【井波彫刻】次世代の彫刻家、田中孝明さん「目の眩む明かりではなく、軒先に下がる灯を発信していきたい」
井波彫刻は欄間、というイメージを強く持っていればいるほど驚きが大きいのが、田中孝明さんの作品である。最初に目にしたのは、3体の女性像だった。細やかに匂い立つような小さな姿。それぞれ名がついていて、「たね」「みず」「ひかり」。田中さんは言う。
「観る方がその方なりの種子を見つけていただき、水を与え、光を浴びて芽を出していけるように、との願いです」
表面の滑らかさも鑿だけの技だ。サンドペーパーではどうしても質感が生まれない。糸のように細い刃で、囁くように削っていくのだろう。
出身は広島だ。小さいときから工作が好きだったこともあり、富山の工芸高校に進む。卒業後すぐに親方に弟子入りする。現在ではまれなケースとなっているが、住み込みによる師弟関係を5年間過ごして修業した。
独立後は当然ながら、すぐにあちこちからひっぱりだこというわけにはいかない。
すでに結婚していた。妻は漆工芸に携わっている。
「お内裏さまとお雛さま、一対の親王飾りを風呂敷に包んで、妻といっしょに京都を売り歩いたこともありました」
思えばこれまで、果たしてこの道を進んで大丈夫か、と迷ったことは一度もなかった。目の前のことを懸命にやっていると、ふと新しい景色が見えてきた。
東南アジアのタイの祭への参加もそうだった。タイ三大祭のひとつ、世界最大級のロウソク祭「ウボンラーチャターニー・キャンドルフェスティバル」である。タイのすべての仏教僧侶が修行に励む夏の一時期、世界中の彫刻家が集って作品を仕上げるこの一大イベントに、井波彫刻協同組合から派遣されて参加した。日本代表だ。
「巨大なロウソクを前に頭がまっしろになりましたが……」子どもの純真な目で世界を見よう、というテーマで少女の像を彫り上げる。ハイライトであるパレードではロウ彫刻を乗せた山車とタイ舞踊家が練り歩く。沿道には世界中から訪れた観光客。
「自分の作品が人から鑑賞されている現場という体験は衝撃でした」
彫刻家として一歩踏み出した瞬間だ。
彫刻作品が創る住空間
平成の終わりごろ、一人の建築家が井波に移住してきた。井波のモノづくりに深い愛情と敬意をもつ山川智嗣さんだ。ほどなくユニークな宿泊施設を創設する。建具屋や料亭や医療施設だったところを改装し、1棟をまるごと部屋と考える。そこはまた一人の彫刻家の表現の場となる。空間に見合った彫刻を置くのではなく、ひとつの作品から空間を構成していくという考え。
建具屋だった1棟の中心となるのが田中さんの彫刻作品である。それが先述の「たね」「みず」「ひかり」の女性像だ。1棟全体の空気を満たしている滑らかさ、柔らかさはたしかに彫刻作品の力と思える。
田中さんの仕事場の名前はトモル工房。
トモルは「灯」だ。目の眩む明かりではなく、軒先に下がる小さな光。それをいつも外に灯して発信していこう、の意。自分が成長し、分身である作品が世に出ていく。その分身たちが世の中で、「おまえはどこからきた、なるほど井波か、さすがだ」と納得してもらうこと。自分と愛するこの地の関係はそうでありたいと考えている。
文=植松二郎 写真=荒井孝治
ーー本誌では、日本一の木彫の町、井波の歴史をたどり、風情ある町を歩きます。井波彫刻発祥の地である瑞泉寺の欄間彫刻、その古寺への道のりでみかける可愛らしい干支の木彫看板などもぜひお見逃しなく。
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