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【新富町文化市場】公共空間として生まれ変わった公設市場|『増補版 台北・歴史建築探訪』より(2)

台湾在住作家である片倉佳史氏が、台北市内に残る日本統治時代の建築物を20年ほどかけて取材・撮影してきた渾身作『台北・歴史建築探訪』。このほど発刊される増補版では、コロナ禍でリノベーションしたレストランやカフェなど約40件が追加されています。この連載では、『増補版 台北・歴史建築探訪』より11点をご紹介致します。日本人と台湾人がともに暮らした半世紀を振り返りつつ、また台湾を旅したくなるような場所、建築物をぜひお楽しみください。

増補版 台北・歴史建築探訪
(片倉佳史 著/ウェッジ)

 下町情緒が色濃く漂う一角にある市場建築。萬華駅に近い住宅街にあった公設市場である。

 市場の名は日本統治時代の町名が受け継がれていた。つまり、「新富町」という町名は戦後、中華民国政府によって廃せられたが、市場については戦前の呼称が今も使われ続けているのである。

 市場は1921(大正10)年7月に開設された。建物は1935(昭和10)年1月7日に起工し、6月28日に竣工したという記録が残る。鉄筋コンクリート構造の堅固な建物で、装飾を排したデザインとなっている。俯瞰すると「U」字型をしており、天井は高い。また、中央に空き地が設けられているのも特色で、これは採光と換気が考慮されたものであるという。

建物中央には採光と通気を考慮した空間がある。

 私が最初にここを訪れた2000年の時点では、木造の事務所と宿舎が残っていた。宿舎は倉庫として使われており、事務所内には戦前に使われていた古めかしい金庫が置かれていた。

展示物となった日本時代の金庫。分厚い扉には「登録商標・明石製」の文字が残る。
日本統治時代の木製陳列棚も展示物となっている。

 2017年3月、修復工事を終え、新富市場は公共空間として生まれ変わった。現在は庶民の食を支えてきた空間という歴史を踏まえ、料理に関するイベントなどが開かれている。

新富市場はリノベーション空間として、生まれ変わった。通気が意識された構造は台湾各地の市場建築の特色でもある。
正面玄関の上には日本統治時代の台北市の市章が残っている。
かつての事務所は修復が施され、現在は喫茶店となっている。1940(昭和15)年当時、新富市場には37の店舗が入っていた。

文・写真=片倉佳史

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片倉 佳史 (かたくら・よしふみ)
1969年生まれ。早稲田大学教育学部卒業。武蔵野大学客員教授。台湾を学ぶ会(臺灣研究倶楽部)代表。台湾に残る日本統治時代の遺構を探し歩き、記録。講演活動も行なっている。妻である真理氏との共著『台湾探見 ちょっぴりディープに台湾体験』『台湾旅人地図帳』も好評。
●ウェブサイト「台湾特捜百貨店

▼新富町文化市場(旧公設新富町食料品小売市場)

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