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9月下旬発売! 入江敦彦『英国ロックダウン100日日記』(本の雑誌社刊)大公開その②

Lockdown Day 06 3月28日(土) 晴れのち曇り

 夜8時に自宅の窓から表に向かって拍手をするのが一昨日から始まってます。医療や介護、公共事業に携わる人たちへの労いの拍手です。パリが最初やったかな。半分はストレス解消も兼ねてるんでしょうが、なんであれ気持ちを表すのはええことですね。女王陛下や感染が確認されたジョンソン首相も参加しました。
 
 そもそも封鎖の目的はパンクしそうな病院の現場にいる人を守るため……というのも大きいのです。夜勤明けにスーパー行ったらなんにもなくて死にそう! という看護師さんのツイートが広まって、政府のロックダウン決断に拍車がかかりました。
 わざとではなくとも彼女をそんな目に遭わせたイギリス人たちをひっくるめてディスってる声も聞きましたが、翌日には制服着た関係者に無料で食品を提供するようになった店がどっと増えたのも国民性といえます。光あるところに陰。陰あれば光。
 コロナ禍の中で光はより鮮やかに、陰はより暗く見えるような気がします。
 たとえば、そんな善意を悪用して看護師コスプレで店から食料品をむしり取ってゆく連中が現れたんですよ。それも1組2組じゃない。なんというか人間の〝業〟を感じます。本性が現れるというか。
 あのね、わたしね、件の窓拍手できませんでした。家族を実家に帰して自己隔離中の義従弟が、近隣の住人から村八分みたいな扱いを受けてると知ったからです。彼は救急隊員。最前線で働き最前線で伝染されました。奥さんが車で通い、玄関に置いていく食料品を盗まれたことさえあったそうです。

 英国はNHS(国民健康保険制度)というのがあって医療が無料。だから〝いざ〟というときが来たとしても日本はこっちみたいな状況にはならないかもしれません。明確な治療法がないから病院も自宅もさして変わらないわけですし。
 それでも溺れる者は藁を掴みに病院へ押しかけてゆくでしょう。ウイルスばら撒くだけだと解っていても。本能と理性の葛藤が封鎖の英国各地でちらちら火花を散らしているような日が続きます。

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 あんまりこってりしたものを食べる気にならず台所に佇むことしばし。アボカドが塩梅よう熟れたんで晩ごはんは、これまた味の馴染んだヅケと合わせて柚子こしょうでいただきました。あとは焼き茄子とオクラの土佐酢。封鎖直前、偶然にも作り置き料理大会して拵さえた食料が、みんな食べ頃を迎えております。ありがたやー。日本食とスターウォーズが大好きな義従弟に持ってってやりたいなあ。

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 「旨いものを喰う」のと「旨いと思えるものを喰う」のは似ているようで違います。「旨いものを喰う」のは欲望ですが、「旨いと思えるものを喰う」というのは本能的な行為に見えて実はとても理性的な所業なんじゃないでしょうか。

Lockdown Day 07 3月29日(日)天気晴朗ナレドモ風強シ

 今日からサマータイムになりました。日本とのタイムラグは8時間です。日本の晩8時がこっちの正午。英国や欧州諸国、日本などとのエピデミック時差についてしばし思いを馳せました。なんでもコロナに結びつけて考えてしまう癖がすっかりついちゃった。
 そんなことをツレと話しながら昨晩の残りでアボカドトーストを作って朝ごはん。アボカドの緑の濃淡をフォークの背で潰してゆくのは好きな作業。ちょっとお肌の曲がり角を迎えたトマトを刻んでオリーブオイルとバルサミコ酢で和えて脇に添え、あとは濃いめのミルクティ。
 ちょうど喰い終わったタイミングで玄関のチャイムが鳴りました。なんじゃらほいと出てみるとすでに人影はなく一通の手紙が郵便受けに差し込まれておりました。切手も貼ってない直接投函。まさか、どっかからの苦情? とか思いつつ開封してみると……
 カフェ孫からの〝おてまみ〟でしたー。

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 2日目の日記にも書きましたがわたしらには行きつけのカフェがあります。そこに溜まる人達の中で自然に友人関係ができてくるわけですが、とりわけ仲良くなったお母さんの子供たちがなぜか汚い爺さん2人に懐いてくれてねえ。そうなると小さい子らとはかかわりなく生きてきたゲイのカップルもほだされてしまって、いまでは「カフェ孫」と呼んで目の中に入れて可愛がっておりますんです。
 封鎖生活が始まって、なにが恋しいといってその子らとの交流です。その前から適正社交距離(ソーシャルディスタンス)は始まってるで、もう長いこと遊べていません。手紙、嬉しいなあ。安定のスペルミスが可愛いなあ。はやく流行が治まってほしいなあ。ハグが恋しいなあ。

