いつでも作ることに夢中だった(漫画家・辛酸なめ子)|わたしの20代|ひととき創刊20周年特別企画
美大に通っていた私は将来も何も決まっていなくて不安でした。大学には美術系のお洒落なイケメンがいっぱいいましたが、中学・高校と女子校で男性のいる環境に慣れていなくて、「騙されるんじゃないか」と近寄ることもできず。学校で人と交流できなかった分、アルバイトは楽しかったです。パルコのフリーペーパーに漫画を送ったり、アーティストの中ザワヒデキさんの手伝いをしたり、学外の人のフリーペーパーに参加し、村上隆さんや立花ハジメさんにインタビューしたり。中野のタコシェ*で野菜のヘタをモチーフにした「ヘタ帽」を作って販売したら、「出没! アド街ック天国」で取り上げられたこともあります。全然売れませんでしたけど(笑)。
卒業後、仕事はしていましたが、26歳まで埼玉の実家の2段ベッドで妹と寝ていたので、思い切って住まいを買った方がよいかもと思い、荒川区の駅から20分の700万円くらいの中古マンションを購入しました。その部屋にはなぜかお札が大量に貼ってありました。不動産屋さんはギャンブル好きだった前の住人のゲン担ぎだと言っていましたが、いろいろな恐怖体験をしました。一番怖かったのは夜中にたぬき囃子がピーヒャラ聞こえてきたことです。結局、6年くらいそこに住みました。
20代、よく旅をしました。名物編集者である都築響一さんの著作『珍日本紀行』が好きで、日本中の珍スポットや温泉をめぐったり。家族旅行中でも「ちょっと水族館に行く」などとウソをついて、自分だけ珍スポットに行ったりしていました。
仕事は2000年に本(『ニガヨモギ』)を出して、やっと手ごたえを得られた気がします。それまでは自腹で材料を買って、誰からも発注されていないことを手作業でやっていた。20代全部が黒歴史のような気がしますが、そのころは恐れ知らずで、思いついたら何でもやってしまう勢いがありました。今は手のかかるものづくりをしなくても、SNSで簡単に承認欲求が満たされる時代です。だからこそ逆に、誰かが見てくれる絵を描いたり手芸作品を作ったり、夢中だった手作業のものづくりを、またやってみたいと思っています。
談話構成=ペリー荻野
自身の個展でヘタ帽(なす)を対面販売中
出典:ひととき2022年3月号
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