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【読書記録】『内戦の古代日本史』を読んで考えたこと

倉本一宏さんの『内戦の古代日本史』を読み終えた話をします。

個人的に、この本はすごく面白かったです。
倉本一宏さんの文章が面白いというのもありますが。

え? そんなことまでわかるの? 
そんな史料あったんだ! 
そう推理する? 的な部分が多々あり、非常に面白く読めました。

倉本一宏さんは邪馬台国・九州説派で、その根拠に遺跡の建築様式を挙げられているのも納得。
狗奴国が熊襲になり隼人になっていくとか、権力の中心が畿内に移りつつも、北九州には残存勢力がいて、その集団と畿内政権との外交政策の違いから磐井の乱になったとか、いやもう面白くないわけがない。

壬申の乱も、周到に用意をした大海人皇子軍と、そんなつもりじゃなかった朝廷側(大友皇子軍)との対比が、時系列的に語られていて、ドキュメンタリー映画を観てるようでした。
とにかく面白いです。(面白いばっかり言ってて、ばかみたいだけど)

ただまあ、倉本一宏さんも仰ってるとおり、古代日本史の内戦って、本気でやってない感がだだ洩れなんですね。
特に、記録がたくさん残るようになったころからの乱(藤原宏嗣の乱以降)は、成り行きに流されるだけで「謀反」になっちゃってるというか、そもそも天皇家や王朝を倒す気もないし、目先のことしか考えてない。その場しのぎのことしかやってない。むしろ、これを乱って言う? という気がします。平将門にも藤原純友にも、本当は謀反するつもりなんてなかったでしょ? と聞きたくなる。

どちらかと言うと、朝廷側の「あいつ目障りだから排除しちゃえ」で謀反のレッテル張りされてない? 感が、します。よくないなあ、そういうの。誰も反省しないじゃん、被害者意識ばっかり積もって。

また古代王朝期の日本人は、怨霊が怖くて、残虐なことはしなかったようなんですね。恨みを抱いて死ぬと、後々祟られる。そうなると手に負えない。面倒くさい。
それが、武士が力を持つようになると、残虐になるんですね。前九年・後三年の役では、痛みが長引くように切れの悪い刃で首を切ったり、舌を切ったり(ひぃぃぃ〜)、逃げ出してきた敵方の女性・子どもと皆殺しにしたり。恐怖支配を前面に出して、勝つことにこだわる。

これ、武士の合理性なんだろうな、とは思うんですが。
でも、ただ勝てばそれでいいのか、政府軍として通すべき筋はないのか、そこなんですよね。そもそも、謀反を起こす側にも鎮圧する側にも、この国をどんなふうに発展させていくかという理念がない。

古代における反乱の規模だけを見ると、確かに日本って平和な島じゃんと思います。異民族が攻めてくるわけでもなく、王家が皆殺しにされるわけでもなく。大陸では数十万人規模の戦乱が起こっているその横で、数千人の小競り合いをやってる。
反面、平和だからこそ、天皇制というフレームの中でしか国家を考えられなかったからこそ、日本人の発想の限界ってあるよなあ、というのは否めませんね。

1000年くらいの間の内戦を一冊の新書にまとめられているので、正直、もっと突っ込んで知りたい! 読みたい! というのはあります。
そもそも先史時代(というか伝説の時代)の内戦も、実は、反乱鎮圧=話し合いや懐柔策で納得させる、だったようで、だったらヤマト王権の成り立ちストーリーもそんな感じ? と思っちゃうし。

本を一冊読めば、もっといろんな本を読みたくなる。
読みたい本を全部読めるほど、人生って長くないのにね。
だから読めるうちに、どんどん読んでいきたいと思います。

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