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今も、旅の途中(さだまさし)|わたしの20代|ひととき創刊20周年特別企画

旅の月刊誌「ひととき」の創刊20周年を記念した本企画わたしの20代。各界の第一線で活躍されている方に今日に至る人生の礎をかたち作った「20代」のことを伺いました。(ひととき2021年11月号より)

 20代はめまぐるしい時代でした。大学に通っているのに、なぜか朝はリフォーム会社、夜は居酒屋でバイト。可愛がってくれるお客さんに毎晩お酒を振る舞われるうちに、働き過ぎと呑み過ぎで身体を壊し、長崎に逃げ帰りました。同じ頃、東京から音楽漂流の果てに逃避してきた吉田政美と自然発生的に「グレープ」を始めました。翌年にはデビュー。運も良くスピードも早かったですね。

 本当にやりたい音楽は「ジャズロック」でしたが、当時はフォークソングブームでしたので、フォークを歌う合間に「ジャズロック」を挟んで鬱憤を晴らした感じ(笑)。

 デビュー直後に幸運にもザ・ピーナッツさんのツアーに参加させて頂く機会を得て、ショーの合間に「精霊しょうろう流し」を披露する時間を頂きました。ツアー中は畏れ多くてザ・ピーナツさんとじっくりお話しする機会はほとんどありませんでしたが、日本中、知らない町を旅しながらビッグバンドの皆さんと旅館に雑魚寝して一緒に暮らすような旅は最高に楽しかったですね。

 実力もないのに「精霊流し」が大ヒットして、上がり症なのに毎週ベストテン番組に出るのは苦痛でした。こういうストレスが溜まり、1976年にグレープを解散。やがてソロになって開き直ったら「雨やどり」で弾けることになりました。しかし思えば「精霊流し」で暗い、「無縁坂」でマザコン、「雨やどり」で軟弱、「関白宣言」で女性蔑視、「防人さきもりの詩」で好戦的と、炎上続きの僕の20代最後の仕事が「北の国から」でした。テレビ局からは歌詞を付けてヒット曲にし、ドラマ人気を引っ張ってほしいと言われましたが、できませんでした。するとまた「あれが歌詞か」とからかう人もいて。でも、九州人の僕が北海道の雄大さを歌う方法は「言葉を使わないこと」だったのかもしれません。お陰で今でも愛していただけるのでしょうし。ともかく当時中国で映画を撮り、その借金に苦しむ僕は毎週あのドラマに救われましたね。

 20代は旅の中で生きてきました。今でも自分を「旅芸人」だと思っています。ふらりと出掛けた見知らぬ町で、一夜の宿と食事とお酒の礼に心込めて歌わせてもらう。実はそんな日々に憧れ続けているのです。

談話構成=ペリー荻野

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ジェットコースターのような時間を過ごした20代の頃

さだまさし
シンガー・ソングライター、小説家。1952年、長崎県生まれ。73年、フォークデュオ・グレープでデビュー。翌年ソロシンガーとして活動を開始し、「関白宣言」「北の国から」など数々のヒット曲を生み出す。小説家としても『解夏』『眉山』『風に立つライオン』などを発表し、多くの作品が映画化、テレビドラマ化されている。

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ニューアルバム「アオハル49.69
10/27発売 ビクターエンタテインメント

出典:ひととき2021年11月号


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