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忍野村の「左岸の花」|八代健志(人形アニメーション監督)

各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただく連載あの街、この街。第33回は、人形アニメーション監督、アニメーターであり、木彫りによる人形造形で驚きの世界を創り続ける、八代健志さんです。多忙な日々の合間を縫って出かけていた鱒釣り。透明度の高い湧水で知られる山梨県忍野村で見つけた白い花との出会いとは・・・。

コマ撮りアニメーションを作っています。人形などを少しづつ動かしながら写真を撮ってゆき、それを連続して再生することで動いているように見せるのがコマ撮りアニメーション。ストップモーションアニメーションとも呼びます。1秒動かすためには12から24コマの撮影が必要。根気がいる作業ですが、しばらく頑張って撮ったところで再生して、人形が動く様子を初めて見る瞬間は格別。何年続けていても、この瞬間の喜びはたまりません。

昨年の春のこと。ある作品で、人形といっしょに野の花が咲く様子を撮ることになりました。

蕾が開いたり、太陽に合わせて花が向きを変える様子を早回しのように捉えた映像を、皆さんも見たことがあると思います。そういった花の動きに合わせて人形も演技をするという映像が狙い。人間にはわからないくらいゆっくりと花が動いている間に、人形も少しづつ動かして、何十秒かに一回シャッターを切れば、花と人形がいっしょに動く映像になります。

でもそれは理論上のはなし。実際には、開花のタイミングなんて素人には全く見当がつきません。今日咲くのか明日咲くのか、はたまた1時間後に咲いちゃうのか。これに人形のアニメーションを合わせるなんて至難の技。アニメーションの技術はさておき、花の動きを読むこと、これは神業です。

しかし、僕には勝算があったのです!

花の中には、毎日夜は花をとじ、朝、日が昇ると花を開く、そういった咲きかたをするものがあります。このタイプの花を狙えば、まずは1日、開花の様子を観察して、翌日以降の開花タイミングを予測して、撮影に望むことができます。しかも一回きりでなく、開花の期間中チャンスは何度かある。僕は幸運にも、このタイプの花が咲く場所を1箇所、知っていたのです。

忍野村の春の川辺

そこは、富士の裾野にある山梨県忍野おしの村。忍野八海という湧き水が有名。湧き水が流れ込む川は非常に透明度が高く、ますがゆったりと泳ぐ姿が川の上からもよく見えます。この鱒を釣るために、僕は以前、ここに頻繁に通っていました。とくに春先のある時期は、毎週どころか週に数回、会社員とは思えぬ頻度で通っていました。

僕がやっているのは毛鉤けばり釣り。魚の餌になる虫を真似て毛鉤を作り、これで鱒をだまして釣るのです。

鱒もいろんな虫を食べるのですが、その中でも主食といえるのが「カゲロウ」。長い幼虫時代を川底で過ごし、ある日、水面で羽化をして羽の生えた成虫となります。普段は水底に隠れていた幼虫が水面に向かって泳ぎ上がる羽化の時が鱒にとっての食事のチャンスです。毛鉤釣りの成功は羽化を知ることにあるのです。

釣り人は魚好きと思われがちですが、毛鉤釣り師に限っては、魚より虫。釣りに行ってもずっと竿を振っているわけではありません。川面に立ったら、まずは、目に見えて飛んでる虫をチェック、網を振って捕まえたり、時には川の流れにも網をつっこみ流れているものを調べたり。頭の中は、今、何が羽化しているのか、その一点。川面の下に口をパクパクしている鱒の姿を見つけたならば、竿より先に双眼鏡をとりだし、まずは観察! 虫そのものは小さくて見えませんが、食べ方を見れば、食べているものを推理できます。水面の上か下か、逃げるものか逃げないものか、流れている数が多いか少ないか、、、この観察結果と事前知識を照らし合わせて、その時期その時間帯その川で羽化する可能性のある虫のなかから、今、鱒がたべているのはこの虫だ! と目星をつける、それが竿を振る前の大切なプロセスなのです。

忍野では4月のアタマ、オオクママダラカゲロウという虫が羽化します。僕はこの羽化が大好きなんです。

オオクママダラカゲロウと羽化の終盤を表現した毛鉤

この虫は、鱒から生き残るために、短時間に申し合わせたように一斉に羽化するという生存戦略をとっています。この羽化方法は、川にお祭り騒ぎを引き起こします。カゲロウとしてはちょっと太めの大型で、鱒にとっては1匹でもご馳走のオオクママダラ。これが川中で一斉に羽化をするものだから鱒たちは大興奮なのです。

