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「ひととき」の特集紹介

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旅の月刊誌「ひととき」の特集の一部をお読みいただけます。
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#月刊ひととき

中原中也の青春時代が、スクリーンで甦る──映画監督・根岸吉太郎さん、かく語りき|[特集]山口、天才詩人の故郷

「幻の脚本」の存在 脚本家・田中陽造さんが、「ゆきてかへらぬ」というシナリオをお書きになったのは、かれこれ40年以上前です。大正時代、当時駆け出しの女優だった実在の人物・長谷川泰子を主人公に、詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄との三角関係を描いたシナリオで、多くの映画監督たちが映像化したいと名乗りを上げつつ、長年実現できずにいた幻の脚本でした。僕と田中さんは、16年前に「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」を共に制作したというご縁がありました。これほど素晴らしいシナリオを、日の

彗星のごとく駆け抜けた詩人・中原中也の旅路|[特集]山口、天才詩人の故郷

 中原中也記念館は生家の跡地に立っている。モダンでシンプルな2階建てだ。館長の中原豊さんは、おそらく会う人ごとに尋ねられ、何度もこう答えたのだろう。「中原といっても、中也とは血縁関係はないんです」と、静かに笑みを浮かべた。  訪ねた日は特別企画展「中也とランボー、ヴェルレーヌ」を開催中だった。フランスの詩人ランボーは、15歳で詩作をはじめ、天才といわれながら20歳の頃には詩を離れる。それから各地を放浪し30代で逝く。「風の靴を履いた男」と称したのはヴェルレーヌで、中也はこの

尾張徳川家と和菓子の文化|〔特集〕名古屋──あんこの王国

 江戸時代、尾張徳川家の繁栄のもと、名古屋では茶の湯文化、そして和菓子文化が育まれました。毎秋恒例の「徳川茶会」は、その歴史を物語る行事です。  名古屋の和菓子の文化は、長くこの地を治めた尾張徳川家と深くつながってきた。それを物語るのが、1935(昭和10)年に開館した、尾張徳川家伝来の大名道具を収蔵・公開する徳川美術館だ。  学芸員の加藤祥平さんによると、江戸時代、名古屋では、織部流や一尾流・有楽流などの武家流、京都から入った千家流といったさまざまな流儀のお茶が盛んだっ

村井美樹さんと行くきらめく丹後鉄道紀行|〔特集〕京都発、観光列車で巡る夏

海に向かって出発進行! スタートは京都駅の31番ホームから。乗り込むのは特急「はしだて」5号、天橋立行き。この列車は「丹後の海」と名付けられた美しい車両で運行されている。  日本海の中でもひときわ澄んだ藍の色、丹後の海原を映したようなメタリックブルーの車体が「これから、海に行くぞー!」という気分を盛り上げてくれるのだ。村井さんは? とホームを見回すと、発車前の列車とツーショット。その手もとを見ると可愛いこけしがニコッ。 「旅に出る時はいつも、行き先や、列車の色に合わせたこ

日本人と真珠──白珠に託す想い|真珠のゆりかご 伊勢志摩へ(ひととき6月号特集)

 真珠に何かの役割があるとすれば、その第一は贈物ということになるのではないか。他者への礼を表すのに、この小さな、深い輝きを持った珠はまことに相応しい。円いかたちは見る人を穏やかな気分にさせ、白い色は純粋な好意を感じさせる。掌に置いて眺めれば、贈り主の心情がほのぼのと伝わってくる。  古代の人々もこのことを思っていただろうか。『魏志倭人伝』には倭から魏に白珠が贈られた記録がある。藤原道長の日記『御堂関白記』によれば、宋に帰朝する僧の進物に毛皮や螺鈿と並んで「大真珠五顆*1」を

常盤貴子さんと桜色の京歩き|「そうだ 京都、行こう。」の30年

 京都を舞台とする数々の作品出演はじめ、昨今は京都府文化観光大使としても、古都の魅力発信に貢献する俳優の常盤貴子さん。京都好きは10代の頃からで、デビュー以来、わずかな時間を見つけては新幹線に飛び乗っていた、という筋金入り。 「冬の京都の、キーンと冴えた空気感も好きですが、ふらっと来たくなるのは、やっぱり春かな。あのCMの名コピーに何度、誘われて来たことか(笑)。ね? お誘いいただいているのならば……って、気分になるでしょ?」 【ポスター’10 春】  そんな常盤さんと

浅草のすき焼き文化を牽引する名店「ちんや」へ|浅草鍋めぐり

 食いしん坊の父は、外食で覚えた味を家で蘊蓄を傾けながら家族に食べさせるのが好きだった。鍋もよくやり、すき焼きともなると、肉やねぎはあの店で買えと指令を発し、大晦日も正月もすき焼きを囲んだ。食を通じての団欒にはひとつ鍋を囲む鍋ものがいいが、とくにすき焼きはおすすめ。肉を入れるや、座は静まり、誰もが鍋を見つめ、このとき心はひとつになる。肉、脂、ねぎの風味が醤油と砂糖にくるまれて放つ香りに、人は誰も抗えない。わたしがすき焼きこそ日本の最高のごちそうだと思い、“すきや連”を主宰する

