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初老耽美派がゆく!リモート浄土の旅

京都の南、当尾(とうの)にある浄瑠璃寺には、来世の教主である阿弥陀如来が座する「西方極楽浄土」と、現世の苦悩を救済する薬師如来が座する「東方浄瑠璃浄土」のふたつの浄土が再現されているといいます。
仲良し美術史家ユニット「初老耽美派」の高橋明也さん、冨田章さん、山下裕二さんのお三方をお誘いし、夏休みの旅行にと、「芸術新潮」編集長・𠮷田晃子さんの案内で〝浄土見学ツアー〟を計画したのですが……。

初老耽美派


山下裕二(やました ゆうじ)
1958年6月15日、広島県生まれ。美術史家。明治学院大学文学部教授。専門は室町時代の水墨画だが、縄文から現代まで幅広く日本美術を論じる。

高橋明也
(たかはし あきや) 
1953年8月1日、東京都生まれ。美術史家。三菱一号館美術館館長。専門はフランス近代美術。2010年にフランス芸術文化勲章シュヴァリエ受章。

冨田 章
(とみた あきら) 
1958年6月15日、新潟県生まれ。美術史家。東京ステーションギャラリー館長。専門はフランス、ベルギーおよび日本の近代美術。

初老耽美派とは・・・生年月日と血液型が同じ冨田さんと山下さんが還暦を迎えた平成30年、5歳年上の高橋さんを誘い、酔った勢いで立ち上げたユニット。理念は「ぼーっと仲良く美術作品を眺める」。書籍『初老耽美派 よろめき美術鑑賞術』も好評を博している。

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本記事は、「ひととき」2020年8月号の特集を一部転載してお届けします。

浄瑠璃寺から石仏の道へ

 人生百年時代の到来で、のんびりしたセカンド・ライフを計画しようにも、なんだかんだと仕事に追われる。「ゆるゆる生きる」が信条の美術史家ユニット「初老耽美派」のお三方も例外ではない。

 いっそ第2の人生はすっ飛ばし、浄土【1】をテーマに、あの世でのライフ・プランを考えてはどうだろう。そんな失敬なお誘いにもかかわらず3人は大乗り気。ならば目指すは京都の浄瑠璃寺。なぜならここには、浄土がふたつもあるからだ。さらに周辺に点在する石仏に親しみ、その後は江戸時代の絵師・伊藤若冲が眠る石峰寺(せきほうじ)へ――。

【1】仏の住む迷いや汚れのない清浄な国土のこと。阿弥陀如来の西方極楽浄土と薬師如来の東方浄瑠璃浄土がよく知られているが、釈迦如来は霊山〈りょうぜん〉浄土、大日如来は密厳国、阿閦〈あしゅく〉如来は妙喜国、観世音菩薩は補陀落〈ふだらく〉浄土、弥勒菩薩は兜率天〈とそつてん〉などと、あらゆる仏と菩薩に浄土があるとされる。

 浮き立つ3人であったが、残念ながら新型コロナウイルス禍により、泣く泣く現地ツアーを断念【2】。「もうすぐ往生座談会」(Ⓒ山下さん)となった次第である。

【2】取材は2020年5月22日。

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【浄瑠璃寺】湧水をたたえる宝池の東側から本堂(国宝)を望む

 浄瑠璃寺は京都府南端、木津川市の丘陵地帯、奈良との県境に近い当尾地区にある。その歴史を伝える『浄瑠璃寺流記事(じょうるりじるきのこと)』によると、創建は1047年(永承2年)、本尊は薬師如来だった。浄土とは仏が住まう清浄な地なので、仏の数だけ浄土もある。現世の苦悩を救済する薬師如来は東方浄瑠璃浄土に座しており、寺号はこれに由来。のちにすべての人びとを救い、来世に導く西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来が本尊に代わるのだが、その時期は定かでなく、早くとも1108年(嘉承3年)といわれている。阿弥陀如来は9体もあり、これは「九品往生(くほんおうじょう)」を具現化している。極楽往生するにもその方法が9種類にランク分けされているという、浄土教の考え方だ。本来なら地獄に堕ちるべき人も極楽に往けるのだから、その慈悲深さたるや! と、平安時代の人びとも感じたかどうかはともかく、当時、極楽往生を願って「九体(くたい)阿弥陀如来」を祀る阿弥陀堂が京都を中心に30以上も造られた。だが、現存するのは浄瑠璃寺の本堂のみ。緑豊かな境内には大きな宝池(ほうち)があり、その東側に薬師如来を祀る三重塔、西側に九体阿弥陀如来を祀る本堂が建つ。浄土を観想して造られたこの寺には、宝池を挟んで東方浄瑠璃浄土、西方極楽浄土がともにあるというわけだ。

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浄瑠璃寺の本堂に安置されている本尊の九体阿弥陀如来像(国宝)。中央にひときわ大きな中尊、その左右に4体ずつ阿弥陀仏が並ぶ
*九体阿弥陀如来の中尊は修理中のため、2021年夏(7月初旬予定)まで見られません

山下 浄瑠璃寺を訪ねたのは10年以上も前になるなあ。

高橋 僕なんて半世紀近く前だよ。大学卒業の頃、古美術研究の旅行で関西のいろいろな場所に行ったの。

山下 さすが長老、年季が入っています。僕は雑誌の取材で女優さんと行った。

高橋 女優と一緒に浄土!