この流れが祭りの舞台

羽化はよく晴れた午前中に始まります。天気や気温によって起きたり起きなかったりするので、連日通ってしまうことになるのです。羽化の開始を見逃さないように、僕は朝から川辺に腰をおろし、この羽化だけに的を絞り、じっと川辺で待ち続けます。日も高くなり太陽の暖かさが川と地面に蓄えられてきた頃、、、、パタパタとぎこちなく羽ばたく半透明の羽虫が、1匹、また1匹と川面に舞い始めたら、それがお祭りの始まりです。

毛鉤箱に並ぶ鉤

オオクママダラを模して作ってきた毛鉤を糸に結び、ガボっという鱒が虫を食う音を確認し、いよいよ釣りの開始。鱒はどちらかといえば慎重な魚ですが、このときは野性をむきだし情熱的な魚に豹変します。パタパタと舞うカゲロウ、ガボっガボっとそれを食う鱒たち、そしてヒュンヒュンと振られる釣竿の音、、、、川面は賑やかになり、虫も魚も釣り人も、それぞれが大興奮。しかし祭りは長くても1時間程度。祭りが終わると、川面は途端に静かになります。この寂しさは独特。釣りに夢中だった僕も我に返り、川辺を見渡す余裕が戻ってきます。

湧水の流れに棲む鱒

我に返ったそのときに。いつも傍らで咲いている花がありました。

一輪咲きの凛とした白い花「アズマイチゲ」です。祭り前は目立たないように首をもたげていたこの花が、祭りに気を取られていた1時間ほどの間に、一面に咲き誇っているのです。しかも、羽化が起きた日はいつものこと、開花は羽化と同じ時に起きているように見えます。毎年の羽化予測をするための指標にすべく、この花の様子も帳面に記録していましたが、当時は名前を知らなかったので、「左岸の花」という僕だけの呼び名をつけていました。

当時の花と虫の記録

あの花ならいける!

咲く時期、咲く時間帯、咲くための条件、僕にはすでにかなりの事前情報がありました。人形といっしょに野の花が咲くアニメーションは、かくして実現しました。花の開花とアニメーションを済ませ、我に返ってみると祭りの名残のようにオオクママダラがパラパラと少しだけ舞っていたのが、印象的でした。

今回、初めて知ったことがあります。地面は、日が当たるとむくむくむくっ、と膨らむということ。まるで太陽の暖かさを吸収しているみたいに! そして日当たりと連動して、一時的に川からの風が強く吹きはじめるということも。

花にカメラを向けたから、はじめて気づいたことです。花鳥風月という言葉は、年齢とともに変化する興味の対象のことだとも言われます。それになぞらえれば僕はやっと、釣りのような遊びから花鳥風月に興味を持てるようになったといえます。そして、花に目を向けたからこその発見があった。この先、花から鳥へ風へ月へ。まだまだたくさん発見があるのかもしれない。

文・写真=八代健志

八代健志(やしろ・たけし)
人形アニメーション監督 アニメーター 人形造形
1969年秋田県生まれ。東京芸術大学デザイン科卒業。実写を中心にCMディレクターとしての活動を経て、短編アニメーション「ノーマン・ザ・スノーマン」を制作したことをきっかけにストップモーションアニメーションに傾倒、現在はTECARATを立ち上げアニメーションを軸足に活動している。手から作り出される美術の素材感を重要と考え、脚本・監督とともに、自ら美術、アニメート、木彫による人形造形を行う。
監督作品『ごん GON ,THE LITTLE FOX』『眠れない夜の月』『ノーマン・ザ・スノーマン』などは多数の映画賞を受賞している。
HIDARI』、『NHK連続テレビ小説「ブギウギ」オープニング映像』では人形造形を担当。『プックラポッタと森の時間』はアニメーションでは難しいとされる屋外撮影に挑んだ実験作(第76回毎日映画コンクール アニメーション部門「大藤信郎賞」受賞)。最近作『NHK「プチプチ・アニメ」春告げ魚と風来坊』(NHK Eテレ公式サイト参照)では野の花の開花と人形の共演を実現した。

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