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ネコの向こうで鳥が飛ぶ 川上和人(鳥類学者)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2023年8月号「そして旅へ」より)

 「仕事で旅行できていいですね!」

 私は島を調査地とする鳥類学者である。このため研究を目的に各地の島を訪れる。たとえば昨秋は島根県の隠岐おき、長崎県の壱岐いきしまなど日本海の島に渡った。確かにいろいろなところに行けるのは役得であり、よくうらやましがられる。

 鳥に興味があるからこそ研究をしているので、各地で鳥を観察することは旅の楽しみの一つだ。普段は小笠原諸島などの太平洋の島で調査することが多いので、馴染みの薄い日本海の島は特に楽しみである。大陸からやってきた珍しい渡り鳥がいるかもしれないし、鳥だけでなくそれぞれの島の独特の自然も見られる。

 しかし、現実はそう甘くはない。なぜならば、ネコがどのくらい鳥を捕食しているかを解明することを今の研究テーマに設定してしまったからだ。このミッションを遂行するため、私は島でネコのフンを拾い集めている。

 ネコのフンを探すコツは、根気の一言に尽きる。ひたすら下を向き路肩をにらんで歩き続ける。ずっとうなだれているため通りがかった島民に体調不良を心配され、車に乗っていけと声をかけられることもしばしばある。

 サンプルが多く集まり過ぎたら減らすこともできる。しかし不足すると研究上困ってしまう。このため調査地では、鳥どころか風景も見ずに足元を凝視して歩き続ける。おかげさまで、旅の思い出に残るのは路肩にたまった砂やタバコの吸い殻など地面の記憶ばかりだ。せっかくいろんな島に行くのに、自然を楽しむことなく旅が終わる。ストレスはまるばかりだ。

 しかし、先日ようやくチャンスが訪れた。長崎県松浦市での講演を頼まれたのだ。ここは玄界灘から伊万里湾に面しており、周囲には多くの島がある。講演のために行ったので、ネコの相手をする義理はない。そこで地元の方の案内で、鷹島たかしま的山あづち大島おおしまに行く機会を得た。ようやく自然を楽しめる島旅だ。

 鷹島は神風が吹いて元寇船が大量に沈んだまさにその場所で、水中遺跡の発掘が行われている。的山大島では江戸時代の町並みが今も住居として利用しつつ保存されている。芥川賞を受賞した古川真人氏の小説『背高泡立草せいたかあわだちそう』の舞台となった島でもある。いずれも深い歴史と文化を持つ魅力的な島だ。そんな魅力に現を抜かしてしまい、またしても鳥を見るのを忘れていた。

 そんなわけで、結局いつも自然を味わうことなく旅が終わることが多い。再訪したい島リストは増えるばかりだ。

 旅の後、手元にはネコのフンが残る。これを分解し中身を調べていく。

「へー、隠岐には海鳥が結構いるんだな」「そうか、対馬にはトカゲが多いのか」

 分析を進めると、サンプルの中身を通して現地の自然の様子が浮かび上がってくる。それは、一時的な滞在だけでは知り得ない、私とネコだけが知る側面だ。こういう楽しみが味わえることこそ、研究者の役得かもしれない。

文=川上和人 イラストレーション=駿高泰子

川上和人(かわかみ・かずと)
鳥類学者。1973年生まれ。森林総合研究所 鳥獣生態研究室長。著書に『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』(新潮文庫)、『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』(新潮文庫)など。文庫化された『鳥肉以上、鳥学未満。』(岩波現代文庫)が好評発売中

出典:ひととき2023年8月号

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