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まさか自分が経営者になるなんて(中川政七商店社長・千石あや)|わたしの20代|ひととき創刊20周年特別企画

旅の月刊誌「ひととき」の創刊20周年を記念した本企画わたしの20代。各界の第一線で活躍されている方に今日に至る人生の礎をかたち作った「20代」のことを伺いました。(ひととき2021年5月号より)

 絵を描くこと、みんなで何かを作ることが好きで、幅広いデザインを勉強するために大学ではグラフィックを専攻しました。みんな好きなことにとことん取り組む学校で、私も制作とバイトの合間にアジアで大好きな布を探す旅をしたりと、楽しい学生生活を送りました。

 卒業後、大手印刷会社のデザイン部に入社しました。最初は地味な仕事が多かったです。たとえば小さいスペースにいかに情報を入れ込み、読みやすくするかが肝のチラシ制作。実際は想像以上にデザインの難易度が高く、やりがいもあってのめりこみました。また、ある劇団の写真集を手がけた時は、どうすればファンの方々により喜んでいただけるのか、試行錯誤の連続でした。クライアントの想いを表現するためのものづくりを経験できたことは、自分にとって大きな財産です。

 転機は、27歳のとき。母が病気になって職場がある大阪と高松の実家を週末に往復する大変な生活が1年半続いたんです。幸い母は回復しましたが、当たり前だと思っていた日常のバランスはとても危うく、自分のことだけを考えて動ける時間の貴重さを痛感しました。だからこそ、その時間を全力で生きるべきだと思うようになりました。

「中川政七商店」への転職のきっかけは、先代社長の本です。当時、私の周りには職人の道を歩む友人がたくさんいましたが、そのほとんどは販路を確保できず、作ったものを世の中に発信できない状況でした。もっと上手くできないものか、と考えていた時、偶然読んだ先代社長の本の中で「つくり手が食べていけないと意味がない」という考え方に触れ、深く共感しました。

 まさか自分が経営者になるとは一切想像していませんでしたが、ものづくりを生業(なりわい)とする友人たちとの出会いも布をめぐるアジアの旅も、広告の仕事も全部いまにつながっています。社長になると決まったとき、父が「山より大きい猪(しし)は出ん」とメールをくれました。切羽詰まった時はこの言葉に励まされています。きっと恐れずに力を尽くせ、という父なりのエールなのだと思います。

談=千石あや 構成=ペリー荻野

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各地に伝統工芸の工房探訪へ出かけていた
千石あや(せんごく・あや)
中川政七商店社長。1976年生まれ。大阪芸術大学を卒業後、大手印刷会社に入社。2011年、中川政七商店入社。社長秘書、ブランドマネジメント室室長などを経て、2018年、社長に就任。 今年4月には奈良市元林院町に、まちづくりの拠点となる複合商業施設「鹿猿狐〈しかさるきつね〉ビルヂング」をオープンし、話題に。

出典:ひととき2021年5月号


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