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料理修業という旅

この連載「旅の言の葉」では、錚々たる人物への取材を重ねてきたインタビュアーの木村俊介さんに、これまで旅先で出会った言葉の中から、とくに印象深いものを綴っていただきます。どのようにしてその言葉と出会い、なぜその言葉に惹かれるのか――。

 仕事や素材に、愛情を注ぐ。すると、仕事や素材のほうから何かを教えてくれる。皿の上というのは、そうした料理人が辿った旅のような修業の道筋が見えてくる場所でもある、と思ってきた。

 四谷にある老舗のフランス料理店「北島亭」のオーナーシェフである北島素幸さんに、私はかつて次のような話を聞いたことがある。

「うちの肉や魚の焼き方も、今の方法に至るまで、どれだけ時間がかかったか。そんな時間を過ごしてきたからこそ、何事にも改善の余地はいくらでもあるとわかる。苦しんだプロセスは、ほかに応用が利く。店の財産とは、そういうものです。

 焼き方ひとつでさえ、こんなに工夫しているなら、それ以外にもどれだけ工夫しているか。表面的なノウハウだけ知っても、レシピを盗んだ相手と同じぐらいおいしくなんて、できるはずがない。まぁ人生、ラクな近道はないですよ。

 例えば、市場でいい魚を提供してくれる人って、ほんとうに魚が好きなの。開店した頃から、毎朝6時40分のバスで築地に通うという生活をずっと続けたことで、信用が生まれました。それからは、『今日は北島さんに売るようないい魚はないよ』なんて、ほとんどの人がおれを知っていて声をかけてくれています。

 はじめはだまされたり、こちらも値切ろうとしたりしていたけれど、おれをだました店はほかの人のこともだましていて、そのうち信用を失ってつぶれていったなぁ。商売って、仕事が好きで、人によろこんでもらいたいという気持ちがなければ、続けられないものでしょうね。

 仕事をする人の『気』みたいなものは、素材や料理に載せられていて、長い目で見たら、必ず、お客さんにも感知される」

 おいしいものを出したい気持ちは、皿を見ればわかる。だから、一度食べたら、お客さんが離さない。

「それに比べれば、一時の安いだのズルいだのは、信用には繫がらないんです」

 自分の店を持てば、誰も頼りにできない。力がなければ、人は寄ってこない。

「それが、現実。大変だったかって? 当然よ。店をやるって、こんなはずじゃなかったってことだらけですから。おれは昔、お客さんがあまりにも入らなくて、もう人の顔を見るのもいやで、何かどうしても地下鉄に乗れなくなって、家まで涙を流して帰ったことが何回かあった。

 つらくて怖くて、頭は前に進もうとしているのに体がついていかなくて足が動かなくなったこともあった。疲れとストレスで手や腕が紫色になることもあった。この店がつぶれたら死のう、と思ったこともある。でも、そういうことで強くなったし、つらい時期にも助けてくれる人はたくさんいた。

 そこからがほんとうの勝負なの。自分を捨てて、馬鹿になってやるしかない。涙が出るほどの仕事をしてさ。一所懸命にやっていれば、ちょっと褒められても涙が出てくるものでしょう? そうやって何年も、諦めずに必死になってやるうちに、ようやく花が咲きはじめるんじゃないか」

 日常の言動はすべて自分へ跳ね返ってくる、と北島さんは言っていた。

「朝、市場に仕入れに行くと、魚が好きで一所懸命やっている若い人を見かけて、胸が打たれるんだ。応援したくなる。大事なのは、それなんです。うちの常連さんも、30代の夫婦が必死にやっている店には『気』があるから、吸収したくて行く、とおっしゃる。それが魅力なんだ」

 こんな言葉を聞いたあと、日をあらためて、今は移転してしまった築地の市場を早朝から何時間も案内してくれた、かつての取材の道行きは、振り返れば、北島さんという料理人が辿ってきた精神的な旅をご一緒させてもらったようなものだったな、と思う。

文=木村俊介

木村俊介(インタビュアー)
1977年、東京都生まれ。著書に『善き書店員』(ミシマ社)、『料理狂』(幻冬舎文庫)、『仕事の話』(文藝春秋)、『漫画編集者』(フィルムアート社)、『変人 埴谷雄高の肖像』(文春文庫)、『物語論』(講談社現代新書)、『「調べる」論』(NHK出版新書)、『仕事の小さな幸福』(日本経済新聞出版社)、聞き書きに『調理場という戦場』(斉須政雄/幻冬舎文庫)、『芸術起業論』(村上隆/幻冬舎)、単行本構成に『西尾維新対談集 本題』(講談社)、『海馬』(池谷裕二・糸井重里/新潮文庫)、『ピーコ伝』(ピーコ/文春文庫PLUS)、『イチロー262のメッセージ』シリーズ(ぴあ)などがある。

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