若冲と並ぶ“奇想の絵師”芦雪が南紀に残したもの(和歌山県串本町)

串本で芦雪に出会う無量寺境内にある「串本応挙芦雪館」には、別記事でご紹介した虎と龍の襖絵のほかにも芦雪作品を14点、常設展示しています。その中から厳選して3作品をご紹介いたします。 串本応挙芦雪館芦雪の襖絵をはじめ、「寺宝を大切にしたい」という思いを共有する、地域の人々の支援のもと設立された。重要文化財の襖絵などを保管する収蔵庫と展示室(写真)がある 1.布袋・雀・犬図3幅でひとつの場面を描く。中幅は、大きな袋の上に座る布袋が唐人人形を操っている。右幅には、袋からこぼれ出

【小田垣商店】黒豆一筋、300年の老舗(丹波篠山市)

 丹波篠山市には、老舗の黒豆専門店がある。1734(享保19)年、鋳物師の小田垣六左衛門が金物商として始めた小田垣商店は、丹波の黒豆の歴史に関わってきた。  1868(明治元)年、6代目店主となった小田垣はとが、金物商から種苗商に転業。黒大豆の種を農家に配り、栽培法を教えて、収穫された黒豆を生産者から直接仕入れ、俵に詰めて販売を始めた。1941(昭和16)年には、当時の兵庫県農事試験場によって、黒大豆の優れた品質と特性調査が行われ、「丹波黒」と品種名が定められた。ところが、

日本の花火のはじまりの地、愛知県三河地方・岡崎へ

にっぽんの夏。夏の花火。灼熱の太陽がようやく沈み、ほっと息をつく夜が来るころ、漆黒の空に花火が打ち上がる。ひとつ、ふたつ。そして無数に、次々と。鮮やかな光が花開き、破裂音がどんと身体を震わせる。日本に暮らす私たちにとって、花火とは懐かしい、夏の記憶そのものだ。  江戸時代から続く奉納花火 菅生神社おおらかに流れる乙川のほとりを散歩やジョギングを楽しむひとたちとすれ違いながら歩いていく。愛知県岡崎市は徳川家康の出生地だ。家康の生まれた岡崎城の城下町、そして東海道の宿場町として

【井波彫刻】次世代の彫刻家、田中孝明さん「目の眩む明かりではなく、軒先に下がる灯を発信していきたい」

 井波彫刻は欄間、というイメージを強く持っていればいるほど驚きが大きいのが、田中孝明さんの作品である。最初に目にしたのは、3体の女性像だった。細やかに匂い立つような小さな姿。それぞれ名がついていて、「たね」「みず」「ひかり」。田中さんは言う。 「観る方がその方なりの種子を見つけていただき、水を与え、光を浴びて芽を出していけるように、との願いです」  表面の滑らかさも鑿だけの技だ。サンドペーパーではどうしても質感が生まれない。糸のように細い刃で、囁くように削っていくのだろう

旅は列車でおもしろくなる|文=恵 知仁

 移動の道中を楽しめる「線の旅」であること。「鉄道の旅」が持つ大きな魅力だと感じている。  映画のジャンルを確立している「ロードムービー」しかり、『東海道中膝栗毛』しかり、移動の道中に旅の魅力が存在するのは、普遍的な事実だろう。  もっとも、道中がない旅というのも変な話だ。典型的なバスツアーのように個々の観光名所をめぐっていく「点の旅」と比べ、旅のおもしろさにおいて道中の割合が大きいのが「線の旅」、というぐらいの意味である。  ではなぜ鉄道は、道中を楽しめる「線の旅」な

お菓子の島、平戸へ|長崎 異国菓子ものがたり

 平戸は「お菓子の島」だ。はるかな歴史に育まれた、甘い記憶にたゆたう島。  それは砂糖の記憶である。平戸の菓子はとろけてしまいそうなほど、甘い。なぜならその甘さこそが、経済力と文化、そして先進性の証だったから。かつて砂糖は遠い外国から運ばれてくる、高価で貴重なものだった。400年以上もの昔にその砂糖を受け入れる玄関口になったのが、平戸だ。  遣隋使・遣唐使のころから海外との重要な交通拠点だった平戸に、初めてポルトガル船が入港したのは1550年のこと。南蛮貿易の始まりである

和紅茶ブレンダーに聞く! おいしく楽しむ和紅茶の世界 

 よい紅茶は、気温が高くて降水量が多く、標高の高い土地で生まれる――そう思っている方も多いかもしれませんが、そんなことはありません。海外はもとより、日本でも山地から平地まで様々な土地で、その場所に応じた個性豊かなおいしい紅茶が生まれています。一般的に、鹿児島・沖縄では力強い紅茶が育ち、本州では柔らかい優しい味の紅茶が育ちますが、産地や品種が同じであっても決して味は画一的ではないのが、和紅茶の最大の魅力です。  和紅茶は、生産者の自己表現が形になったものでもあるでしょう。いま