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世界が注目!若き藍染師らBUAISOUのジャパンブルー

今日も日本のあちこちで、職人が丹精込めた逸品が生まれている。そこに行けば、日本が誇るモノづくりの技と精神があふれている。これは、そんな世界がうらやむジャパンクオリティーと出会いたくててくてく出かける、こだわりの小旅行。さてさて、今回はどちらの町の、どんな工場に出かけよう!(ひととき2018年6月号 「メイドインニッポン漫遊録」より)

新世代が染めるジャパンブルー

 ジャパンブルーと呼ばれるナチュラルインディゴ(天然の藍)で染めたデニムのようなケン玉を見つけたのは、東京・渋谷のお洒落なホテルのギフトショップである。ケン玉には小さくBuaisouと英文字が入っていた。また渋谷のセレクトショップでは、ジャパンブルーに染めたアメリカンフラッグがモダンなインテリアとして売られていた。お店の人に尋ねると、これも「ブアイソウとコラボしました」と教えてくれた。いったい、ブアイソウって何だ?

「BUAISOU(ぶあいそう)」とは、徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行っている、新世代の若き藍師・染師たちである。

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スタジオに吊るされた天然の藍で染めた糸の束はオリジナル製品に使用される

 NYのブルックリンやLAでワークショップを開催、その活動は海外でも高く評価され、多くの国内外のセレクトショップや有名ブランドともコラボレーションしている。徳島の彼らのスタジオでは、一枚一枚手作りの天然藍で染めたシャツやバンダナやTシャツなども販売している。

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欧州のワークシャツをベースにした身幅をたっぷりとったオリジナルシャツ。着込んで天然藍の色落ちを楽しめる。税別38,000円

 むむむ、ジャパンブルーのシャツやTシャツとな。デニムにはちとうるさい筆者としては実に気になりますね。これはぜひともBUAISOUのスタジオを訪ねてみたい。そこで今回は徳島まで旅して来たのであります。

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取材時の3月は菜の花の盛り。川は吉野川

徳島の藍に魅せられた若者たち

 徳島県は昔から藍の産地で知られている。その歴史は江戸時代初期にさかのぼる。県内を流れる吉野川は四国三郎という異名を持つほどの暴れ川であった。氾濫の繰り返しによって運ばれた土が藍作にふさわしい肥沃な土地を作り、吉野川流域は藍染の原料となる「すくも ※1」の一大産地となった。このすくもや藍染の品々は品質の高さと圧倒的な量から「阿波藍」と称されて、全国へ供給されていた。

※1 藍の葉を原料に作られた染料

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染料の材。左から、藍の葉、すくも、灰汁、貝灰、ふすま(小麦を粉にする際できるクズ)

 しかし時代は移り変わり、安価な化学染料が出回るようになると、藍を栽培してすくもを作る「藍師」と呼ばれる職人の数も激減。今ではもう数えるほどしかいない徳島の藍師たちが作るすくもが、貴重な日本の天然藍、ジャパンブルーを支えているのである。藍染を志す人にとって徳島の天然藍は、その源流ともいえる魅力的な〝青〟なのだ。

 BUAISOUも、そんな徳島の天然藍に魅せられてしまった若者たちである。

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楮さん

 創立者の楮覚郎(かじかくお)さんは青森県出身の29歳。東京の美大で染色を学び工房に研修生として通っていたが、本格的に藍染を学びたくて、徳島の地域おこし協力隊 ※2に応募。平成24年(2012)、上板町(かみいたちょう)(徳島県板野郡)に移り住み、町営の藍染体験施設「技の館」で染液管理、来館者の指導をしながら、町内の藍師のもとで研修を受け、すくも作りから天然藍の染色を学んだ。

※2総務省が過疎地域などの活性化を図るために作った制度

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技の館で藍染を体験(有料)する筆者。先生は日比生〈ひびう〉伸子さん
<技の館>☎088-637-6555 9時~17時(体験受付は15時30分まで) 
定休日:月曜

 約1年の研修期間を終え、畑を借りて種をまき、すくも作り、染め、製作を続けた楮さん。平成27年、同じく地域おこし協力隊で上板町に移住してきて一緒に藍染を学んだ仲間と2人で、BUAISOUを立ち上げる。

 現在、BUAISOUのメンバーは楮さんを入れて5人。一番若い結城研さんは27歳。山形の銀行を辞めて上板町に移り住み、藍師のもとで修業を積んだ。アパレル担当の三浦佑也さんは楮さんと同い年。隣町の石井町でデザイナーをしていた三浦さんは「同年代で地元で服を作っている男性がいる」と紹介されて意気投合、メンバーに加わった。40代と一番の年配ながらも新入りの小薗忠さんは、やはり藍染に魅かれて地域おこし協力隊に応募して移住してきた。彼らの他にも、国内外での活動のマネージメントを担う西本京子さんがいる。

