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村田喜代子さんの『飛族』を読んで考える、国境の島に生きる未来

村田喜代子さんの『飛族』を読みました。

東シナ海の離島に住む老婆たちの生活を、大分から来た娘ウミ子(65歳)が見つめる物語です。
限界集落ならぬ限界離島の現実と未来が、描かれています。

離島生活の限界と国防の限界

住民は老婆三人という離島で、最年長の南風原ナオさんが97歳で亡くなり、ウミ子は母親のイオさん(92歳)を九州本土に引き取ろうと考えます。
しかしそうすれば、島にはイオさんの友人・金谷ソメ子さん(88歳)がひとりで取り残されてしまう。
そんな葛藤を抱えつつ、他の島の人たちと交流するうちに、離島生活を支える莫大なインフラ・コストの存在にぶち当たります。
週一回の定期船便の油代だけで、年間2000万円かかる!
それが、二人の老婆のためだけに維持せざるを得ないのだとしたら、娘としてはいたたまれないですよね。
とにかく一刻も早く島から連れ出さなくては、と思ってしまう。

しかし、役場の若い青年・鴫は、反対のことを言います。
国境線に近い島が、無人島になってしまったら、密入国者のいい標的になる。できれば娘さんも一緒に島で暮らしてほしい、と。

我々は普段、コストをいかに抑えるか、その上で収益をいかに上げるか、そういうことばっかり考えてきている気がします。
採算の取れないプロジェクトは終わらせて、ブルーオーシャンを探して。
その考えでいくと、限界集落は放棄して、街中に移住してもらい、インフラ・コストを抑えて福祉につなげる、それが正解だと思ってしまいます。
でも、そうやって端っこを放棄していったら、当然国境なんて無防備になるんですよね。

我々は、地図上に引かれた国境線は絶対だと思っています。
それが変更されたのは、戦争で負けたときだけだと。
でも、海上の国境線なんて誰にも見えないし、壁をつくって検問所を設けるわけにもいかないし、実際は外国船もどんどん通っている。
そして、虎視眈々と領土拡大を狙う隣国が、アジアにはあるわけで……。

2000万をケチるようでは、国防なんてできないわけですよね。
むしろ、何億もする兵器を購入するより、離島のインフラにお金をかけて移住者を募る方が、よっぽど現実的な専守防衛策になる。
国境線を侵食されたら、もう密入国者が入り放題になるわけですから、ちょっともう国家としての体を成していないんじゃない? 状態。
で、その国境線を、町役場の青年が、小さなボートでパトロールしながら守っている。

このお話の舞台は、日航機墜落事故から50年後なので、2035年あたりだと思われます。
ありえそうな話で、まずい状況……です。

わかっていても都市に吸い寄せられる性

そうわかっていても、じゃあ離島に移住するわ、ってならない人が多いだろう、そこに人間の性があるんですよね。
別名、向上心ともいう。
物語の中でも、イオさんソメ子さんの住む養生島より開けていたはずの島が、どんどんさびれていく過程について、住民が話しています。

「不便とは違うな。ただもっと便利な暮らしを知って、島を出ていった。町がひらけると、そのぶん外がよう見えるようになる。魚臭うない職場、クルマ、大型スーパー、とりどりの外食店、ディスコなんちゅうもんもある」
老人は逞しい風貌で、耳のもみ上げの白髪が鰺の銀色の鱗みたいに見える。
「われもわれもと島ば出ていった」

村田喜代子著『飛族』

そう。わかっている。でも、誰が止められようか。
私も田舎を出て東京に住んでいる身です。止められはしない。
誰だって、条件のいいところで生活したい。生活を向上させたい。当たり前のことじゃないですか。

だから、地方を切り捨てるような方向でいくんじゃなくて、自己責任を押し付けるんじゃなくて、名も知らぬ国境の島にも、我が事として意識を向ける必要があるのではなかろうか。
読みながら、ずっとそういうことを考えていました。ウミ子さんと共に。
せめて、国境の島々に旅をしに行くとか。
観光客としてではなく、国民として国防のために。

資本主義社会の深み

「楽なぶんだけ、どんどん潜って深みにはまりやすい」

村田喜代子著『飛族』

92歳のイオさんは言います。楽こそ恐ろしい、と。
これは海女としてのイオさんの経験ですが、ものごとすべてに当てはまる気がします。

例えば、上述のさびれていった島では、残った島民のすべてが、昼間は別のもっと大きい島の漁協に働きに行きます。
朝晩は住民のいる島も、昼間は無人島。
また前述の、離島を警備して回る役場の青年・鴫の妻も、昼間はパートに出ています。
自営で漁をやるより、勤め人の方がラク。収入が安定するし。
我々の多くもそう考えるから、就職活動をします。
そして、資本主義社会の搾取システムに組み込まれてゆく。

