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素人が読むシェイクスピア『テンペスト』(ネタバレあります)

先月より、シェイクスピアをちょろちょろ読んでいます。
縁あって『タイタス・アンドロニカス』を読んだことは、先日記事にしました。
しかし半世紀も生きてて、シェイクスピア読了はたったの3作品……。情けないよなぁ。
なので、よし!これを機にシェイクスピア全作品読破だっ! と無謀な野望を打ち立てた次第でございます。(ホントに無謀……)

奇しくも、私は今、シェイクスピアが亡くなった年齢と同じ52歳なんですよね。
「読んでないんですよ~、てへ☆」なんてやってる場合じゃない。
悔しかったら挑戦すべし。
幸い、ちくま文庫でシェイクスピアを揃えている図書館を見つけたので、お世話になることにしました。

で、『テンペスト』

選んだ理由は、読んだことのない話で、かつ背幅が薄かったから(笑)
いきなりごつい大作に手を出して返り討ちに合ったら、もう目も当てられないじゃないですか。という言い訳。
でも、何事も助走は大事。階段は一つずつ上るべし。
直感は意外と莫迦にできない……であればいいなと願いつつ。

以下、ネタバレありますので、ご了承ください。

あらすじを粗く説明する

冒頭から嵐の中、今にも難破しそうな船の上。
水夫さんたちが頑張っているのに、横からちゃちゃ入れるナポリ王だのミラノ公だのがいて、そういうお偉いさんを水夫が怒鳴り散らしてる。
え? マジでやばいんでは? と思っていたら、案の定転覆。
しかも次の場面で、その様子を近くの島から見ている父と娘が登場し、実はこの沈没劇はこの父親・プロスペローの復讐の一端だったことがわかります。
海に飲まれたはずの人々が、それぞれこの島に打ち上げられていき……となると、復讐劇がどう展開していくのか、ハラハラしますよね。
何しろプロスペローとは、この島に流された元ミラノ公。

『タイタス・アンドロニカス』で、あんなにばかすか殺しまくったシェイクスピアさんだもん。さぞかし派手なやりとりが行われるのかと思いきや、びっくりするほど穏健派に描かれたプロスペローさん。
あれは若さというヤツだったんでしょうか。
『テンペスト』は、シェイクスピア単独で書かれた最後の脚本だそうです。
じゃあ、こちらは……老い?

プロスペローは名君なのか?

で、主人公にして、大公位を追われ、島流しにされたプロスペローさん。
御自分で娘さんに「名君の誉れ高く、学芸にかけても右に出るものなし」とか言っちゃってます。
日本人の感覚だと、それどうなの? 部下が太鼓持ちしてるだけじゃないの? と思ってしまいますがね。
事実、次に「学問にのみ専念し、国事の一切は弟に任せきって、政治のことにはますますうとくなった」って、アナタ暗愚な君主って自白してるようなものですよ?
え? 昔はそれを「ダメな君主」とは言わなかったんですか?
そんなプロスペローを蹴落として新ミラノ公となったのは、ずっと兄のしりぬぐいをしてきた弟・アントーニオ氏。でもその反逆って、同情の余地あるんじゃなかろうか……。

なんか、プロスペローって、他人が自分に尽くすのは当然だと思っている、そういういやらしさがあるんですよね。読んでて。
例えば流された先の島で、先住民のキャリバンを奴隷のようにこき使う。
そもそもこの復讐劇も、妖精のエアリアルにすべてやらせる前提で進める。用が終わったら解放してやると約束しているのに、なかなか用を終わらせない。
途中から、ひょっとしてこの物語は、復讐劇をたくらんだはずのプロスペローに対する、エアリアルとキャリバンの復讐劇なのでは? と思わせるくらい、プロスペローの強権ぶりが醜い。
名君とはなんぞや。

時代的には『テンペスト』より少し前になりますが、室町幕府の足利義政も確かそんな将軍でしたよね。政治にあんまり興味がない。
太平の世の中だと、そういう君主でも務まるんでしょうけど、案の定、義政といえば応仁の乱。

解説を読むと、プロスペローに重なるのはジョージ1世とのことで、あれ? ジョージ1世って誰だっけ? と思ったら、スコットランド王ジョージ6世(ややこしい!)なんですね。あのメアリー・スチュワートの息子の。
お母さんの代はいろいろもめたけど、彼の代で大英帝国の基礎ができたし、時代は落ち着いてきてたのかな?
いや、でも、政治に興味のない君主はまずいでしょ。日本みたいな島国でも、内乱が起きたわけだから。
まして、ヨーロッパのように外国との距離感も近く、王家の血縁も入り乱れている国では。
名君とは、なんぞや。

