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ほのぼの日和#17 「すごい」とは

ウガンダで生活して、500日が過ぎた。最近は終わりを意識し始めた。
アフリカで生活しているというと、日本にいる人たちからよく「すごい」と言われる。すごいかあ、、、すごいのかなあ、、、と言われるたびに、なんだか考えてしまう。
彼らが「すごい」というのはなぜか、きっとそれは彼らの普段の生活と全く違うからじゃないのかなと思った。まあ、たしかに日本の生活に慣れ切った日本人が文化も食べ物も全く違う見知らぬ土地で生活しているというのは、誰もが簡単にできることではないのかもしれない。けど、なんとなく、「すごい」って言われるのにもやーっとしたものを感じてしまう。ただ私が素直じゃないだけなのかもしれないけど(笑)
 
私は、島出身である。人口2000人もない小さな島。そのことを何かの拍子に人に伝えたとき、たいてい相手は「すごい」と反応する。何がすごいのだろうかと思ってしまう自分がいる、きっと私の性格がひねくれてるのが大きいのは自覚してる(笑)私にとって、島での生活は当たり前、何もすごくない、コンビニがなくて、生徒数が少なくて、映画館も遊ぶところもない、けどそれが日常。すごいと言われるだけの何か努力もしてないし、頑張っていない。
 
ここウガンダの生活もそうだと思う。水くみするし、停電もしょっちゅうだけど、ウガンダの人にとっては当たり前だし、何がすごいの?って感じだろう。私としては、きっとその「すごい」って反応した人も、ここにきてこの生活を余儀なくされれば、もしくはここで生きていたら、誰でもこの生活はできると思う。
ただ、今まで生きてきた環境、生き方が違っただけ。そこにあるのは違いだけ。
私は写真を撮るのを時々ためらって言い出せない時がある。彼らにとっては当たり前のもので、なんで写真を撮るんだろうっておもしろおかしいことだからである。実際に撮っている私を見て笑っていることもあるし、それは私が島に来て写真を撮る人達に対してもった違和感と同じなんだろうと思う。

その「すごい」は、どこからきているのか、一体どういう意味での「すごい」なのか。自分にはできない生活をしているんだねのすごいなのか、自分のとこは水道使えるよ、使えないの!?のすごいなのか。
その「すごい」1言で表現しているその裏には一体何があるのか。何が自分に「すごい」と言わしめているのか。そこが大事な気がするんだけどなあ。

(出典 墜落JKと廃人教師)

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