幸福な王子

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チャンネルでお送りしていた『幸福な王子』のほんにゃく全文を掲載いたします!


 はるか町の上、高い柱のてっぺんに、幸福な王子の像が立っていた。


 全身をおおう薄く伸ばした純金と、両目にはまったまばゆいサファイア、剣のつかには大粒の赤いルビーがきらめいていた。


 王子は町の人々から、それはそれは深くうやまわれていた。


「まるで風見鶏みたいに美しいじゃないか」芸術の分かる男だと一目置かれたがっている市議会議員がこれ見よがしに王子を見上げると、頭がどうかしているんじゃないかと人々に思われたりしないように、あわてて「まあ、風見鶏ほど役には立たんがね」と付け足した。本当は、どうかしてなんていなかったからね。


「ほら坊や、幸福な王子さまをごらんなさい」かしこい母親が、ないものねだりをして泣きやまない、小さな息子に声をかけた。「あの王子さまは、駄々をこねたりなんて決してなさらないのよ」


「こんな世界にもとても幸せなやつがいるなんて、最高じゃないか」希望をなくした男が、素晴らしい王子の像を見上げてつぶやいた。


「王子さまは天使そっくりだ」教会から出てきた事前学校の子供たちが、口々に言った。みんなあざやかな真紅のマントと、まっさらな白いエプロンドレス姿だ。


「なんでそんなことがわかるんだね?」数学の先生が言った。「天使なんて見たことないだろう?」


「と思うでしょう! でも会ったんです、夢の中で」子供たちが答えた。すると先生はひたいに皺を寄せ、ひどくけわしい顔をしてみせた。子供たちが夢を見るなどけしからんと思っていたんだ。


 ある夜、愛らしいツバメが一羽、この街に飛んできた。仲間たちは六週間前にエジプトへと旅だったんだが、このツバメだけは見たこともないほど美しい葦にすっかり恋をしてしまったものだから、まだ残っていたんだよ。


 その葦と出会ったのはこの春先、大きな黄色い蛾を追いかけながら川を下って飛んでいたときのことさ。ほっそりとした葦の腰にすっかり夢中になったツバメは、蛾を追うのをやめて話しかけてみたというわけだよ。


「僕と付き合ってくれるかい?」思ったら言わずにいられない性格のツバメが声をかけると、葦は深々と頭を下げてみせた。


 それを見たツバメは翼で川面に触れて銀のさざなみを立てながら、葦のまわりをぐるぐる飛び回った。そうして夏が終わるまでずっと、葦に愛を告げ続けたってわけさ。


「あの葦は絶対やばいよ」仲間たちは、口々にさえずった。「だってあの子ときたらお金も持ってないし、そのくせ親戚がやたらと多いんだぜ?」仲間たちの言うとおり、川には見渡すかぎり葦が生い茂っていた。


 やがて秋の訪れとともに、仲間はみんな旅立ってしまった。


 取り残されたツバメは寂しくなり、だんだんと恋人にもうんざりしてきた。「話もぜんぜんしてくれないし、それにもしかしたら、とんだ浮気者かもしれないぞ、いつだって風なんかとイチャイチャしちゃってさ」ツバメがぼやくとおり、風がそよそよと吹くたびに、葦はうっとりするほど優雅なお辞儀をしてみせた。「まあ、家庭的なのは確かかもね」ツバメは続けた。「でも僕は旅が大好きなんだから、当然奥さんだって旅好きじゃなくっちゃな」


「一緒に来てくれるかい?」しびれを切らしたツバメは葦に訊ねた。しかしふるさとにしっかりと根を下ろしていた葦は、首を横に振ってみせた。


「僕をもてあそんでたんだな! もうピラミッドに行くよ。じゃあな!」ツバメはそう叫び、さっさと飛び去ってしまった。


 日がな一日飛び続け、ツバメは夜になって街にたどり着いた。「さあて、どこで寝るとしようか? ちょうどいいところが、この街にもあるといいんだけど」ふと、高い柱のてっぺんに像が立っているのに気がついた。「よし、あそこにしよう。あそこなら新鮮な空気もたっぷりあるし、完璧だぞ」ツバメはまた叫ぶと、幸福な王子の足の間に舞い降りた。