赦しの意味とは何か

ネタバレします! って言っちゃってるので書いちゃいますが、このお話の結末にあるのは赦しです。
血沸き肉躍る復讐劇を期待させておいての、赦し。
解説では、プロスペローにシェイクスピア自身を重ねていたのでは? 年を取って、新進気鋭の後輩作家に及ばない部分を悟り、醜くない退場の仕方を考えていたのでは? 等々あり、確かにそれはあるかもな~と思いました。
だってやっぱり、自分よりすごい後輩を妬んだり、嫌がらせしたりするって、年長者としては格好悪いですもん。
後輩がいくら面白いお話を書いたって、その土台にシェイクスピアの作品がある。それを言えるのは他人だけで、シェイクスピア本人が言ったら愚かですもんね。
あ! ひょっとして、そのなけなしの矜持が、プロスペローの名君よばわりだったのでしょうか?

とは言え、プロスペローは人生の3分の1、流刑地にて不遇の人生を送ってきたわけですから。(しかも30歳そこそこの頃に流されてる)
やりたいこともたくさんあっただろうに、いくばくかの本は持たされたとはいえ、気づけば老年(当時)で、悔しいだろうなと思います。
これ、氷河期世代の非正規雇用蟻地獄にも、相通じるものがあるんじゃないでしょうか。
私も結婚や出産で退職せざるを得なかったので、氷河期より数年上な分、非正規の仕事を探すのも大変でした。これからもどうなるかわからないし。
人生の先のことなんてわからないので、あの時ああしていれば……という後悔は、たくさんあります。本当に悔しい。
でも、今さら仕返ししたって、時間はもとに戻りはしない。それをシェイクスピアもわかってたろうし、プロスペローにもわからせたかったのかもしれません。名君設定なので。
自分の残された時間は少ないし、可能性なんてないと悟るのは、本当にしんどいです。でも、あがくのもまた辛いだけ。
残酷な物語ですよね。

赦しの意味で、もう一つ。
これは個人的な感覚なのですが、年齢的に、もう人が死ぬお話自体が辛かったりします。
殺人だろうが事故死だろうが、死そのものを描かれるのが、辛い。
読者はあくまで作品から一歩引いた立場にありますが、それでも死者にどんどん近づいている(寿命的に)ので、どうしても死にゆく人に感情移入してしまいます。
いずれ我が身に及ぶ苦、との距離感、ですかね。
ひょっとしてシェイクスピアも、そう感じる部分があったのかもな~と、ちょっと思ってしまいました。何しろ、私は今、シェイクスピアの亡くなった年齢なので。
生きることは未来につながるし、それは希望そのものです。
プロスペローは殺さず、返り討ちにも遭わず、物語世界は幕を下ろしても、どこかで続いていると思うこともできる。
それを願ったのかもしれません。

文学無知の壁を見上げて

『テンペスト』を読んでいて、やっぱり今回も感じました文学無知の壁。
会話の描かれ方が、キャラクターによって詩文だったり散文だったり違っていて、でも補足を読まないとそれに気づかない鈍感さよ……。
シェイクスピア作品のそういう表現的な部分は、一朝一夕にはわからないし、さらに言えば原文で読まないとわからないだろうな、とも思います。
わからないけど、でもラクして最短距離で理解しようというのは甘いと思うし。
専門的に研究されてる方は、じっくりみっちりシェイクスピアと付き合われてるんですもんね。素人がなにゆうてんねんって。
文学もそういう壁にぶつかるから、読めば読むほどコンプレックスを刺激されるのかもしれないけれど、自分の至らなさを知るって、年を取るほどに必要になってくるし。
自分がちょっとこの分野に詳しくなってきたな……と思い始めたときこそ、そういう壁にぶつかりに行く勇気が必要なのかもしれない。
と、自分を奮い立たせる現在進行形。

文学って何だろう、とふと思うことがあります。
芸としての技巧を味わうものなのか。
自分とは違う他者性を感じるものなのか。
他者性の中に、自分にもある部分を見出すものなのか。
広義の文学となると、哲学や歴史学も入るので、またちょっと変わってきますが、結局は自分が楽しむものなのか。
読み方によっては、自己啓発本のように読める場合もあると思います。
例えば、ギリギリのところで人間を善人に描く作品は、世知辛い時代には癒し効果があるでしょう。
自分と似た思考の本を読めば、自己肯定感も増すかもしれない。
いずれにしても、読まないことには始まらないわけですよね。

幸い図書館はまだ利用できます。
できれば買って読みたいけれど、高くて手の出ない本ってありますよね。
どう生きても自分の人生。
年を取っても成長し続けたいので、私も読書し続けたいと思います。

ありがとうございました。


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