見出し画像

菊咲月に無病息災を願う

花にまつわる絵画や伝統芸能などの文化・歴史的背景をひも解く連載コラム『笹岡隆甫 花の道しるべ from 京都』。第2回でとりあげる花は、古来より邪気を払う力があるとされてきた菊。今も昔も変わらない、菊に託す無病息災への願いについて語っていただきました。

 9月は菊咲月(きくさきづき)。今では菊の花は年中手に入るが、やはり9月の菊は特別な気がする。

画像2

 9月9日の重陽は「菊の節句」と呼ばれ、菊の霊力を借りて身体の穢れを払う。前夜から菊の花に綿を被(かぶ)せておき、その菊の露を含んだ綿で身体を拭うと長寿を保つとされる。「被綿(きせわた)」と呼ばれるこの風習、今ではあまり行われなくなったが、日本料理や和菓子の世界では、今でもそうした伝承を大切にする。わが家の庭には菊の花が植えられていないので、菊のいけばなに綿を被せて、皆の長寿を祈る。

 重陽には、五色を意識した菊をいけるのが習わしだ。江戸時代には、万物は木火土金水の五つの元素「五行(ごぎょう)」で成り立っていると考えられており、それぞれに青赤黄白黒の五色があてられた。花は赤黄白の三色を用い、葉の色を青、花器の下に敷く薄板や花台もしくは水の色を黒と見なせば、五色のいけばなのできあがり。菊は、古くより花色や品種が豊富だったから、このようないけ方が考案されたのだろう。江戸時代には、菊の栽培ブームが起こり、細い花弁が特徴の嵯峨菊やねじれた花弁が特徴の江戸菊など、数々の美しい品種が生み出され、菊の品評会もしばしば行われたという。

月岡雪斎

 また菊は、画題や能の演目にもしばしば登場する。最もよく知られるのは、菊慈童(枕慈童)だろう。一昨年、金剛能楽堂で、金剛流の若宗家、金剛龍謹氏と共演した。小川裕嗣氏*1の白樂花器にいけた花を舞台装置に見立て、「枕慈童」を舞うという、京都ならではの趣向だ。枕慈童は、菊の葉から滴る露が不老長寿の薬となるという、めでたい曲。通常は、舞台に作り物の菊が出されるが、それをいけばなで表現しようという試みだ。古式に則り、赤黄白の大輪の菊を選んでいけあげた。菊の香りが漂う能舞台はひときわ清麗で、菊に邪気を払う力があると信じられたのも頷ける。

*1 小川裕嗣(おがわ・ひろつぐ) 陶芸家。1978年、初代小川長樂を曽祖父に代々その名を継ぐ樂焼陶芸家の一家に生まれる。

 琳派400年記念の年には、神坂雪佳、山本太郎両氏の描く「菊慈童」を鑑賞する機会を得た。琳派の継承者とされる神坂雪佳が描く優しい筆致の菊慈童に対し、ニッポン画家・山本太郎氏が描いたのは、菊慈童を舞うシテが描かれた缶ビール。古典的な画題と現代的なモチーフとの組み合わせに思わずにんまり。彼らの描く菊慈童に因み、山本太郎氏との対談の中で、菊のいけばなを披露することになった。

山本太郎氏

「猩々 菊慈童」 紙本着色金彩 37.9×45.5cm 2012年制作
©️Taro YAMAMOTO , courtesy of imura art gallery

 菊をテーマとした絵画、能、いけばな。いずれもその根底にあるのは、菊に託した無病息災への願いだろう。

 近年、病気見舞いに菊の花を贈るのは避けた方がよい、などと言われるようになったのは少し残念だ。いけばなの独学書として江戸時代に編まれた『生花早満奈飛(いけばなはやまなび)』(1835~51)には、「菊ある時節には病床に必ず挿(い)くべきなり」という記述がある。「長生の仙花」とされ、薬効もあると考えられていた菊は、見舞いに相応しい花だった。暑い時期には、バラの切り花は2~3日で傷んでしまうが、菊なら1週間は保つ。葬儀に用いられるようになったのも、故人にもっと長生きして欲しかったという想いからなのだろうか。

 車折(くるまざき)神社*2では、9月9日に重陽祭が行われる。神前に菊花を供え、菊の挿頭をつけた舞人による舞楽が奉納される。不老長寿、除災招福を菊に託して祈る儀式。菊に託す人々の願いは、昔も今も変わらない。

本殿前(データ圧縮版)

画像6

車折神社本殿前(上)重陽祭での舞楽の様子(下)写真提供/車折神社
*2  車折神社 平安後期の儒者、清原頼業を祀る嵐山の神社。境内には芸能神社もあり、玉垣には芸能人の方々の名前も

画像5

笹岡隆甫(ささおか・りゅうほ)
華道「未生流笹岡」家元。京都ノートルダム女子大学 客員教授。大正大学 客員教授。1974年京都生まれ。京都大学工学部建築学科卒、同大学院修士課程修了。2011年11月、「未生流笹岡」三代家元継承。舞台芸術としてのいけばなの可能性を追求し、2016年にはG7伊勢志摩サミットの会場装花を担当。近著に『いけばな』(新潮新書)。
●未生流笹岡
http://www.kadou.net/


よろしければサポートをお願いします。今後のコンテンツ作りに使わせていただきます。