 わたしが日本に帰ったとき、2ヶ月ちょいとかそんなもんなんですが、なによりも困るのがハグ不足キス不足なんですよね。別に好いたらしい人とハグしたいとかそういうんじゃなくて誰でもいいの。とかいうと、それはそれで誤解を招きそうですが。
 キスといってもフレンチじゃなくてぜんぜんかまわない。玉子とクリームたっぷりの甘~いフレンチトーストじゃなく、あっさりしたアボカドトーストみたいな英国式でいいんです。ほっぺたくっつけて「Muah! Muah!」と口にだす挨拶でいい。

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 こういうボディランゲージの不足をわたしは日本人の欠点だと長いあいだ考えてました。わたしたちほど愛情表現が淡白な人種は稀です。むろんだからこそ微妙な感情を表現する文学やドラマが生まれてきたわけですが日常的なLOVEが足りない。行ってきますのキスくらいしましょうや。とか。
 けど、それがコロナ蔓延の抑止力になるとはね。なんとまあ皮肉なことでしょう。

Lockdown Day 08 3月30日(月)曇り。のち晴れ. ときどき雨

 志村けんの訃報を知る。RIP。リアルタイムの全員集合世代なのでもちろん寂しいです。が、きっとこれでコロナに対する日本人の感覚がちょっとは変わるんじゃないか、変わってくれたらなー、というのがまず頭に浮かびました。
 感染の報道があった当初、SNSなどではみんな「だいじょうぶだぁ~」とか「志村うしろ~!」とまるでネタのようにチャカしていましたね。いやいや大丈夫じゃないし、彼のうしろに立っている怪物は本物なんだよ? と思っていたので。
――コロナとは、たいがいの人よりも金も名声も、何より医者のコネだってあるはずの超有名人がこんなにも簡単に逝ってしまうような病気なんだよ? なんにもないない尽くしのわたしたちみたいな一般庶民がヘラヘラ出歩いて花見して平気なわけがない。
 さすがに滅入るんで今日の散歩は肉屋のあるコースを選びました。見事なWagyu Silverside のサーロインを発見。半分に切るよーと言われたけど一瞬迷って丸ごと買ってしまいました。2キロ半。まあ、高いと言えば高いけど、100グラムあたりで換算したら300円くらい。あれ、むしろ安くない?
 日本にいたら和牛券使えたのになー。ほんま日本の政治家さんは(もう)結構やねえ。(おおきに)お世話。

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 てなわけで今晩はローストビーフ! もちろん全部焼くわけじゃなくてステーキ(切り分けてフリーザー)、焼肉(ブロックごとプルコギのたれに漬ける)、すき焼き風煮物(薄切りするため半冷凍)と少なくとも4食になる予定です。スーパーを空にするゲームに参加する気は毛頭ありませんが、少し先のことを考えてしまうのは仕方ありません。
 名前からも判るように、これは和牛を掛け合わせた英国の品種です。和牛といったときに思い浮かべる霜降りではありませんが、それこそ本当の大理石的な脂肪のマーブルが走り、脂の甘さと柔らかさに肉本来の旨味が加わった素晴らしいビーフ。堪能しました。

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 明日は文化放送の「SAKIDORI!」さんからお話を戴いて、ラジオ出演があります。飴ちゃんなめて早く寝ることにしました。時差があるので、こういうのはどうしても早朝収録になることが多いんですが、おかげさまで年寄りになってからは早起きが苦になりません。ちゃんと頭が動いてるかどうかは別の話ですが(ま、それは、いつもか)。

 いまさらですけど、この日記とおんなじです。あくまでわたしは日常生活からの眺めを話させていただくだけ。ラジオでもTVでも聴く観る人らが知りたいのはそこだと思うんですよね。専門家でもない人間が根拠もなしに尤もらしいことを言うのは滑稽です。地に足つけて、そろりそろり参りましょう!
 床に就く前Webチェックしたら件の和牛券のアイデアはぽしゃったんですって? あー、あほくさ。これでよく寝れそうですわ。

Lockdown Day 09 3月31日(月)晴れたり曇ったり

 封鎖になってからずーっと、これは天のイケズか!というくらいお天気が続いています。きのうはパラっときたけれど濡れるほどでもないお湿りでした。めちゃくちゃ寒いんですけどね。寒の戻り? ちゃっちゃと帰れ! みたいな。風も強く、散歩してるとちいさな桜の竜巻があちこちで立ってます。
 来年は心安らかに花見したいですねえ。みんな、ええようになったら、ええなあ。

 今日は文化放送さんの「SAKIDORI!」で電話インタビューから始まりました。もちろん封鎖生活についてです。わたしなんかにお声がかかるというのはやはりロック日本もダウンが現実味を帯びてきたからでしょうか。いいことだと思います。たぶん、これだけがコロナの流行を抑える唯一無二の方法なんです。
 番組の中でアナウンサーさんが「英国政府がこんなに早く80%の給与保証を決定できたのは何故?」とお訊きになって「そんだけ深刻なんです」と答えましたが、もうひとつ、このままでは暴動(リオット)になると予想したからという理由もあるとあとになって気づきました。英国のお家芸なんです。
 2011年の大騒ぎを覚えてらっしゃる人もまだおられると思います。スーパーを空にしたメンタリティは、あのときの愚劣な連中と同質。実は「ペンは剣よりも強し」の原典って、民衆の怒りガーとかって暴れる人々に対して政治家が「馬鹿(けん)は頭脳(ペン)で言い包めるさ」と睥睨(へいげい)する言葉だって知ってました?

