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「ひととき」の特集紹介

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旅の月刊誌「ひととき」の特集の一部をお読みいただけます。
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記事一覧

中原中也の青春時代が、スクリーンで甦る──映画監督・根岸吉太郎さん、かく語りき|[特集]山口、天才詩人の故郷

「幻の脚本」の存在 脚本家・田中陽造さんが、「ゆきてかへらぬ」というシナリオをお書きになったのは、かれこれ40年以上前です。大正時代、当時駆け出しの女優だった実在の人物・長谷川泰子を主人公に、詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄との三角関係を描いたシナリオで、多くの映画監督たちが映像化したいと名乗りを上げつつ、長年実現できずにいた幻の脚本でした。僕と田中さんは、16年前に「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」を共に制作したというご縁がありました。これほど素晴らしいシナリオを、日の

彗星のごとく駆け抜けた詩人・中原中也の旅路|[特集]山口、天才詩人の故郷

 中原中也記念館は生家の跡地に立っている。モダンでシンプルな2階建てだ。館長の中原豊さんは、おそらく会う人ごとに尋ねられ、何度もこう答えたのだろう。「中原といっても、中也とは血縁関係はないんです」と、静かに笑みを浮かべた。  訪ねた日は特別企画展「中也とランボー、ヴェルレーヌ」を開催中だった。フランスの詩人ランボーは、15歳で詩作をはじめ、天才といわれながら20歳の頃には詩を離れる。それから各地を放浪し30代で逝く。「風の靴を履いた男」と称したのはヴェルレーヌで、中也はこの

山口、天才詩人の故郷 在りし日の中原中也──「ひととき」2024年12月号特集のご紹介

日本の近代文学史に大きな足跡を残した詩人・中原中也──。30歳で夭折した彼が16歳を迎える春まで過ごしたのは、山陽路随一の温泉郷として栄えた山口市湯田温泉でした。詩歌書専門の古書店主でエッセイストの内堀弘さんが、生家跡に立つ中原中也記念館をはじめ、ゆかりのスポットを巡ります。今日に残る貴重な資料を足掛かりに、彗星のごとく駆け抜けた中也の生きざまに光を当てます。 <特集担当より> ご執筆いただいた内堀弘さんは、詩歌書専門の古書店主という職業柄、中也にまつわる資料に対する解像度

作家・澤田瞳子さんと、人に寄り添う美しき観音像を訪ねて|[特集]湖北、観音の里へ(滋賀県長浜市)

仏像巡りの前に訪れたい、高月観音の里歴史民俗資料館 林の間をするすると一直線に上るリフトを降りて、土の道を進むと、標高421メートルの賤ヶ岳の山頂に着いた。眼下には、濃い緑の山々と広大な琵琶湖。水面にはさざ波が立っている。竹生島は見えるが、対岸はかすんでいて見えない。古代の人々は「淡海(近江)」と呼んだ。右手には「鏡湖」といわれる余呉湖が青く輝いている。戦国時代、ここが激戦の場だったとは信じられないほど、静かで穏やかな風景だ。  琵琶湖の北、湖北地域は、畿内と東海、北陸を結

[高山祭]江戸期のスーパー彫刻家!谷口与鹿の超絶技巧(飛騨高山)

 谷口与鹿の彫刻家人生は15歳のころ受けた衝撃によって始まったという。すぐに花開いて、生き急ぐように駆け抜け、43歳という早過ぎる年齢で世を去る。その間に多くの不朽の名作が残された。  19世紀前半、山王祭の屋台・五台山に諏訪の宮大工、立川和四郎の彫刻が登場し、一気に高山祭の「屋台の彫刻」が進んでいくことになるのだが、その新鮮な美術に心を奪われたのが与鹿少年だった。高山の宮大工の家に生まれ、幼いときからそうした環境で育った少年は彫刻に夢中になる。並々ならぬ素質があったのだろ

[高山祭]絢爛な祭屋台が生まれたワケ(飛騨高山)

 高山駅に降り立ち、表に出たとたん清々しい気分に満たされたのは、縦横に走る道路のためだ。定規をあてたように端然としている。道の目指す先の空には山々の緑。駅を背にして歩きはじめた歩幅は、いつもより広くなっていただろう。  朝日が道を照らしている。老紳士が散歩の途中か、さりげなくゴミを拾っている。 「しばらく家族みんなで留守している仲よしの家の前なのでね、戻ったとき汚れとったら気の毒やから」と笑う。  あいさつして別れ、さらに歩くと市内の中央を流れる宮川が見えてくる。穏やか

なぜ、名古屋の人は喫茶店とあんこが好きなのか|〔特集〕名古屋──あんこの王国

名古屋人が喫茶店とあんこを愛するわけ 名古屋が誇るあんこを語る時、忘れてはならないのは「喫茶店のあんこ」である。  コーヒー1杯にパン、ゆで卵などさまざまなサービスがつく「モーニング」。一宮市発祥ともいわれ、今では名古屋の喫茶店の名物となったこのサービスにも、あんこものが提供されることがよくある。  なぜ、名古屋の人は喫茶店とあんこが好きなのか。  かつて尾張地方には、農作業の休憩時にあぜ道で抹茶を点てて楽しむ「野良茶」の習慣があった。昭和期、地元の繊維業は「ガチャマン

