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なぜ神々は、かくも旅をされるのか?

1300年の歴史をもつ奈良・春日大社で、長年権宮司を務められた岡本彰夫さん。日本の文化・しきたりについての深い知識と、神さまに仕える神職としての長い経験に裏打ちされたわかりやすいことばで、人々に語り掛けてきました。
たとえば、「上へ上へと行くよりも、奥へ奥へと進みなさい」。一生懸命がんばって上に昇っても、上には上がある。やがては限界もやってくる。長く続く満足は得られません。一方、物事の奥へと分け入ることはどうでしょう。人と競うのではなく、己を深めていく行為には際限がありません。限りない人間の欲望をやさしく諫め、ものごとを深く探求しようとする人への助力は惜しまない。そんな生き方は、岡本さんにとっても終生の目標でもあるそうです。
ここでは、まもなく刊行される『日本人よ、かくあれ――大和の森から贈る48の幸せの見つけ方』(岡本彰夫 著、保山耕一 写真)に収録のエッセイ48編の中から、毎月数編を抜粋してお届けします。奈良を舞台に活躍する映像作家・保山耕一さんの情感あふれる風景写真と合わせて、お楽しみください!

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 お春日サンは遠く、常陸の国<茨城県>鹿島の宮居(みやい)より、白鹿を召され、柿の木を鞭として、長い旅の末、大和国の御蓋山浮雲峰(みかさやまうきぐものみね)にお鎮まりになった。道中お休みになった場所には、色々な神話が伝えられている。

 滋賀県草津市の立木(たちき)神社には、神の鞭から柿の木が芽生えたことから、立木という社名が生まれ、その木が化石となって遺っている。

 最も詳細に神話が伝えられているのは、三重県名張市夏見の積田(せきた)神社で、鹿島様がお座りになっていた「御座跡(ござあと)」、そのお姿を映された「鏡池」。通りかかった農夫の担う稲束の上に乗って川を渡られた「一之渡(いちのわたり)」。そして御本殿裏には柿の木の鞭を刺された「神柿(かみがき)」の巨樹が繁る。

 お伊勢サンもそうだ。垂仁(すいにん)天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)が、大御神(おおみかみ)の「御杖代(みつえしろ)*」となって、倭(やまと)の笠縫邑(かさぬいむら)を出で立たれ、近江や美濃を廻って伊勢へと赴かれ、「是(こ)の神風(かむかぜ)の伊勢国(いせのくに)は、常世(とこよ)之(の)浪(なみ)の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり。是の国に居(お)らんと欲(おも)う」と倭姫命に告げられたのだと『日本書紀』にある。

*御杖代:神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者

 また伊勢国から持出すことを禁じた「禁河之書(きんがのしょ)」(宮川を渡すことを禁じたという)である神道五部書の一つ『倭姫命世記』によると、三十有余年、各地に宮所(みやどころ)を探し求めて歩まれたことが記されている。大和から伊賀、淡海(おうみ)<近江>から美濃へ、更に尾張から伊勢を経て、再び美濃に入り、また伊勢へと赴かれ、「渡会五十鈴河上(わたらいのいすずのかわかみ)」に鎮まられたのだと詳しく記されている。「神サンでも、これだけ苦労して目的地に至られるのや。人間風情が、絶対楽して目標を達せられる筈は無い」と自分に言い聞かせている。

 全国の神社には「御旅所(おたびしょ)」と呼ばれる場所があり、毎年神輿に乗られた神々が、所縁ある場所や、氏子区域を巡られて御旅所へと至られ、また元のお社へと戻られる神事がまことに多い。

 なぜ神々は、かくも旅をされるのであろうか。今の我々が思う快適な旅ではなく、かつての旅は命がけであった。しかし旅の空では身も心も解放され、新たな生き方に気付き、己を反省する絶好の機会ともなるのは、今も昔も同じことであろう。それは生まれ変わり、「御生(みあれ)」なのかもしれない。

 神は旅をされる。つまり旅は「神事」なのである。

 文=岡本彰夫 写真=保山耕一

岡本彰夫(おかもと・あきお)
奈良県立大学客員教授。「こころ塾」「誇り塾」塾頭ほか。昭和29年奈良県生まれ。昭和52年國學院大學文学部神道科卒業後、春日大社に奉職。明治以降断絶していた数々の古儀や神饌、神楽を復活させた。平成27年6月に春日大社(権宮司職)を退任。著書に『大和古物散策』『大和古物漫遊』『大和古物拾遺』(以上、ぺりかん社)、『神様にほめられる生き方』『神様が持たせてくれた弁当箱』『道歌入門』(以上、幻冬舎)、『大和のたからもの』(淡交社)。
保山耕一(ほざん・こういち)
映像作家。昭和38年、大阪府生まれ。フリーランスのテレビカメラマンとして『世界遺産』(TBS)などを担当し、世界中をめぐる。US国際映画祭でドキュメンタリー部門最優秀賞「ベスト・オブ・フェスティバル」を受賞。現在は末期ガンと闘いながら、「奈良には365の季節がある」をテーマに奈良の自然や歴史にレンズを向け続ける。第7回水木十五堂賞受賞。第24回奈良新聞文化賞受賞。現在、NHK奈良「ならナビ」にて「やまとの季節」放送中。

――『日本人よ、かくあれ――大和の森から贈る48の幸せの見つけ方』(岡本彰夫 著、保山耕一 写真、2020年8月18日発売予定)は、ただいまネット書店で予約受付中です。ご予約はこちらから。


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