうどよかっただけ 不合格になったことはないけど、優勝したことがない という話ですが やりたいことがあるとき。 例えば、鼓笛隊で演奏したい楽器、中学受験、アメリカ研修への切符、アルバイトの面接、留学、大学受験、世界青年の船。 私は「不合格」になったことがございませぬ いや、さすがに言い過ぎかな、落ちたことはあります、試験中爆睡した英検とか。 つまり何が言いたいかというと、私は「や

        • 能登支援 募金活動中の想い

          時系列的にはおかしいけど、数ヶ月前に綴っていた下書きをどうするか迷って、とりあえず投稿することにした。 以下、だいぶ前に書いた「募金活動中の想い」です。 2024年元日に起きた能登半島地震。 発災直後から現地での支援活動をしたり、現地と支援したい人間を繋ぐプラットフォームをつくったりするすごい仲間を見ていて、自分にできることは何かを問いかけ続けてきた。 今まで石川県には行ったことがなかったし友達がたくさん住んでいるとかもなかったけれど、なにか行動したいという気持ちがず

        うまれかわる(?)

          募金やめちゃった話

          かれこれ1ヶ月くらい、能登支援の募金活動やってません。 しばらく休んでます。 再開したいけど、いつするかわかんないな〜。 私が募金活動に関わっていた期間、計100日間。 こういう活動続けるのって、実はすごいきついんだよ。 ただやればできるわけじゃないなって、思った。 どれだけ声を枯らして声を上げても、耳元で声が届く距離の人に、いないものかのように、無視されるのが常なんだから。 とりあえず100日やり切った私は、成長させてもらいました。 もし、これ読んだ人いたら。 今度から

          募金やめちゃった話

          いのちの祭り

          「今週末って会えますか?」 『その日は祭りに行ってるな。。』 「じゃあまた連絡します!」 『祭り、来る?』 12年に1度、ドラゴンイヤーだけ開催される、いのちの祭り。 こんなご縁に導かれて、行ってきた。 結論から言うと、やっばいパワーがある祭り!!! 20歳のはじめに、この旅をしてよかった。 どんな2日間だったかを、熱が冷めないうちにここに書いておく。 色々わからないままの私は、バックパックに着替えくらいしか詰めず、バスに乗って長野へ。 あ、あといつでもヒッチハ

          いのちの祭り

          Family time

          家族は、私の生きがい。 家に帰ったら家族がいると思うと、嬉しい。幸せ。 私にとって心の癒しである家族、毎日色んな時間を共にしている仲良しなうちだけど、今日ふと、家族のために自分がしていることについて考えてみた。 思ったのは、もしかしたら「そんなことないよ」って家族は言ってくれるかもしれないけど、私、家族のために何もしてないかも。 いつもいつも、私が元気をもらって満足してる。まあ、お母さんの愚痴くらい聞くときはあるけど、私はいつも家でごろごろしたり、弟たちとおしゃべりしたりし

          原爆ドームに行きました

          6月、広島の原爆ドームに行きました。 その時の思考の記録を。 資料館には、第二次世界大戦、戦時中・戦後の物語がたくさん。 やっぱり、当時の状況は悲惨だった。想像しきれないものだった。 原爆が怖いのは頭では理解してる。けどそれがどれだけ人に深い傷を負わせたかは、体験していない身ではわかりっこないくらい、きっと恐ろしい時間があそこには流れていたと思う。イメージもあんまりしたくないくらい。 当時の状況、そこで生きていた人々のことについて、たくさん新しいことを知ったけど、気持ち、

          原爆ドームに行きました

          募金のこと

          熊本支援チームの募金活動、かれこれ連続126日目になりました。たぶん私はその6分の1くらい、担わせてもらってる。 私は、最初は4月に単発で参加して、5月に穴埋めのお手伝いで連続で活動、それからはみんなで予定調整してより頻繁に募金活動をするようになった。 まだまだ継続したい気持ちがあって、被災地での活動が続く限り、募金活動も続けたい。 ふと、なぜ自分が募金活動をしているのかを振り返ってみた。 最初は、ただただ、誰かの役に立ちたかった。自分にできることを最大限やりたかった。やる

          募金のこと

          みんなが尊い命だということ

          昨日、大学のプレゼンで昆虫食がもっと広がる未来について話した。 その時、昆虫食の写真を画面に表示させたら、audienceの何人かがewww!という感じです、嫌そうに顔を背けた。 馴染みのないものに対して、特に虫嫌いな人は多いし、自然な反応かもしれない。 けど、それを私たちが食べるであろう未来はきっと来るのだと思う。というか、伝統的に昆虫を食べて生きてきている地域の人々は世界にたくさんいるわけだし、日本ではまだ食べる習慣がないだけで、昆虫食は、動物の肉を頂くのと変わりは

          みんなが尊い命だということ

          "病弱教育"の世界

          突然ですが みなさんは"病弱教育"という言葉を知っていますか? 私は先週、大学の展示会で知りました。 その時に聞いたお話が個人的にとても心に刺さったので、今回はそれをシェアします。 病弱教育とは だそうです。 そして今回私は、「いるか分教室」という、東京都立墨東特別支援学校の分教室として、国立がん研究センター中央病院内に開設された学校について知りました。なんとここの教室では、闘病中の子どもたちが、小〜中〜高すべてのお勉強ができるそうなのです。 「いるか分教室」で教員

          "病弱教育"の世界

          白T1枚で輝きたいんだあ

          今回は、ここ一年での私の変化について。 話があちこちにいってしまうことを、読んでくれる人には前置きしておきます。 それと、タイトル回収はのちほど。 私のこの一年の大きな変化のひとつは、「人に助けを求めるハードルが下がった」こと。 自分ではどうしようもなく、しんどかったときに、初めて人前で号泣して助けてもらったり、泣きながら人に電話をかけて話を聞いてもらったりする、というのを何度も経験した一年だった。 今までできなかったけど、そうやって人に弱みを見せることができるようにな

          白T1枚で輝きたいんだあ

          What comes next??

          一つ前のnoteで、大学生最初の一年を振り返ったので、今回は、次の一年への目標を決める。 実は、数日前まで、目標がなくて悩んでいた。正確に言えば、理想とする自分の姿はあるのだけれど、どこか感覚がマッチしない。 やりたいこと、心が動く方向を、自分の中でクリアにしてみて、その上でSMARTな目標設定をすることが今回の目標。笑 ちなみに、SMARTな目標というのは、 というのを、前に教わったのに、なかなか実践できていなかった。だから、これからはやっていこうと思います。 それと

          What comes next??

          どんな名シーンが私を待つだろう

          とにかく動いた大学1年生を振り返る。 大学生最初の一年が終わろうとしている今、私の旅路の記録として、そしてこれからの発信ツールにするべく、書いてみます。さあどれだけ書けるかな。 大学一年生。一言で表すと、「とにかく貪欲にどこへでも」な一年だった。 what i did 「やりたいことリスト」に多すぎる夢を詰め込んで、楽しみいっぱいで大学に入学。入ったサークルは3つ。ディベートサークル、地産地消プロジェクト、コピーダンスサークル。(他にも片足突っ込んだサークルが2つくらい

          どんな名シーンが私を待つだろう