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『モラハラ環境を生きた人たち』を読んで、被害者を生きる覚悟を考えた。

実は夏以降、ずっとユダヤ史についての読書を重ねているのだけれど、それについて記事を書く踏ん切りがついていないので、合間に読んだ本について書きます。

先週、いろいろ考えることがあり、精神的にも疲れていたので、お休みをもらって読みました。
『モラハラ環境を生きた人たち』。

モラハラってもう一般用語になってますから、あえてどうこう言う必要もないかと思いますが。
暴力を伴わなくても、相手をボロクソに言う、貶す、ダメだしをする、自分が不快だとこれ見よがしにため息をつく、全部モラハラにつながる行為ですね。
日常的に、家族や職場の人などからそういう対応をされたら、普通に心が傷つきます。病みます。
ごめんの一言で解決できる問題じゃない。別居したり会社を辞めれば、傷が癒えるわけでもない。その後、長期間にわたって、被害者は傷と向き合う人生を歩まなければならない。
本当に言葉は暴力になりうるんですね。

私もいろいろモラハラに遭遇してきたのでわかるんですが、まず被害にあうと、人の顔色ばかりを伺って、自分で考えて決断ができなくなる。
怒られるか怒られないかが、判断基準になってしまう。
……って言うと、日本人ってそういう判断基準の人、多くないですか? って思ってしまうのですが。母親が子どもを叱るときに「パパに叱られるよ」とか「おまわりさんに連れていかれるよ」とか、言う人いません?
判断基準を自分で持ちましょう。
大事なのは、自分はどう考えるか、です。

配偶者が怖い。親が怖い。上司が怖い。そんな環境にいたら、「怖くないようにするにはどうしたらいいか」って発想になりますよね。そして、配偶者や親や上司が喜びそうなことをする。頑張って、忖度して、気を回す。
でもそんなことをしたって、相手が感謝することもなければ、些細なことから怒鳴り出すのを止めることもできない。
だから、そんなことする必要もないし、自分を大切にしてあげようよ。
というような書き出しから始まる本です。

その上で、心の傷の苦しみから被害者であるはずの人が、容易に加害者へと滑り落ちてしまう危険性も、この本では丁寧に諭すように書かれていました。
自分の苦しさをわかってほしいという気持ちから、他者にそれを押し付けたくなってしまう。加害者を非難したくなる。加害者に似た言動をする第三者を攻撃してしまう。
他の人から見れば、近づきたくない人になってしまうんですね。わかります。私がそうでした。今もそうかもしれない。

モラハラは絶対ダメだけれど、自分のために他人を抑圧せずにはいられないモラハラパーソナリティと、無知ゆえにモラハラとも取れる発言をしてしまう人は違うわけで、そこを一緒くたにして「あの人はモラハラじゃん」って決めつけるのは危険……ということですね。
でも、一度被害に遭うと、モラハラアンテナが立っちゃってるから、過敏に反応してしまうのよ。わかってる。本当はいい人かも……と思った挙句の地獄を知ってるから、二度と同じ目には合いたくない。なるべく距離を取って、石橋をどんなに叩いても壊れないくらいの安心と信用を確信しなければ、警戒心は解けないと。逆に言えば、傷つく前に、その予兆を察知したくてたまらない、察知する安心感を得たい、そういうことか。

なので、無理に人づきあいを盛んにしなきゃいけないとか思わなくてもいいんだよね、ということです。
人脈が豊富で、友だちが多くて、Twitterのフォロワーが多くて、そういうことが幸せにつながる部分も確かにあるけど、自分がそれをやるのが辛ければ、別にいいじゃん。
少なくとも、人と交わりたいが為に人を傷つけるより、今の自分にはまだ自分の傷を癒す時間が必要だから……と、自分と向き合う方が、気持ち的にラク。そう思うのは、なんやかんやの人生に向き合うために、いろんな本を読みまくってきたからかもしれませんが。

この本も、読みようによっては自己啓発本の部類に入るのかもしれません。
読書好きの人たちに言わせると「自己啓発本を読むのは読書じゃない」ですが。
私は、自分が本当にしんどい時に自己啓発本を手に取るのは、アリだと思ってます。私もいっぱい読んできたし。
そもそも哲学も宗教も「人はどう生きるべきか」についての考察だし。
ただ、耳に心地よい言葉ばかりを浴びていると、感覚がおかしくなってしまうので、時には耳の痛い言葉だったり、自分と感覚の全然違う人の文章だったりを読んだ方が、安全走行できると思います。
まあ、自己啓発本って同じようなことばっかり書かれているから、そのうち飽きる。私は飽きた。ビジネス書も然り。
自分と対話することは必要だけど、それだけじゃ世界が狭まるし。視野を広げるには、いろんな本に触れることですね。特に今は。

まあ、なんだかんだ言っても、モラハラのない社会が一番なわけで。
そのためにも、モラハラアンテナを自分自身にも向けて、まず自分の言動をチェックしなきゃいけないなと、身の引き締まる読書となりました。
残りの人生、人づきあいの鍛錬に費やしていくのもいいんじゃない?
それと同時に、気になることをどんどん学んで、知ってることを増やして、無知からくるモラハラを少しでも回避できればいいね。
という秋のひとコマでした。

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