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もう終わりにしよう

「もう終わりにしよう」という映画を観た。久しぶりに難解な映画を観て、全く内容が分からず、それでもなんとか最後まで観て、悲しい気持ちになった。

ホラーのような暗いテイストでありつつ、なんとなく知っている作風だなと思っていたら、エターナル・サンシャインで脚本を書いた方が撮っていた。マルコビッチの穴とか。

観終わって、ジェイクという男性と高校の用務員さんがおそらく同一人物で、というところまでは分かったのだが、ジェイクの彼女のアイデンティティはどんどん曖昧になり、どこかへ消えてしまうし、オクラホマというミュージカルを知らないこともあり、多くのことが分からないままだった。

映画の本筋と関係がないが、映画の中で"I'm thinking of ending thigs"という言葉が何度も出てきて、それを聴くたびに、私も曖昧な関係を続けているのもどうかしら、と週に一度程度会う男性のことを思い出していた。
最初の頃、私も何度も「もう終わりにしよう」と思っていた。今は……、あまり考えていない。なにしろ相手に悪いところはないのだから。


映画が良く分からなかったので、ハヤカワから出ている原作をあたってみることにした。それで、なんとか頭の中でざっと掴めたので、いくつか考察サイトを読んでみて、そして、自分の中で「昔の私が大好きだったジャンルの映画だ」と結論付けた。
これは妄想の中で生きる人間の話で、そして、妄想の中で生きることを「もう終わりにしよう」としている。それは、とても苦しいことだ。


昔の私はもっと不自由な人間だった。現実と親和性が低くて、いつもぼーっと考え事の中にいた。小学生の頃なんて、体育のキックベースの守りをしている最中に考え事をしすぎて、私の真横をボールが通り抜けたことに3秒遅れで気がつくような有様だった。

それに、「現実世界」が嫌いだった。個人で会うとみんな優しいのに、集団になると妙に醜悪さが目立つ。私も同じ特徴を備えていて、集団の中で調子良く軽薄に振る舞う自分が嫌いだった。

私のような妄想世界の住人が取りうる態度は二つ。
一つは、現実世界と関わることを諦め、完全に内側に篭ること。もう一つは、現実世界の味わい深さを知り、関わり、それでもうまく馴染めず苦しむこと。

けれど、「完全に内側に籠る」などということは不可能だ。なぜなら、人間はどうしようもなく社会的な生き物であり、それに、自分の頭の中だけで生きていると、なんだか、とても狭い。とても狭いのだ。だから、結局取れる道は後者だけ。

チャーリー・カウフマン(「もう終わりにしよう」の監督)の作品は、そういう「妄想」「現実」の狭間を揺れるような映画だから、マルコビッチの穴もエターナル・サンシャインも結構好きだった。特にエターナルサンシャインはとても良い。

「もう終わりにしよう」のジェイクも妄想の中の世界で生きている。そのジェイクが、映画の中で「思い出すからね。自分の頭の中より世界は大きいってことをさ」という台詞を言うのだが、いろいろなことがわかった後で考えると泣けてくる。ジェイクは妄想の中で声をかけることができなかった女の人のことを考え続けていて、それは全て頭の中の出来事だ。そんな人が言うのだから、あぁ、ジェイク、君を抱きしめたいよ。でも、君は嫌がるだろうね、私たちは不器用だな。


大人になって人と関わることにうまく諦めがつくようになってきた私は、もうあまり妄想の世界へ帰らない。過去は思い出さず、今のことを考える。「ああすれば良かった」と考えることがほとんどない。

だから、久しぶりにこういった映画を見れて良かった。それに、ジェイクの彼女は、ジェイクの中の妄想でありつつも現実が透けているので、なかなか共感できるセリフも多くて好きだ。

最後に、ままならない現実と折り合いをつけるための「妄想」が随所に差し込まれた映画たちをリストにしておく。

*恋愛睡眠のすすめ
*エターナル・サンシャイン
*マルコビッチの穴
*マルホランド・ドライブ
*パプリカ
*パーフェクト・ブルー
*脳内ニューヨーク
*もう終わりにしよう


こうやってあげてみると、ミシェル・ゴンドリーとチャーリー・カウフマンの関わっている作品ばかりだ。好きなんだな。他にこういう系統の映画があれば是非教えてください。

最後まで読んでくれてありがとう。