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Promising Young Woman

医療崩壊が起こるだろうと思って、東京でオリンピックを行なっている間、実家に引きこもっていた。ベランダから外を眺めて、空が広いなぁとぼんやり思っていた。他の国では、反政府勢力が首都を制圧して、私と同じ性別の人々の生命が脅かされているのに。

東京に戻って、自分の年代としては大変幸運なことにFully vaccinated peaple(日本語ではフルチン)の仲間入りをしたので、静かに映画でも観ようということで、ずっと見たかった Promising Young Woman を見に行った。

以下、ネタバレも含む雑多な感想なのでキャシーの華麗な復讐劇を今後堪能したい人は読まないでいただけると嬉しい。



映画のあらすじとしては、主人公キャシーの幼馴染であるニーナは学生時代にパーティーで泥酔している最中にみんなの前で性的暴行を受ける。ニーナはとても優秀で通っていた医大で成績トップの前途有望な人間だったのに、最終的に自殺してしまい、キャシー自身も退学する。今のキャシーは、夜な夜なバーで泥酔したふりをしているキャシーに声をかけ、合意なしのセックスを迫る相手に実は素面であることを明かしてギョッとさせている。そんな彼女が昔の大学時代の同級生に会って、ニーナを襲った相手が結婚すると知り、復讐が始まる……、みたいな感じ。


映画はポップで何度もクスッとなる仕掛けがいっぱいで、エンタメとして完成されているし、全然お説教映画ではないのだが、キャシーが復讐のため「ニーナのことを知ってほしい。彼女は生まれた時から完全に彼女だった。私はそんな彼女を崇拝していた。彼女はニーナそのものだった。それをあなたが壊した」という内容をニーナを襲った相手に伝えるシーンで私は涙が止まらなくなってしまった。

私にも学生時代そう感じる友人がいた。彼女は完全にユニークで他の人と全然違っていて、どんなタイプかなんて説明できなくて、彼女は彼女でしかなかった。彼女のことが大好きだったので、もし彼女が崩れて違う人間になってしまったら、と思うと……。そして、それがある男の面白半分のレイプが原因で、その男はのうのうと結婚して将来明るいなんて……。「殺してやる」と考えると思う。私も。

でも、キャシーは相手を殺さない。相手に自分を殺させる。復讐を完成させるために。相手を法によって裁くために。謝罪させるために。

結局、キャシーは復讐の中で誰も本当に傷つけず、何も奪わなかった。彼女が欲しかったのは、ニーナに対して行なったことへの謝罪だけだった。本当に知的な復讐だと思う。呆れるくらい。素晴らしい。

同時にキャシー自身もニーナが壊れてしまった後は生きられないと感じたんだろう、と思うと、この二人のことを思ってとても悲しくなった。でも、キャシーのことを犠牲者だとは思わない。彼女は犠牲ではなくて、自分を贄にしたのだ。正しいことが為されるための。
この悲しみは、イエス・キリストが人類の罪を贖うために死んだということについて思いを馳せる時の悲しみとも似ている。
でも、キャシーは普通の人間で神の子ではない(天使のように描かれるが)ので、ニーナとキャシーが幸せに生きられたかもしれない将来が奪われたことが本当に悲しい。


それにしても、キャシーはいろいろなところをチクチクしてくるので、自分自身の生き方を反省させられる。
私も処世のために正しくないことを黙認したり、その場で止められなかったり、したことがある。私はいい人間じゃない。覚えている。私は自分がどれほど罪深いかいくらでも数えられる。キャシーに許しを乞いたくなるくらい。


キャシーは最後に「これで終わりだと思っていないよね?」とメッセージそ送る。これで終わりじゃない。そうなのだ。これはまだ終わっていない。現実の世界で。まだ続いている。

最後まで読んでくれてありがとう。