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『人新世の「資本論」』を読了しました。重かった。

ずっと読みたかった斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』を読み終わりました。

20万部のベストセラーだし、新書大賞第一位なので、読まれた方も多いのではないかと思います。
衝撃的な本ですよね。
ちょっともう、打ちのめされています。
読み始めてから、人生観が変わりました。

今のままの経済活動を続けていたら、近い将来、地球は破滅への奈落に突き落とされる。
そのトリガーが資本主義経済。このまま大量生産大量消費を続けても、一部の資本家が利益を独り占めするだけで、庶民にお金は回ってこないし、地球は食いつぶされてしまう。
『資本論』やマルクスの考えたことを取り上げながら、我々がみんなで生き残るにはどうすべきか、次世代の子どもたちに地球を明け渡すにはどうすべきか、そういったことが論じられています。

先月もNHKスペシャルで地球問題を放送していましたし、ああもうシャレにならない状況にきているんだなあというのは、感じますよね。
近年の台風や大雨のすさまじさたるや、昭和の頃の比ではないですし。
確実に地球温暖化はきているし、その影響はあらわれてきている。
また、ガソリンや灯油価格も、20年前の1.5倍ですし、加工食品の値上げも珍しくない。原材料高騰により……って単に円が負けてるからではないでしょう?

そういう現実を考えながらこの本を読むと、怖いです。
なんとな~く昨日の続きの今日、今日の続きの明日が来ると信じていた日常が、吹き飛びます。
今の子どもたちが老いていく頃、地球は暴力が支配する無秩序な世界になっているかもしれない!
環境の悪化は止めようがなく、夢も希望もない滅びの世界に、我が子を残して逝くなんて!

ということで、斎藤氏は〈コモン〉という共同体社会の提言をされています。
すべての人に等しく分配する社会、というと社会主義や共産主義みたいですが。ソ連型の社会主義は、あれ、社会主義の皮を被った権威主義ですからね。斎藤氏は、参加型社会主義といって、政府が主導するのではない、市民が関わる共同体としての仕組みを訴えておられます。
持続可能で平等な社会。
SDGsの手法を斎藤氏は批判されてますが、理念はSDGsそのもの。
SDGsをさらに進めないと、人類が生き延びる未来はない、というのが氏の主張。

そうは言っても、毎日資本主義経済の中で生きているわけだし、急に脱成長社会に切り替えられないし、というのが、読者の本音ではないかと思います。
地球温暖化がやばいのはわかった。資源が枯渇したり、食糧難になる未来もわかった。でも、個人で何ができる?
小手先のエコ生活では間に合わない、って言われても、いきなりNPOとかできないし。

共同体社会って、昔の田舎のムラ社会みたいなもん?
あれ、女の無償労働を基本にしてるし、プライバシーも人権もないし、農繁期は男女ともに全然休めないし、それが嫌で逃げてきたんだよね。
というような人は、一定数いると思うんですよね。
つまんないいじめもあるし。
老人や障がい者に対する扱いも、微妙だし。
誰も犠牲にしない平等な社会を掲げつつ、誰かが犠牲になる前提の社会は、嫌じゃないですか?

また、商品としての価値ではなく、使用価値に重きを置いて、科学やテクノロジーは利用しつつも、画一的な分業ではなく、労働の創造性を回復させる……とありますが。
でもテクを使うと、二酸化炭素出ますよね? 脱炭素化しようとしたら、電気をつかわない社会を目指さないと無理じゃないですか?

目指すレベルは1970年代後半の社会とも仰ってますが、確かに当時は「今日は暑いね~、うわ30℃じゃん!」っていう状況でしたけどね。今より5℃程度低い夏気温。
でも、スマホも携帯電話もなく、PCも家庭用ゲーム機さえも、一般的な家電じゃない時代ですよ? 今さらそのレベルには戻れないでしょ? 
それこそ甘いプランじゃ意味ないですよね。

この本は、マジで読者をこれでもかと論理的にビビらせてくれるんですが、その対策の提案にもちょろちょろほころびを感じてしまうのですから、読者みんなが自分で考えて行動しないとまずいな、というのはわかります。
地球は一つしかないので。
食糧問題はどこか遠い国の話、なんて思ってたら、輸入が止まった時点でこの国は終わりますからね。
最悪、自給自足できる能力を身につけないと、生物として生き延びられないかも。
お金を出して買えばいいという発想からの、脱却ですね。

持続可能な未来のための変革。
そのために、見知らぬ誰かを踏み台にして、自分だけいい思いをすればいいという発想も手放さなければならない。
日本人には、何よりこれが難しいかもしれないですね。
世界中の後進国が、日本と同じ経済レベルになるために、我々は今後我慢し続けなければならない、って納得するのしんどいでしょ?
でも、世界中の国々が「自分たちもいい生活したい」ってがんがん開発しまくったら、地球はもたないので。
地球を持続させるために、みんなで平等になりましょうというのが、苦肉の折衷案だと思います。
だから、我々も大人になりましょうよ。
まあ、疑心暗鬼との闘いでもありますけどね。

我々は、戦後の高度経済成長を経て、先進国としての生活を手に入れることができました。
でもそれは、後進国の商品を安く買い叩いたりした上での、繁栄なんですよね。
ファストファッションやファストフードが安いのは、誰かがどこかで、低賃金労働者に甘んじてくれているから。
この恵まれた環境に生まれたツケは、きちんと行動で示さなければならない。
そんなの年寄が好き勝手やってきたんだろ? って?
昭和の子どもより平成の子どもの方が、よっぽど恵まれた環境にあったけどね。
てか、もうそんな駄々っ子みたいな議論やってる場合じゃなくて。

スマートに、持続可能な社会をつくるにはどうすべきか。
我々ひとりひとりが自分事として政治に参加し、きれいごとなんて馬鹿にしないで、目の前の問題にみんなで取り組んでいく。それをすでにやっている人たちから、学ばせてもらう。そういうことなのかなあと思います。
そして資本主義経済に溺れないように、何でも買おうとしない。
自分の時間を、時給換算で考えない。
課題が多すぎて、その課題に溺れそうです。
でも逃げられないもんね。地球のスペアはないから。

しばらく、この路線で学び続けることになるでしょう。
子どもたちに、つつましくはあっても安んじられる未来を残したいので。


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