イオさんやソメ子さんは元海女なので、魚や海藻を自分で捕ります。
畑も耕して、野菜も育てます。
お金で買わなければいけないのは、味噌や醤油の加工品、鶏を飼えないゆえのたまご、米、プロパンガス、それから電気代と医療費・薬代。
これらの代金を、もちろん娘のウミ子さんが援助している部分はあるでしょうけど、しかし自給自足の部分によるコストダウンも大きい。
また日中、イオさんやソメ子さんがすることと言えば、祈りだったり、鳥踊りだったり、お金のかからないことばかり。

大量生産大量消費の資本主義経済にどっぷりはまっていると、お金がなければなにも得られないのが当たり前になってしまいますが、その分、自由が無かったり、搾取の構図から抜け出せなかったり。
クリック一つで商品が家に届く便利さに、首根っこを押さえつけられているんですよね、我々は。

そういうことを、老婆たちは暗に揶揄しているのかなと。

老婆の達観

年寄の話のやり取りは食い違うことがない。およそ彼女らの言い分に争い事はなくて、双方の話は相和して溶け合い一つの話となってつながるのだ。人生の終幕が近づくと、自分たちが引く幕の破れやほころびを自然と縫い合わせる。年寄りの合い言葉はいつも、
「おお、そうじゃ、そうじゃ」
か、または、
「そうかもしれん、そうかもしれん」
というものだ。

村田喜代子著『飛族』

たった二人しかいない、同じ島民であり友人であり戦友とも言えるイオさんとソメ子さんの間に、仲たがいはありません。
仮に意見の違いがあったとしても「そうかもしれん」でオブラートに包んで見えなくしてしまいます。
口論をしても、その修復に費やす時間と労力が、彼女らにはもう残されていない。ならば、すべきではない。

だからといってすべて流されるのではなく、イオさんは娘・ウミ子さんの「いっしょに大分に行こう」という提案をぴしゃりとはねのけます。
「次の定期便で帰れ」と。
ウミ子さんに、島に帰ってこいと言わないあたり、イオさんもわかってるんですよね。

老婆たちが執着するのは、島での自分らしい暮らしのように見えます。
だから、大きい島の老人ホームに入りたくないし、ましてや本土での山暮らしなどしたくもない。
それはきっと、贅沢なことなのでしょう。
わかっているからこそ、それ以外はこだわない、どうでもいいのかもしれない。

我々はいろいろなものを欲し、執着し、だから時に他人とぶつかってしまいまう。
他人を自分の思う方に誘導したいという、誘惑に駆られる。
でも、それをやって得られるものなんて、やることで失うものより、果たして大きいのだろうか。
イオさんソメ子さんを見ていて、思うのです。

魚のように生き、死して鳥になる人たち

この『飛族』を語る上で、外しちゃいけないのが、魚と鳥の対比ですね。
島の女性は全員元海女のようですから、みんな魚のように生きてきた人たち。
一方男性陣は昔は漁師で、イオさんの夫もソメ子さんの弟も、役場の鴫青年の祖父も、同じ海難事故で亡くなっています。
そして、海で亡くなった男たちは、空に飛び込み、鳥になったと老婆たちは言う……。

結局、離島に住む人たちは、海に閉じ込められているわけですから、その檻から出るには鳥になるしかないわけですよね。
鳥ならば、国境も関係なく、自由で。
生き残った女たちのいる島は、海鳥にとっては羽を休める休息場、つまり帰るべき港であるわけで。

国境線の島であっても、ここが自分たちの世界の中心だ。そう思っていても、立ちはだかる現実の障壁がなくなるわけではなくて。
しかし、それが自分たちの人生だったんだという潔さのようなものを、ちょっと感じました。

イオさんやソメ子さんは、鳥と会話したり、鳥になる練習とも思しき踊りを練習します。
でも多分、彼女らが鳥になることはなくて。
彼女らはきっと、島の土の上で天寿を全うするだろうから。
そう思うとちょっと切ないんですが、死後の世界が明るいところであればいいなと願うばかりです。

老婆は人生の大先輩

この物語に登場する人物の平均年齢は、とても高いです。
なにしろ若者は、役場の鴫青年くらいで、彼も多分30歳くらい(だと勝手に推測している)。
あとは若いと言われるウミ子さんが65歳なので、圧倒的に高齢者ばかりです。
もちろん、恋愛要素など皆無。
語られるのは、衰退していくこの国の未来……。

正直、もう若者のラブストーリーを読んでもなあ……という気持ちはずっと持っていたので、老人ばかりの物語は、かなり安心して読めました。
先輩! ついていきます! という感じですかね。

先の見えない時代に、新しいビジネスの傾向と対策……みたいな情報は、あちこちで見受けられます。
でも、そういう情報を活用し続けられるのって、かなり能力高い人でない限り、年齢が上がっていくにしたがって、無理があって。
それで、自分の立ち位置を見失ってしまう。

だからやっぱり、100年近く生きてきた人の諦観のようなものは、闇の中の灯台に似て、自分自身の芯をふるわせてくれる部分があります。
高齢者エッセイが人気だったのと、同じかもしれませんが。

村田喜代子さんの作品を今回初めて読みましたが、とても面白かったです。
また別の作品も、読んでみたくなる作家さんです。

ありがとうございました。

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