「黄金のベッドルームだ」ツバメはあたりを見回しながら小声で言い、眠りにつく準備をした。けれど、翼に顔を埋めようとしたその瞬間、真上から大きな水のしずくがひとつ落ちてきたんだ。


「こいつは妙だぞ!」ツバメは目を丸くした。「空には雲ひとつないし、星々だってきらきら光ってるってのに、雨が降ってくるだなんて! まったく北ヨーロッパの天気はわけが分からないよ。あの葦は目に雨が好きだって言ってたけど、自分さえよけりゃそれでいいのさ」


 もうひとつ、雨つぶが落ちてきた。


「雨もしのげないなんて、使えない像だなあ。よし、手ごろな煙突でもないか探してみることにしよう」ツバメはそう言って、さっさと飛び立つことにした。けれど翼を広げようとしたそのとたん、三つめの雨つぶが落ちてきたのでツバメが見上げてみると……。おお、なんということだろう!


 幸福な王子が両目いっぱいに浮かべた涙が、黄金のほほをつたい落ちているのが見えたんだよ。月明かりを浴びた王子の顔があまりにも麗しいものだから、ツバメは可哀想でたまらなくなってしまった。


「誰なの?」ツバメはびくりとして訊ねた。


「私は幸福な王子だよ」


「幸福な王子なのに、なんで泣いてるのさ? おかげでこっちはすっかりびしょ濡れだよ」


「まだ命があり、人の心臓を持っていたころ、私は涙の意味を知りもしなかった。悲しみなど忍び込むことすら許されない、サン・スーシの宮殿に住んでいたからさ。昼には友と庭園で遊び、夜には人々を引き連れて大広間で踊り暮らしていたんだよ。庭の周りには見上げるほど高い壁が作られていたけれど、ひたすら美しいものばかりに囲まれていた私は、壁の向こうに何があるのかなんて、知りたいとすら思わなかった。国の民は私を幸福な王子と呼んでいた。そして、心から楽しむのが幸福というものならば、私はその名のとおり、幸福だったとも。私は幸せに生き、幸せに死んだのさ。そして死者となってから人々の手により、我が街にはびこる醜さも悲しみもすべて見渡すこの高みに置かれてみれば、鉛の心臓しか持たぬというのに、涙があふれて止まらなくなってしまったんだよ」


「なんとまあ、黄金でできてるんじゃなかったのか!」ツバメは胸の中で言った。思ったことをなんでも口に出すような、無礼者じゃなかったからね。


「ずっと向こう……」王子は、静かに唄うような声で続けた。「ずっと向こうの細い路地に、みじめな家が立っている。窓がひとつ開いていて、そこからテーブルに着いた女がひとり見える。顔はげっそりと痩せこけ、縫い子仕事のせいで、両手とも針傷だらけでまっ赤に荒れてしまっている。今はサテンのドレスに、トケイソウの刺繍をしているところだよ。次の王宮舞踏会で、女王様がいちばん愛らしい侍女に着せるドレスなんだ。部屋のすみにはベッドがあって、小さな息子が病に臥せっている。熱を出して、オレンジが食べたいと言っている。けれど母親には川の水しかやれるものがないから、息子は泣いているんだよ。ツバメよツバメ、可愛いツバメよ。どうか私の剣からルビーをはずし、あの母親に届けてやってはくれないか? 足が台座にくっついているせいで、私は動くことができないんだ」


「仲間たちがエジプトで待ってるんだよ」ツバメが答えた。「みんな今ごろナイル川を飛び回って、大きな蓮の花と話をしているところさ。そのうちみんな偉大な王様のお墓の中で、ぐっすり休むんだ。王様は綺麗に塗られて棺に眠っておいででね。黄色い亜麻布でくるまれてるんだ、腐らないよう香辛料と一緒にね。首には青緑色をした翡翠の首飾りをかけていて、両手はまるで枯葉みたいなのさ」