尾張徳川家と和菓子の文化|〔特集〕名古屋──あんこの王国

 江戸時代、尾張徳川家の繁栄のもと、名古屋では茶の湯文化、そして和菓子文化が育まれました。毎秋恒例の「徳川茶会」は、その歴史を物語る行事です。  名古屋の和菓子の文化は、長くこの地を治めた尾張徳川家と深くつながってきた。それを物語るのが、1935(昭和10)年に開館した、尾張徳川家伝来の大名道具を収蔵・公開する徳川美術館だ。  学芸員の加藤祥平さんによると、江戸時代、名古屋では、織部流や一尾流・有楽流などの武家流、京都から入った千家流といったさまざまな流儀のお茶が盛んだっ

四季折々の味わいが楽しめる老舗「川口屋」の魅力|〔特集〕名古屋──あんこの王国

 畑さんが初めて名古屋のあんこと出合ったのは、中区錦3丁目、名古屋の繁華街にある「川口屋」だった。創業は、元禄年間。かの「忠臣蔵」の討ち入りがあった時代である。老舗らしい風情ののれんをくぐって、店内に入ると、陳列棚には優しい色合いの季節の上生菓子が並ぶ。 「川口屋さんは、椿餅が有名ですが、春なら桜のお菓子一点だけでなく、咲き始めから満開、水面に浮かぶ花まで、時期によって変化する桜を違う形のお菓子にする。季節の表現が豊かで芸術的です。こんなにあんこの種類があることにも驚きまし

親子で楽しむ! 嵯峨野鉄道1dayトリップ|〔特集〕京都発、観光列車で巡る夏

 旅先の選び方が、子どもが生まれて変わった。自分が何をしたいかではなく、学習や情操教育を考え、探すようになった。京都はその意味で大変魅力的だが、わが子はまだ小学1年生。寺社めぐりは将来にとっておくとして、今回の旅は、親子で大好きな鉄道をテーマに少し足をのばしてみる。  まず、京都駅からJR嵯峨野線(山陰本線)で15分程度の嵯峨嵐山駅へ行き、そこで乗り換える「嵯峨野トロッコ列車」だ。 鉄道好きの息子は、車内で叫ぶ。 「あのトンネル、レンガ造りだ!」  嵯峨野トロッコ列車が

叡山電車「きらら」で貴船まで|〔特集〕京都発、観光列車で巡る夏

「京都の人は叡山電車で貴船に行きますか?」。夏のはじめに質問をいただいた。行きます行きます、少なくとも私が貴船へ行くときは、叡電です。  もちろん貴船へ行く方法はほかにもある。けれど、貴船は市内とはいえ、気温だけでなく、空気感もまったく異なる別天地。気の生ずる根源として「気生根」の字もあてるほど、そんな聖域へ足を踏み入れるには、いつもとはちょっと違う手続きが欲しい。  そうしたとき、鴨川デルタのほど近く、「出町柳」という小さな駅から1両か2両でゴトゴト走っていく叡電は、非

村井美樹さんと行くきらめく丹後鉄道紀行|〔特集〕京都発、観光列車で巡る夏

海に向かって出発進行! スタートは京都駅の31番ホームから。乗り込むのは特急「はしだて」5号、天橋立行き。この列車は「丹後の海」と名付けられた美しい車両で運行されている。  日本海の中でもひときわ澄んだ藍の色、丹後の海原を映したようなメタリックブルーの車体が「これから、海に行くぞー!」という気分を盛り上げてくれるのだ。村井さんは? とホームを見回すと、発車前の列車とツーショット。その手もとを見ると可愛いこけしがニコッ。 「旅に出る時はいつも、行き先や、列車の色に合わせたこ

和魂洋才、モダンな津山|倉敷・津山ユニーク建築探訪特集

 城東地区は、1階の庇がそろった町家が並び、なまこ壁や出格子などの建築様式が見られる。このエリアには、幕末、ペリーが持参したアメリカ合衆国大統領の親書を翻訳、プチャーチンの長崎来航時には対ロシア交渉使節に同行するなど、日本の近代化に大きく貢献した洋学者・箕作阮甫の旧宅がある。その敷地隣には現在、「津山洋学資料館」が建てられている。  津山藩と洋学は縁が深い。  津山に初めて洋学を紹介したのは、江戸詰の藩医・宇田川玄随だった。以降、江戸期にベストセラーとなった解剖書「医範提

[大原美術館]日本初の西洋美術中心の私立美術館が生まれた背景|倉敷・津山ユニーク建築探訪特集

大原家から始まった町 歴史ある建物の中に身を置くと、ふわっと気持ちが豊かになる。角がとれた柱やペンキが塗り重ねられた壁。磨かれたガラス。扉や棚に施された小さなデザイン。どこか微笑ましく、あたたかい。 「それは昔の建物が、人の手で設計され、人の手で造られ、人の手で守られてきたからです」   上田恭嗣さんは、一級建築士・大学名誉教授として地元の学生たちに地域の建築や町づくりについて教えてきた。上田さんによると、機械化や規格化が進んだ現代と違い、明治・大正・昭和の建造物は、ひと