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京都「音無の滝」の名の由来 玉川奈々福(浪曲師、曲師)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え、「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2020年11月号「そして旅へ」より)

 3年前の晩春のある日。京都で、朝から打ち合わせがあった。場所は京都駅の地下街の喫茶店。それが終わるとその日、後の予定がなかった。ふっと訪れた僥倖のような半日の休日。

 さあ、どうしよう。このまま東京に帰るのはもったいない。行く当てもない旅、なんてよく言うけれど、それをやってみるか。地下街を出て、最初に出会ったバスに乗ろう。階段を上がった目の前に、京都バスが停まっていた。行き先は大原。迷わず乗る。

 大原まで行って、どうしようか。バスの中で、スマホをいじる。

 ええっ! 調べて驚いた。

 なんと、大原は声明(しょうみょう)の里であったことを知る。もう、これは運命としか言いようがない。

 浪曲は日本の伝統芸能の1つ。語り手である浪曲師と三味線を弾く曲師と2人で、物語を描く芸。その芸の源流には、仏教における「説教」があり「声明」がある。ああ、浪曲師としては声明の道場の跡をたどらずにはおられないではないか。

 山の道を揺られ揺られて、大原に着く。晩春ながら大原は春景色。花盛りの三千院。桜吹雪に吹かれていると、景色の中に自分が溶けていってしまいそうだ。

 三千院のあと、声明の道場であった実光院、来迎院などをめぐる。界隈を流れる、呂川(りょせん)、律川(りつせん)と名付けられた川。呂律がまわらない、という言葉が残っているが、「呂(りょ)」「律(りつ)」とは邦楽における旋法のこと。川までが声明所縁の名なのだ。その律川をさかのぼると、「音無の滝」という滝があった。

 ここで、良忍(りょうにん)上人は、声明の修行をされたという。良忍とは、尾張の領主の息子であったが、幼いころに比叡山に入り、融通念仏宗を創始し天台声明を完成させた人。

 滝の前で声を出す。当然、滝の轟音に声はかき消されてしまう。ところが……あるとき良忍上人が稽古をされていると、滝の音がにわかに消えて聞こえなくなったという。それが、「音無の滝」の名の由来との看板が掲げられていたのだが……。

 え? これって、ノイズキャンセリングの理屈ではないのか? つまり、上人の声と滝の音が完全に正反対の音波になり、そこに静寂が生まれた、ということでは。

 す、すごい……。

 自然と和すとはこのことか。

 旅に出るたびに私は日本でも外国でもいつもいつも滝を探す。滝の前で声を出すことほど、気持ちよいことはない。それは飛沫を浴びることが単純に気持ちよかったり、滝の音にはヒーリング効果があったりとかと思っていたのだが、ああそうか、私はおのずと、自分の声が、自然と和すことを求めているのかもしれないな。

 浪曲師として、この境地を目指すのは1つのさだめでしょう。めざせ、ノイズキャンセリング状態。

 その後も、ことあるごとに滝巡りの旅をしている。一番気持ちよかったのは、空海が修行したという徳島県の灌頂ヶ滝(かんじょうがたき)と、日本の滝百選にも選ばれている高知県の轟(とどろ)の滝。その気持ちよさったら、忘我の境地。まだ滝の轟音に負け続けてますが。

文=玉川奈々福 イラストレーション=林田秀一

玉川奈々福(たまがわ ななふく)
浪曲師、曲師。神奈川県生まれ。1995年、師・玉川福太郎に曲師として入門し、玉川美穂子の芸名で活動。2001年より師の勧めで浪曲師としても活動を始める。以後、独演会や各種の浪曲イベントの企画出演などで幅広く活躍中。

出典:ひととき2020年11月号


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