「ツバメよツバメ。可愛いツバメ」王子が言った。「どうかたったひと晩私のそばに残り、使いになってはくれないか? 男の子は喉がからからで、母親は悲しみのどん底だ」


「男の子は好きじゃないんだよ」ツバメが答えた。「去年の夏に川で過ごしていたとき、乱暴者の男の子がふたりいたんだ。粉屋の息子でね、僕を見つけるといつも石を投げるのさ。もちろん当たったりなんかするもんか。僕たちツバメには避けるのなんて楽勝だし、そのうえこの僕は、すばしっこくて有名な血筋なんだからね。でもやっぱり、石を投げるなんて馬鹿にしてるよ」


 だけど幸福な王子の顔があまりに悲しげなものだから、ツバメはすっかり可哀想になってしまった。


「ここはひどく寒いけど、ひと晩だけ残ってお使いをしてあげるよ」


「ありがとう、可愛いツバメ」王子が答えた。


 ツバメは王子の剣から大粒のルビーを取りはずすとくちばしにくわえ、家々の屋根を越えて飛んでいった。


 白い大理石の天使たちが並んだ教会の塔をかすめて飛ぶ。宮殿の横を通ると、人々がにぎやかにダンスをしているのが聞こえてきた。きれいな娘がひとり、恋人と一緒にバルコニーに出てきた。


「星々はなんて素敵なんだ!」恋人が娘に言った。「そして、愛の力はなんて素敵なんだ!」


「新しいドレス、王宮舞踏会に間に合うかしら……」娘はため息をついた。「トケイソウの刺繍をしてくれって注文したんだけど、縫い子がみんな怠け者なのよ」


 川を越えると、船のマストに吊るされたいくつものカンテラの灯りが見えた。ユダヤ人街に差し掛かると年老いたユダヤ人たちが商売し、銅の秤でお金を量っている姿が見えた。やがて王子が話していたみすぼらしい家にたどり着き、ツバメは覗き込んでみた。男の子は熱にうかされベッドで寝返りを打ち、母親はくたくたに疲れてしまい眠りこけていた。ツバメは中に飛び込み、机の上に置かれた母親の指ぬきのとなりに、大きなルビーを置いた。それから男の子のひたいを翼で扇いでやりながら、ゆっくりとベッドの周りを飛び回った。「なんだかすごく涼しいや。きっともうすぐ良くなるんだ」男の子はそう声を漏らし、安らかな眠りに落ちていった。


 そうしてツバメは幸福な王子のところに飛んで帰り、一部始終を話して聞かせた。「不思議な気持ちだよ。凍えるほど寒いっていうのに、なんだか今はすごく温かく感じるんだ」


「それはおまえがいいことをしたからさ」王子が答えた。ツバメはそれを聞いて考え始めたが、すぐに眠りに落ちてしまった。なにか考えると、いつでも眠くなってしまうんだ。


 夜が明けると、ツバメは川に飛んで行き水浴びをした。「なんと珍しい!」橋を通りかかった鳥類学の教授が目を丸くした。「冬のさなかにツバメとは!」教授はその件について、地元新聞に長い投書を送った。その投書には街の人々に理解のできない言葉が山ほど使われていたものだから、みんなそのまま受け売りをして、この記事のことを語り合った。


「今夜こそエジプトに出発だ」ツバメは言った。そう思うと胸が高鳴った。街の名所をすべて回り、ツバメは教会の尖塔のてっぺんで長いこと休んでいた。どこに行ってもツバメたちがチュンチュンさえずり「なんて素敵な旅人だろう!」などと言い合うのが聞こえるものだから、ツバメはすっかり上機嫌になっていた。


