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【読書記録】『誰のための排除アート?』を読んで考えたこと

ちょっと前に、X(旧Twitter)で新宿の排除ベンチが話題になっていました。
その時、この本を読んでいる方がいらしたので、私も読んでみた次第。
五十嵐太郎さんの『誰のための排除アート? 不寛容と自己責任論』です。

この本は岩波ブックレットなので、はっきり言って「薄い本」です。
お値段もお手頃だし、超初心者向け。
「排除ベンチって、そもそもいつごろからあるんだっけ?」
「なんでこういう風潮になっていったんだっけ?」
そんな疑問に、答えてくれる本でした。

ホームレスの増加は1990年代に入ってからのようですが(終戦後にもいた、とかいう話は、ここでは置いといて)、それが90年代後半の新宿西口通路ダンボールハウスの強制撤去と、ホームレスに立ち入りさせないための排除オブジェ設置……という流れに行きついたわけですね。そして、ベンチで寝させないための排除ベンチに至ると。

これらの行政対応も、住民からの苦情を汲んで……とのことで、まあ確かに気持ちはわからんでもないんですよ。ホームレスの男性がいて、じっとこっちを見てたりすると、やっぱり怖い。
私も地方に住んでたとき、公立図書館の地下駐輪場にホームレスの男性がいて、まだ幼児さんだった息子が睨まれて、怖かったんです。
多分、同様の方が多かったんでしょう、地下駐輪場を使う方は減って、軒並み駐輪禁止区域への駐輪が増えて、それでも一度も撤去されることはありませんでした。

ホームレスの男性は怖い。でも、誰だって好きでホームレスしてるわけじゃないし、真冬なんか特に、暖かい部屋で休みたいに決まってる。
怖いから、目の前から消えてくれればいいなんてのは、自分のことしか考えていない証。もっと根本的な部分を考えないと、解決にならない。

そもそも、バブル崩壊後の大量リストラや採用枠縮小、非正規雇用増大で、ホームレスになってしまう人が増えてしまった。
普通に生活していた人が、その人とは関係のない事情で、職や住まいを失う状況が増えていった。
一度リストラに屈してしまうと、派遣社員など非正規雇用の仕事にしかたどり着けなかったりして、会社都合でモノのように切り捨てられてしまう。

本来、ホームレスの方の生活再建を支援するのが行政の仕事なのに、いや、そういう支援もされているんだと思いますが、でも足りない。足りないから、路上生活をせざるを得ない人が、今もどこかにいらっしゃる。

こと街づくりを考える上で、いかにホームレスを排除するか、いかに経済的利益を上げるか、という点ばかりが優先され、この街をどういう街にするかという都市の理念もなく、いきあたりばったりで流されるままになんとなくやってる、それが日本の都市行政ではないか。そういうことが、この本の中で問われています。

いや、これ、都市計画の話だけじゃなくて、日本の政治の本丸がこれじゃない? とも思うんですけどね。
この国をどういう国にしたいか、という理念も計画性もなく、ただただ目先の利益に飛びつき、自分たちと一部のお仲間が潤うことを考えている。
そうしてやったことの責任を負う気は、さらさらない。

そう。アート作品としてのオブジェには、作者名と題が一緒に提示されるのが普通とのことですが、でもこの本で取り上げられている排除アートには、それらがない。アートとしつつも、誰も責任を取る気がない。

排除ベンチも、寝転がることはもちろん、どんどん座りにくい形状に変化していって、休憩したければお金を払ってカフェに行けと言われているかのよう。
でも、みんながみんな元気で健康でたくさんお金を稼げるわけじゃないじゃん? というのを、今月初めに転んで靭帯痛めた私としては、つくづく感じました。座面の小さいベンチで転倒したら、今度は寝たきりになっちゃうよ。せめて休憩を挟みながら移動できるように、街中や駅やバス停に安全なベンチを置いてほしい。

階段の手すりも、今、すごくありがたく使わせてもらっているので、身体の弱い人が使うものという目線で、設置して欲しいなと思います。
なので、スケーターが手すりを滑るのには、あまりいい感じがしません。手すりが摩耗したら、手すりがないと歩けない人にとっては危険なので。

結局、排除アートや排除ベンチって、その街で大きな金額を動かせる人たちの利益のためにあるのかよ、ということなんですね。稼げる行政、ですか?
何千万もかけて排除アートを設置するなら、ホームレスの自立支援に使おうよ。庶民の憩いの場としてアートが必要というなら、その空間をどういう空間にして、庶民の暮らしをどう向上させるのか、この街はこれからどういう街になっていくのか、ちゃんと計画を立ててやろうよ。そして庶民の暮らしが向上しなかった場合、責任を取ろうよ。ホームレスも庶民のひとりだということも忘れるな。

というようなことは国にも言えることなので。
主権者たる我々が、この国や自分の住む街(町)をどんなところにしていきたいか、自分だけの利益ではなく、誰も切り捨てない街にするにはどうすべきか、それらを考えるところから始めるべきかもしれませんね。

そして、考えるためには多くの情報が必要で、知識や教養をどう読んでいくか、そこからどう考えていくかが重要なので、本を読む口実をまたまた己にあたえてほくそえむのでした。

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