見出し画像

川上弘美さんの『このあたりの人たち』を読んで考える、地域と個人の関係。

このところ、大昔の人たちばかり追いかけていたので、たまには小説を読もうと思い、手に取りました。
川上弘美さんの『このあたりの人たち』です。

私は川上弘美作品が好きで、行き詰ったり落ち込んだりすると、無意識のこの方の本を手に取っちゃうんですがね。

以前もちょっと言及しましたが、川上弘美作品には、どんなキャラも排除しない安心感があります。
また、現実と異界とを行き来するトリップ感に浸れるので、目の前の自分の問題を突き放して見るポジションを得られます。
つまり、しんどいときの精神安定剤なんですね。

『このあたりの人たち』は、文字通り「このあたり」というあいまいな地域に生きる人たちのことを描いた短編集です。
「このあたり」は、日本のどこかの町のようでもあり、異界でもあります。
そこに生きている人々も、どこか癖のある人たちで、人と人でないものの垣根を軽く飛び越えていたりします。

はっきり言って、この短編集の登場人物たちの多くが、実際に身近にいたら「苦手だな」と思ってしまうような人たちかもしれません。
いや、そんな生ぬるい表現ではない、ほとんどのキャラクターに、近づきたくない。
みんな自己主張が強いというか、読者を引きずり回してくれるような人たちで……。
そんな人たちを絡めとるように存在する、「このあたり」という地域性ってなんなんだろう、と。
「このあたり」を中心にして、みんながそれぞれ関わり合い、影響し合い、人間性をつくりあっていく、という現実を感じずにはいられませんでした。

我々はひとりでこの世に生まれたわけではなく、またただひとりで成長してきたわけでもない。
そんなの、わかりきったことなんですけどね。
ひとりひとりが自分自身の「このあたり」に生きてきて、そこの人たちとぶつかったり、恥をさらしたり、嫌な思いをしたりしながら、今に至っている。
地域によってつくられる個人。
地域と絡み合うことで、変化していく個人。
だからこそ、面白いドラマがある。

この本を読みながら「かなえちゃんって怖いな」とか「校長先生には近づきたくないな」とかと思いつつ。
ふと我に返るのですよ。
私も、私が生きてきた「このあたり」の人たちに、そんなふうに思わせていたかもしれないな、と。
人間関係ってきれいに裏返しだから、自分が抱いた感情を、きっと同じように相手にも抱かせている。
自分だけが、面倒くさくない、なんてことはない。

なんて考えていたら、日々のもやもやがすぱっと晴れたりしてね。

この本を読んでいると、嫌でも自分の育った町について考えざるを得ませんでした。
閉鎖的で、監視してるような近所のおばさんがいて、いつも吠える犬や、よくわからないおじさんや、集落のリーダー的女子がいて、学校に行くと不良ぶってる男子がいる。
なあんだ。
「このあたり」とたいして変わらないじゃん。

そういう、どこにでもあるような地域に対して、どのような眼差しを向けられるか。
この本が描いているのは、そういうことかなぁと思いました。

別に、郷里を愛そう! とか言うのではなく、目線を変えて面白がることもできるよ? というような。
十代の頃は、とてもそんな余裕ないんですけどね。


ところで、この本の中で一番印象に残っている箇所は、

人間の方は変わってしまう。
(中略)死ぬことが怖くなった。

でした。
これ、真理だと思います。
若い頃には「先のこと」だった死が、年を取るにつれ、どんどん「迫ってくるもの」になる。
私も怖いです。
より怖くなるから、なるべく考えないようにしている、特に夜は。
健康であっても、事故に遭わないようにしていても、人間は必ず死ぬ。
そんな事実が呼ぶどうしようもない感情を、さりげなく入れてくるあたりが、とても人間くさくて好きです。

だから、もう少し人間として踏ん張って生きていこうかと、思っちゃうんですね。

よろしければサポートをお願いします。いただきましたサポートは、私と二人の家族の活動費用にあてさせていただきます。