 月がのぼると、ツバメは幸福な王子のもとに飛んで帰った。「さてと、エジプトになにか用事はない? そろそろ出発するからさ」


「ツバメよツバメ、可愛いツバメ」王子が答えた。「もうひと晩だけ、私のもとに残ってはくれないか?」


「仲間がエジプトで待ってるんだってば」ツバメは不満げに答えた。「みんな明日は第二瀑布に行くはずなんだ。そこじゃあパピルス草の茂みでカバの群れがくつろぎ、立派な御影石の玉座にメムノン神が座っているんだよ。ひと晩じゅう星々を眺めて、明けの明星が輝きだすと歓喜の叫びをあげ、それから静まりかえるのさ。昼には黄色いライオンたちが水辺に喉を潤しにくる。ライオンの目ときたらまるで緑のエメラルドで、吠え声なんて瀑布のとどろきよりも大きいんだぜ」


「ツバメよツバメ、可愛いツバメ」幸福な王子が言った。「街を突っ切ったずっと向こうの屋根裏に、若者の姿が見える。紙が散らばる机につっぷし、となりに置いたグラスには、しおれたすみれがひとつかみ挿してある。髪は茶色く硬いくせ毛で、唇はザクロのように赤く、大きく夢をみるかのような目をしている。劇場の支配人から頼まれた芝居を書き上げたいというのに、あまりに寒くてもうひと文字たりとも書けずにいるんだ。暖炉の炎はもう消え果て、空腹のせいで気を失ってしまったんだ」


「よし、じゃあもうひと晩ここに残るよ」本当に心優しいツバメは答えた。「その人のところにも、ルビーを持ってこうか?」


「そうできたらどんなにいいか! だけど、もうルビーはないんだよ」王子が答えた。「私にあるのは、もうこの両目だけなんだ。この両目は千年の昔にインドから持ち込まれた、とても珍しいサファイアでできているんだ。あの青年が宝石商に売れば食料とたきぎを買い、芝居を書き上げることができるはずだ」


「ああ王子様。そんなこと、僕にはとてもできやしないよ」ツバメはすっかり胸を打たれ、ぼろぼろと涙を流しはじめてしまった。


「ツバメよ、ツバメ。可愛いツバメ」王子は、慰めるように声をかけた。

「どうか私の言うとおりにしておくれ」


 ツバメは言われたとおり王子の片目をくり抜き、青年のいる屋根裏に向けて飛び去った。屋根に穴が開いているので、中に入るのは簡単だ。ツバメはそこをくぐり抜け、さっと部屋に飛び込んだ。両手で頭を抱えていた青年は鳥の羽ばたきに気づかず、やがて顔を上げて初めて、しおれたスミレの上に置かれた美しいサファイアに気がついた。


「やっと世間から認められてきたようだぞ」青年は大声をあげると「きっと誰か、僕を応援してくれている金持ちがくれたに違いない。こいつがあれば芝居が書き上げられるぞ」と顔を輝かせた。


 翌日、ツバメは港に飛んでいった。そして大きな船のマストにとまり、ロープをかけた大箱を船乗りたちが次々と船倉から引っぱり出しているのを眺めた。


「よっこらせ!」箱が出てくるたびに、船乗りたちから大声があがった。

「僕はエジプトに行くんだ!」ツバメは叫んだが、誰も知らん顔だった。やがて月が顔を出すと、ツバメはまた王子のところに飛んでいった。


「さよならを言いに来たよ」ツバメが大きな声で言った。


「ツバメよ、ツバメ。かわいいツバメ」王子が言った。「もうひと晩、私と一緒にいてはくれないか?」


「もう冬だよ」ツバメが答えた。「もうじきここにも、冷たい雪がふりはじめるんだ。だけどエジプトじゃあ緑の椰子の木々に暖かい太陽がふりそそぎ、泥だまりに寝そべったワニたちがのんびりあたりを眺めてるところさ。仲間たちはバールベック神殿の中で巣作りをしてて、ピンクと白の羽根をはやした鳩たちが、それを見ながらクッククックと話をしているんだよ。王子さま、本当につらいのだけど、どうしても僕は行かなくちゃ。でも、あなたのことは絶対に忘れないよ。次の春には、人にやってしまった宝石の代わりに、きれいな宝石を必ず持ってくるとも。赤いバラよりもっと赤いルビーと、大海原みたいに青いサファイアをね」


