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過去は変えられないが、浄化はできる

「ごめーーーん!遅くなった!久しぶり!」

バタバタと待ち合わせ場所にやってきた友人Aと、そんな彼女に「待ってたよ〜!」と声を掛ける、私の横にいた友人B。久しぶりに集まった。
私たちは、全員がまだ大学生だった頃のバイト先で、なぜか仲良くなった3人である。

”仲良しの友達”の定義は、社会人になった今でもよくわからない。ただ、縁というものは、ひょんなことがきっかけで深まるものだということは、この二十数年間生きて分かってきた。

ふたりとは、バイトを卒業するタイミングで「最後だし遊びにいこ!ご飯いこ!」という話になったことがきっかけで仲良くなった。
バイト中はシフトが被ることもほとんどなく、接点も少なかったけれど。
その1回で、これまで知ることもなかった各々の一面を知れたことで、その後もご飯に行くようになった。

久しぶりに集まれた日、目当てのお店でわいわい呑みながら、新生活どんな感じ?という話をした。

「就活頑張ったけど、すぐ辞めたくなったらどうしようーーー」なんて、数ヶ月前に友人Aは話していたが、そんな彼女からは「思ってたよりホワイトで、人に恵まれました!」という報告を聞き、焼き鳥で乾杯した。

「いいなあ、私は大学院が思ってた以上に忙しくてヒーヒー言ってるよ」
そんな友人Bとは、お疲れと頑張れという気持ちを込めて、恵那山(日本酒)で乾杯した。

話はいろんな方向に飛び、同期との仕事事情が〜とか、まえ気になっていた人との進展がどうか〜とか、たわいもない話をしては盛り上がり。
もちろん1軒にとどまることはなく、2軒目を目指してふたたび街に繰り出した。

辛かった過去を変えることはできない。
けど、時間が経ったあとでなら、その過去を浄化することはできる。

その日3人で過ごしたのは、まとめるとそんな時間だった。

2軒目はイタリアンへ。
「さあ、何食べる!」の第一声で、満場一致したマルゲリータに加え、数品と飲み物を注文し、ふぅーーっと一息ついた。オレンジの間接照明に照らされた木造の店内は、どこか落ち着いた雰囲気だった。

「そういえばさ」と、友人B。

「kasumiと親って、何歳くらい離れてるんだっけ?友人Aも。」

「ええっと、35歳くらい離れてるかな」「うちは40歳くらい離れてる!」

「そっか。そしたらうちら、同世代の子達と比べて、親がもうひと回り上の世代なんだね」

急になんの話だろう?と一瞬思ったが、その答えはすぐ頭に浮かんだ。

”最後だし遊びにいこ!ご飯いこ!”と言った、あの日の話の延長線である。
たらふくお寿司を食べた後、〆のデザートを頬張りながらふと、友人Bがこぼした話があった。

友人Aも友人Bも、過去にいろいろな気持ちを抱えながら過ごしていたという話。

あの日はあんまり深く聞かない方がいい気がして、それ以上深く話せなかったけれど。この日は、その続きを話すことができた。

「今は価値観の多様化が進んでるけど…ひとまわり上の世代の価値観で育ったから、苦労もたくさんあったよね、私たち。」

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私の家は複雑かつ、自分が20歳を超えるまで家庭のルールが厳しめで、同級生の家庭事情と比べてちょっと大変だった記憶がある。

あまり詳しく書くつもりはないが、門限の時間が結構タイトだったり、友達と遊ぶときはちゃんと「どの辺に住んでいる誰か、どこで遊ぶのか、何時に帰るか」と、かなり詳細に、明確に伝える必要があったり。親同士が顔見知りではない知らない子の名前が出ると、母はちょっと渋い顔をしていた。
もちろん遠出は許されず、自転車で行ける近所が遊べる範囲だった。

高校生になっても、帰りがいつもより遅いとすぐ「今どこ?何時に帰る?」と毎回LINEがあり、数分経っても連絡を返さなければスタンプと電話の嵐。

もっと放っておいてくれと思ったことはもちろんあるけれど、この背景には、心配性で、私を大事に思う気持ちが強すぎるが故にそうなっている事情があることはなんとなく察していた。

ある日、母からこんな話を聞いたことがある。

「パパもママも子供が大好きだったんだけどね、なかなか赤ちゃんを授かれなかったのよ。子供ができないのは寂しいけど、それならそれで、このまま2人で過ごしていくのも悪くはないかもねって話してて。

そしたらある日、夢を見たの。
『はじめまして、こんにちは。kasumiです』って、子供が私に話しかける夢。

それで、もしかしてと思って病院に行ったら、”おめでとうございます”って。」

母は結構まめな人で、私が生まれてからの写真は押し入れにたくさん、アルバムとして残してくれている。所々に付箋が貼ってあって、そこには”はじめてアイスを食べた日”とか、”久しぶりのお出かけ”などと、コメントが書き込まれていたりして。

母子手帳や、保育園の先生との連絡帳などもまだ残っている。
中身が気になって、母がお風呂に入っている隙にこっそり読んでみた日があった。
そこに残っていたのは、嬉しかったことや私の成長の記録。
それから、押し寄せる不安と葛藤する、育児奮闘記だった。

そんな母の言動の背景にあるいろいろな想いを知ったら、なんというか、母という存在がとても愛おしくなった。

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辛い状況に置かれている最中は間違いなく辛いし、それを一瞬、なんとかポジティブに捉えようとすることはできても、実際すぐにその状況が好転するというわけではない。

耐え凌ぐか、それでも解決策を見つけて現状を変えようと自分を奮い立たせるか、第三者へヘルプサインを出していくか。あるいは、自分の心の居場所をどこかに作るか、、etc

どうしても、状況が変化するまでには多少時間がかかることの方が多いのではないかと思う。一人で背負っている間はなおさら。
物理的に状況が変わるタイミングがあれば、章を新たにすることができる場合もあるが、、

過去の事実は、残酷だけど変わらない。
それは自分の心の奥底に張り付いていて、ふとした瞬間に思い出されたりするもの。そしていつしか、ずっと変わらない”レッテル”のようなものと思い込んでしまうもの。

でも、ある程度の時間と、ある第三者という存在ができれば、”ずっと永遠に変わらないもの”を、優しいあたたかい手で包み込むことはできると思う。

私はすごく嬉しかった。ふたりがそれぞれの過去の話をしてくれたことが。
自分に何か大きなことができるわけではないけれど。
そこにいて、同じ時間を共有しながら話を聞くことはできる。

そして、同じような体験をシェアしあったり、第三者からの客観的な言葉に触れることで、それまで向き合うことのなかった「なぜ自分は辛かったのか、こんな気持ちになっていたのか」をフラットに見つめてみることができる気がしている。

一人だと目を向けたくなんてないと思うことも、複数人だと冷静に見つめることができる気がする。

今、こうして二人と時間を一緒に過ごせていることがすごく嬉しい。これから先も、一緒に時間を過ごす中で少しずつ浄化しあっていけたらいいな。

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