 インタビューが無事に終わって朝ごはんを食べていたら玄関のチャイム。今回はカフェ孫レターではなく日本からの小荷物でした。なんと1週間前にファンの方が送って下さった陣中見舞いギフトが到着したんでした。いつもより全然早い!

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 日本の郵便局のウェブサイトを調べてみると世界的に遅滞しているなかで、悪名高い英国ポストオフィスだけが問題なく動いている模様。なんか、そのへんの律義さとちぐはぐさがあまりにもこの国らしくて笑ってしまいました。
 箱の中にはカフェ孫たちへのお菓子もちゃんと配慮下さっていて、そりゃもう感謝感激でした。さっそく持ってったら窓越しにですが仔犬みたいに大喜びする顔が見られて鳩尾(みぞおち)が熱くなるような嬉しさでした。だってさ、いちばん外に出て駆け回りたい年頃だもんね、ストレスだろうなあ。大人とはまた違った気鬱(きうつ)が募っているはずです。コロナ禍が治まってきたらケアが必要。

 わたしたちストレスを言い訳にして甘いものを過剰摂取気味だったので今晩のデザートは旬のブラッドオレンジにしました。

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 オレンジや桃なんかもそうですが、フルーツバスケットに盛っておくと、夜になって暗い部屋で峻烈(しゅんれつ)に香りが起っていることがあります。わたし、あれ、すごく好きなんです。パンドラの匣の底にあった「希望」ってこういうものだったんじゃないかと思う。

Lockdown Day 10 4月1日(火)本日も晴天なり

 これだけははっきりさせときましょう。
 日本の感染率が異常に低いのは日本人の性質のせいですよ。もしかしたら、これから他の理由が出てくる可能性はありますが、それでも民族的な行動習慣が最大の理由であることに変わりはないはずです。#日本スゴイ なんかじゃないですよ。
 政府の無能ぶりはすさまじいし、国民の危機感のなさも目を覆わんばかり。けれど、なにより自分が感染した無症状者であり、知らないあいだにウイルスを振りまく〝加害者〟になる可能性があるんだという自覚のなさが怖い。ほんと怖い。
 海外生活経験者だったら誰でも知っているでしょうけれど、ジャパニーズほど他人との肉体的接触が少ない人種は稀です。逆にイタリアが早い段階で爆発的に流行してしまったのは、前日会ったばかりでも抱き合って再会を喜ぶラテン気質が裏目に出たせいじゃないかとわたしはうがっています。冗談ではなく。

 英国のパンデミックが一歩遅れたのは西洋社会においては比較的シャイだからだと考えれば納得がいきます。それでも日本のスタンダードからしたらボディランゲージは豊富なんですけどね。
 本来なら握手すべきときですらお辞儀ですませる距離感を日本人は感謝しなければなりません。
 ただ、これからはどうなるか判りませんよ。以前より頼みの綱となる地域のコミュニティが崩壊して久しいし。【家族の絆】も結構ですが、コロナは「親亀こけたら皆こけた病」です。誰かがかかったら一蓮托生おこもり必須。そんなとき何より心強いのは「なにかあったら玄関に食べるもん届けるから電話してな」とゆうてくれる隣近所の人たちなんよね。
 看病はいらないの。寝てるしかないんだし。ただ馴染みの顔のない環境に住んでるのなら仲間内で相互扶助サークル作っときなさいよ、とは思います。

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 夜8時の窓拍手は減ってきましたが最近は窓にかかる虹をよく見かけます。生存確認でもあり、ご近所さんへの挨拶でもあり、子供らが散歩中にそれらを発見する〝遊び〟でもある。レインボー・スポッティング。いったいわたしたちはどれくらい普段ひとつひとつの屋根の下に人間の暮らしがあるんだと意識しているでしょう。
 封鎖は見ず知らず赤の他人の大切さ有り難さを知るいいチャンスではあるのかもしれません。

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 カレー大魔王のツレが、いよいよ我慢できなくなって近くのインド料理屋まで散歩することにしました。シャッターが半分閉まってたのだけれど中の人に声かけたらテイクアウトだけやったらいいよーと、まだ1時間も開店前なのに開けてくれました。
 お得意さんというほどでもないんですが、おぼろげにわたしたちの顔は覚えていてくれたようです。これも確実にご近所さんの誼(よしみ)ってやつですね。
 

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入江敦彦『英国ロックダウン100日日記』
四六版並製 224ページ 9月下旬発売
本の雑誌社刊

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