冨田 僕は行ったことがないから、今回の京都旅行を楽しみにしていたのに……。

山下 中心部から離れた山里にあるから、詣でたことのない人は多いかもしれない。でも、そういう場所だからこそ残った。九体阿弥陀如来を安置した阿弥陀堂は洛中にいくつもあったのに、応仁の乱などの兵火で壊滅しちゃったんだろうな。思うに、浄瑠璃寺って自分たちがいる現世に、目に見える形で理想のあの世を再現した〝リモート浄土〟だよね。僕たちはリモート浄土をさらにリモートで訪ねているわけだ。

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宝池を挟み本堂の真向かいに建つ三重塔(国宝)。平安時代末に洛中から移築された

冨田 しかもそこには浄土がふたつもある。天国はひとつ、でも浄土はいくつもあることを考えると、仏教は価値観が多様な気がする。キリスト教では天国の環境に馴染めなかったら居場所がなくなっちゃうかもだけれど、仏教ではその人にふさわしい浄土に導いてくれそう。

高橋 浄土にせよ、天国にせよ、往生する、つまり生まれ変わるという構図は同じだけれど、キリスト教では天国に行っても自分たちの上にめちゃくちゃ偉い神様がいて、相変わらず人間は神様の下。仏教では死んだら仏になるとも考えられていて、極楽浄土に往ったら阿弥陀如来とともに自分たちも仏になる。ヒエラルキーのあり方が洋の東西でちがうよね。

山下 浄土はピラミッド型ではないよね。

冨田 浄土と聞いて僕が真っ先に思い浮かべるのは、阿弥陀如来がお迎えに来てくれるさまが描かれた来迎図。お寺そのものが浄土というイメージはあまりない。

高橋 どちらかというと、お寺は浄土への入り口という感じがするよね。

冨田 浄瑠璃寺の本堂の写真を見ると、堂内の装飾が簡素。それが浄土だと言われると、この空間を介して心のなかで浄土をイメージするのかな、と思う。下手に造り込んであると邪魔されちゃうけれど、シンプルだと自分の理想の浄土を観想できる。

山下 薬師如来が祀られている三重塔は壁画があって華やか。現世利益だからかな。

高橋 宇治の平等院鳳凰堂【3】も、いわゆるリモート浄土だけれど、あちらはリッチな世界観の壁画があったりして、装飾的だよね。その原型は、浄土や地獄の様子を描いた豪華な『当麻曼荼羅(たいままんだら)【4】』じゃない? 中国から来たイメージ。

【3】宇治市にある単立寺院。仏教の末法初年にあたる1052年(永承7年)、時の関白・藤原頼通が父・道長の別荘だった宇治院を寺に改め、開創。翌年には、中心伽藍となる阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立され、当時、最高の仏師であった定朝〈じょうちょう〉による阿弥陀如来坐像が安置された。
【4】阿弥陀仏の治める極楽浄土を表した曼荼羅。浄土教の主要経典である『観無量寿経〈かんむりょうじゅきょう〉』の教義を図解している。奈良・当麻寺所蔵のものが原本とされ、鎌倉時代以降、多くの模本が制作された。

山下 それに比べると、浄瑠璃寺本堂の簡素さって、浄土では自然のなかに阿弥陀如来がいてほしいという意思表示のように感じるな。雨風をしのげればOKとばかりに最低限しか覆わず、自然と融合させる。僕は自然のない極楽には往きたくないよ。超ド級の美術館があって、酒があっても。

高橋 酒はあるんだ(笑)。

山下 酒は必須。こんなこと言っていると、極楽に往けないかもしれないけれど。

高橋 以前、山中伸弥教授が興味深い話をしていた。地球が生まれて46億年、でも僕たち人類の歴史はそのほんの一瞬にすぎない。それなのに人類は、地球や生命を変化させようとしてきたと。自然のなかに、人間が土足で踏み込んでしまった現実を、新型コロナウイルスの災禍で痛感したよ。

冨田 排除するのではなく、自然は自然としてそこにあるものだという生き方をしなくちゃいけないんだよね。古来、それが日本人の生き方だったのに、近代になって変わってしまった。コロナ禍は悲劇だけれど、自然との向き合い方を見直すひとつのきっかけではある。

文=𠮷田晃子
写真=中田 昭

𠮷田晃子(よしだ あきこ)
東京都生まれ。「芸術新潮」編集長。大手電機メーカー勤務を経て新潮社に入社。ネイチャー誌「SINRA」、書籍部門、日本最古の旅行誌「旅」を経て「芸術新潮」へ。

出典:ひととき2020年8月号

――平安時代、政変や疾病の蔓延などが立て続いた時に、「阿弥陀様に頼って極楽浄土へ行きたい」と九体阿弥陀堂の建立ブームが起こったそうです。ここでは、当時京都につくられた阿弥陀堂の中で唯一現存する浄瑠璃寺を紹介しました。本誌では、江戸時代の絵師・伊藤若冲が最晩年を過ごした京都伏見の「石峰寺」も紹介しています。地獄から救い出してくれると考えられ、爆発的に流行していた五百羅漢像。これを遺した若冲の晩年の想いに迫ります。旅の締めくくりは、九体阿弥陀如来像が祀られている東京の「九品仏(くほんぶつ)」へ。
新型コロナに各地で起こる水害と、たいへんな状況が続いてますが、こんな時だからこそ多くの方に読んでいただきたい特集です。(ほんのひととき編集チーム) 

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特集「初老耽美派 浄土へゆく」
京都・当尾の浄土
コラム  僕たちの浄土・京都編
京都・伏見の浄土
浄土へゆく〔案内図〕
解説  九品往生
東京・九品仏の浄土


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