「下の広場に、マッチ売りの幼い娘が立っている」幸福な王子が言った。「マッチを溝に落としてしまい、すっかり駄目にしてしまってね。けれど少しでもお金を持ち帰らないと父親にぶたれてしまうから、娘は泣いているんだよ。靴も靴下もはいちゃいないし、小さな頭にかぶる帽子もありはしない。私から残った目をくり抜き、あの子にやりなさい。そうすれば、父親にぶたれずに済むのだから」 


「わかった。もうひと晩、ここに残ることにするよ」ツバメがうなずいた。「だけど、目をくり抜くなんて絶対にごめんだね。王子さまが、何も見えなくなっちゃうじゃないか」


「ツバメよツバメ、可愛いツバメ」幸福な王子が言った。「どうか私の頼みを聞いておくれ」


 ツバメはしぶしぶ王子の余った片目をくり抜き、くちばしにくわえて舞い降りていった。そしてマッチ売りの少女をかすめて飛び、その手のひらにそっとサファイアを忍ばせてやった。


「わあ、綺麗なガラス玉!」少女は叫び、顔を輝かせながら家に駆けていった。


 ツバメはそれを見届けてから、王子の元に戻って声をかけた。「何も見えなくなっちゃったね。放ってなんておけないし、僕がずっと一緒にいてあげるよ」


「可愛いツバメよ、そんなことをしてはいけない」哀れな王子が言った。「おまえはエジプトに行かなければ」


「一緒にいてあげるってば」ツバメは繰り返し、王子の足元で眠りについた。


 あくる日、ツバメは王子の肩から日がな一日動かずに、あちこちの異国で目にしてきたことを王子に話して聞かせた。ナイルの岸辺に長い列を作り、くちばしで金色の魚を捕まえるトキの群れの話。この世界ができたころから砂漠に住まう、森羅万象を知り尽くしたスフィンクスの話。ラクダと連れ添いながら、琥珀の数珠を手にゆっくりと歩く商人たちの話。黒檀のように黒く、大水晶を崇めている、月の山脈の王の話。椰子の木に眠り、十二人の神官たちに蜂蜜菓子をもらって暮らす、緑色の大蛇の話。平らな葉に乗って大きな湖を渡る、蝶と仲が悪い小人たちの話。


「私のかわいいツバメよ」王子が言った。「どれもこれも言葉を失うほどの話ばかりだが、何よりも言葉を失わずにいられないのは、世の人々にのしかかる苦しみだとも。辛苦に勝るほどの神秘など、他に何があるものか。ツバメよ、我が街の空を飛び、そこから何が見えたか教えておくれ」


 言われたとおりに大きな街の空を飛び回ると、あちらこちらの豪華な屋敷で陽気にはしゃぐ金持ちたちや、門の前に座り込む物乞いが見えた。いたるところで暗い路地に入れば、どこでも飢えて白い顔をした子供たちが、黒い街並みをどんよりと見つめていた。アーチ橋の下では幼い少年がふたり、互いを温め合おうと抱き合いながら横たわっていた。「おなかがすいて死にそうだよ!」ふたりが叫んだ。「こんなところで寝るんじゃない!」夜番が怒鳴りつけると、ふたりは行き先もないまま雨の中にとぼとぼ出ていった。


 それを見届けたツバメは王子のところに飛んで帰り、目にしてきたものを話して聞かせた。


「私は純金でおおわれている」王子が言った。「どうかこれを一枚ずつはがし、貧しき人々に分けておやり。命ある者は、黄金があれば幸せになれると思っているものなのだから」


