ビジネス書を掘り起こして、読んで、考えたこと。

積読本の整理をした。
積読タワーが幾棟か建っているが、ときどき整理をしないと下の本が傷んでしまう。わかっているのに遅れた。最下層の本が重みで歪んでしまって、泣きたくなった。本をクロスで拭いて、窓際で少し風に当てて、積み直す。その際、買ったまま忘れていたビジネス書を手に取り、そのまま読んだ。

ビジネス書と自己啓発本は、メンタルが弱くなっている時に買いがちである。数年前、図書館でもよく借りていたが、立ち寄った本屋さんで見かけると、ついふらふらと買ってしまっていた。メンタルが弱っているから、正常な判断力はない。……なんて言うと、ビジネス書と自己啓発本が悪徳商法の商材のようだが、結構紙一重なんじゃないかと思うときもある。一度買うとくせになるあたり、中毒性があるのかもしれない。

で、3年くらい前に買ったビジネス書を読んで、思ったこと。
ビジネス書って、もろ参考書なんだなあ。
つくりが、参考書。仕事のための、参考書。
わからないことを調べるためのもの。すぐに日常の仕事に役立てるべきもの。
だから、誰にでも読みやすく、わかりやすく書かれてある。

そして、読者個人に語り掛けるように書かれているから、こんな文章ばっかり読んでたら、そりゃ自己中心的なものの考え方になるわな、と思った。
ビジネス書って、どこまで行っても、向き合うのは自分自身でしかない。
自分がどうするか、それだけ。
もちろん、対人関係などの本で、他者との向き合い方が書かれた本の場合はちょっと違うかもしれないけれど、でも「あなたはこうした方がいい」と語りかけられていることに変わりはない。
そして行動する人だけが得られるものがある、と煽ってくるから、自己責任論につながっていく。

というふうに感じたのも、歴史や文学の本は、他者(世界)と向き合うようにできているから。
よく「自分と違う考え方を知るために小説を読め」と言われるけど、そもそもの文章のつくりが違う。
ビジネス書でも、すごい経営者の発想を知ることができて「おおっ、こんな考え方があるのか!」となることもあるけど、あくまで資本主義を前提とした発想でしかないし。
日本は資本主義の国だから当然じゃん! ってなるかもしれないけれど、人類は最初から資本主義経済を導入していたわけじゃないし、銭ですべては解決しない……。

ビジネス書って、解しか求めないんだよねえ。
解を求めようとして調べていったら、次の問いが生まれた、なんてことにはあまりならない。だから、そこが不完全なんだと思う。
矛盾しているようだけど、人間の問いが全部解決するわけなんてないので、だからこそ調べて、考えて……というのを繰り返すうちに、自分でも思いもよらなかった境地に立つ……というのが、人生の深みなんじゃないかと思う。

ビジネス書は、書かれたものを読んで、まあ自分流にアレンジして応用する……といったあたりは思考するけれど、書かれた内容の理論を追究したりはしないよね、あんまり。違うと思ったら、採用しなきゃいいだけだから。
だから、自分の問いそれぞれに合わせたビジネス書が必要になるし、人間の記憶力なんて曖昧だから、過去と同じ悩みをぐるぐるした場合、また別のビジネス書が欲しくなる。お得意さん常連顧客の誕生。
根底に自己責任論があるから、どんどん買って読んで、自分を向上させなきゃいけない強迫観念に襲われる。真面目な人ほどこのループに陥り、抜け出せなくなる。

もっとも、ビジネス書が100%悪いかというとそうでもなくて、使い方によっては便利だからこそ、やめられない。
ただ、視野は狭くなる。ビジネスでしか物事を考えられなくなるから。そこは要注意。特に、これからの時代は。

だからいろんな分野の本を読んで「自分はこんなにも世の中のことを知らない」と思うくらいでちょうどいいんだと思う。
自分が知らないことが、世界にはたくさんある。故に、知っている人を尊敬できるし、自分にできないことができる人は、貴重な存在だと思う。
人間的に癖がありすぎて、自分とは合わない他者であっても、自分にはない長所を必ず持っているから、学べる相手ではある。
……というとこらへんは、割と自戒的に思うようにしている。人間、増長するのはたやすいからねえ。増長して、粋がって、やらかしてしまうので。

なんてことを思い至ったのもビジネス書を読んだからなので、この世に無駄はないとも言える。
後はまあ、自分がどれだけ知らなかった世界を見たいか、かもしれない。

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