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藍の苗を植える前の畑に立つBUAISOUの面々。堆肥には納田さんの豚の糞が使われる。左から、三浦さん、結城さん、楮さん、小薗さん、グウェンさん。グウェンさんは3月で母国シンガポールへ帰った

青い手で畑からクローゼットに

 にぎやかな徳島市内からクルマで約30分。すぐ近くを吉野川が流れる上板町に入ると、のどかな田舎の風景になってくる。田畑に囲まれたBUAISOUのスタジオは、古い牛舎だった小屋を自分たちでリノベーションして作った。天然の藍染とコラボレーションしたいと、ここに世界中から有名ブランドやセレクトショップのバイヤーがやって来る。

 スタジオに到着すると、温室の藍の苗に水やりに行く結城さんがいた。ニットキャップにデニムのシャツにスニーカー。格好だけ見たら、東京の中目黒あたりを歩いているお洒落な若者である。しかし、その手はジーンズのように真っ青。天然藍を染める作業で染みついてしまった色だ。

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結城さんの真っ青な手と、シリアルナンバーが付されたTシャツ

「洗えば一応とれるんですけどね。でもいちいち手を洗ってる時間がもったいなくて」

 そう言うと、青い手でホースを持って温室の藍の苗棚に丁寧に水を撒く結城さん。

 ワレワレが取材したのはちょうど温室で苗を育てる時期だったが、来月にはすぐもう苗を畑に植えて本格的なすくも作りが始まる。「新世代の藍染職人」といわれる彼らだが、種まきから刈り取りまで、1年のうちほとんどの作業はこうした畑仕事なのである。

 畑に案内してもらう途中、軽トラに乗った近所の農家のおじさんとすれ違うと「お、取材かい?」と声をかけられる。最初は「変わった若者が藍を作っている」とけむたがられたが、今ではすっかりご近所づきあいの仲だ。

 BUAISOUのトレードマークの3頭の象が描かれた藍染の暖簾をくぐって、牛舎だった手作りのスタジオを見学させてもらう。土間に埋め込んだバスタブのようなステンレス製の槽には天然藍の染料が入っていて、そこに糸の束を漬けると一瞬で鮮やなジャパンブルーに染まる。そうやって染めたシャツが何枚も干してある。

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黙々と染め液の仕込み作業を行う仲間たち。その顔は実に楽しそうだ

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牛舎を改造したスタジオで使用する機具のほとんどは手作りによる再利用品だが染め作業の要である槽だけは特注の幅広なステンレス製を土間に埋め込んでいる

「同じ藍色でも槽によって色も色落ちも毎回違うんです。僕たちにもどう染まるかわからないのが天然の藍染の面白いところです」

 真っ青な手で黙々と染め作業をこなす仲間たちを見ながら、嬉しそうに話す楮さん。

 奥にあるアパレル部門の作業場では、デザイナーの三浦さんがミシンでシャツを縫ったりデザイン画を描いたりしている。

「僕たちが作るモノはどうしても値段が高くなりますが、それは畑での藍作りから始まり、こうして一点一点、手間と時間をかけた手作業だからなんです」と三浦さん。

 この天然藍で染めたシャツは、まさに「ファームからクローゼットへ」なのである。

 ちなみにBUAISOUの名の由来は、けっして彼らが無愛想だからではありません。「いつかは自分たちでジーンズを作りたい」という願いを込めて、日本人で最初にジーンズを穿いたといわれている白洲次郎の邸宅「武相荘」から名付けたのだ。

 徳島の天然藍で染めたジャパンブルーのBUAISOUのジーンズができるのも、そう遠い夢ではなさそうだ。発売されたら絶対に買おうっと!

 いであつし=文 阿部吉泰=写真

いであつし(コラムニスト)
1961年、静岡県生まれ。コピーライター、「ポパイ」編集部を経て、コラムニストに。共著に『“ナウ”のトリセツ いであつし&綿谷画伯の勝手な流行事典 長い?短い?“イマどき”の賞味期限』(世界文化社)など。
●BUAISOU
<所在地>徳島県板野郡上板町高瀬355-1
☎088-678-2232
<URL>http://www.buaisou-i.com/
※BUAISOUでは、基本、見学を受け付けておりません。

出典:「ひととき」2018年6月号
※この記事の内容は雑誌発売時のもので、価格など現在とは異なる場合があります。詳細はお出かけの際、現地にお確かめください。


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