 ツバメは一枚、また一枚と純金を剥がし続け、やがて幸福な王子はすっかりくすみ、灰色になってしまった。ツバメが一枚、また一枚とそれを貧しい人々に運んでやると、子供たちは顔に血の気を取り戻し、笑い声をあげて通りで遊びはじめた。「パンが食べられるんだ!」と、みんなで叫びながらね。


 やがて雪が降り、それがやむと街は氷に覆われた。どこを見ても、まるで銀で作られたかのように、目がくらむほどまばゆく輝いていた。家々の軒先にはナイフのようなつららがずらりと並んでいたし、人々は毛皮に身をくるんで街を歩き、小さな男の子たちはまっ赤な帽子をかぶってスケートをしいてた。


 可哀想に、小さなツバメは今にも凍えてしまいそうだったけれど、王子を愛するあまり、決してそこを立ち去ろうとはしなかった。パン屋の目を盗んでは店先でパンくずをついばみ、体が冷えてしまわないよう何度も羽ばたきをした。


 だけどツバメはやがて、自分はもう死んでしまうのだと悟った。最後の力を振り絞り、王子の肩に舞い上がった。「王子さま、さようなら!」弱々しい声でツバメが言った。「手にキスさせてくれるかい?」


「よかった、やっとエジプトに旅立つのか、可愛いツバメよ」王子が答えた。「すっかりここに長居してしまったからね。だがキスなら私の唇にしておくれ、私はおまえを愛しているんだよ」


「僕はエジプトに旅立つんじゃないよ」ツバメは答えた。「死の館に旅立つんだ。死は眠りの兄弟さ、そうだろう?」そしてツバメは幸福な王子の唇にキスすると、こときれて王子の足元に落ちてしまったんだ。


 そのとたん、王子像の中で何かが弾けるような、耳慣れない音が響いた。それは、鉛の心臓がまっぷたつに割れてしまう音だった。それほどまでにひどい寒さだったんだ。


 あくる朝早く、市長が市議会議員たちを引き連れて、下の広場にやってきた。そして柱の前にさしかかると、全員がいっせいに王子の像を見上げた。「こいつは驚いたぞ。なんとみすぼらしいんだ!」市長が言った。


「なんとみすぼらしいんだろう!」いつでも市長に調子を合わせてばかりの市議会議員たちは口々に叫び、もっとよく見てみようと柱に近づいていった。


「剣のルビーも無ければ、両目もどこかに行ってしまっているじゃないか。それに金もすっかり剥がれているぞ」市長が言った。「あれじゃあまるで物乞いだ」


「まったく、まるで物乞いですな」議員たちも言った。


「おまけに足元には死んだ鳥まで転がっておる!」市長が顔をしかめた。「鳥ここで死ぬべからずと、断固としておふれを出さねばならんな」市長の案を、さっそく書記が書き留めた。


 そうして人々は、幸福な王子像を柱からおろしてしまった。「美しくなくなったのであれば、もはやなんの価値もありはしない」大学で芸術を教える教授が言った。


 王子像を製鉄所で溶かしてしまうと、あとに残った金属の使いみちを決めるため、市長は議会を開いた。「言うまでもないが、新たな像を作らねばならん」市長が、議員たちを見回した。「そう、この私の像をだよ」


「いや、私の像だ!」議員たちが口々に叫び、すぐに言い争いが始まった。僕が最後に聞いた噂じゃあ、まだ言い争っているんだそうだ。


「なんだこりゃあ!」製鉄所の親方が目を丸くした。「この割れた心臓め、鉛のくせに溶鉱炉でも溶けやしないぞ。捨てっちまうしかねえな」そうして、ツバメの【骸/むくろ】が転がるごみの山に、心臓を投げ捨ててしまった。


「あの街でもっとも尊いものをふたつ、ここに持ってきなさい」神が天使に言った。そこで天使は、鉛の心臓とツバメの亡骸を持ち帰った。


「そうとも、それでいい」神がうなずいた。「小鳥には我が天の園でとこしえに唄わせ、幸福の王子には我が黄金の都で私を讃えさせよう」

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