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新MiUra風土記

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この連載では、40年以上、世界各地と日本で20世紀の歴史的事件の場所を歩いてきた写真家の中川道夫さんが、日本近代化の玄関口・三浦半島をめぐります。
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#横須賀

【森山大道 特別インタビュー】逗子、ふたりの写真家と『八月の濡れた砂』|新MiUra風土記

文学記念碑「太陽の季節」が建つ海水浴場に人がもどってきた。北端の磯場には徳冨蘆花の「不如帰」の石碑が立ち背後には披露山がせまる逗子湾の変わらぬ名勝だ(*1)。 その披露山の山腹に白亜の屋敷が見えるのが故石原慎太郎邸。そして麓の路地にはひとりの写真家が住んでいて、もうひとりの写真家は逗子湾の南端に棲家があった。 この夏『挑発関係=中平卓馬×森山大道』展が神奈川県立近代美術館 葉山で開かれている。逗子と葉山ゆかりのふたりの写真家はいま日本を代表する写真家として国際的に評価が高

ヴェルニーと軍港の横須賀【後編】|新MiUra風土記

地元では「ベース(Base)」の愛称で親しまれている「ヨッコースカッ!」のヨコスカベースとは、米海軍横須賀基地のことだ。三浦半島の西側の動脈が国道134線ならば、基地の正面ゲートのある国道16号線は東側のそれになる。基地の一般公開日である「ヨコスカフレンドシップデー」はここ正面からではなく北の三笠公園内ゲートなどからの入構が多い(通常は入構不可。オープンベースの際は指定された身分証明書[パスポート、写真付きマイナンバーカード]が必要。2022年は10月16日に開催された)。

ヴェルニーと軍港の横須賀【前編】|新MiUra風土記

電車がトンネルの闇を抜けると、左右の窓には港の艦船と谷戸の緑が見え隠れする。きょうはどんなフネが停泊してるのだろう? この瞬きのような光景に惹かれつづけてきた横須賀港。そして今回は写真を手がかりにして歩いてみたい。 「横須賀寫眞」。こう名づけられたエポックは近年、日本写真史に加えられたものだ。(*1)写真術はフランスが発祥の地。長崎の出島にいた外国人医師や写真師が、長崎製鉄所や日本の風景を写して上野彦馬らに伝授した。そして、この一連の黎明期の写真を「長崎寫眞」と呼んでみたい(

追浜、トンネルを抜けると海鷲の記憶が|新MiUra風土記

 トンネルだらけの町、横須賀。  鉄道も道路も険阻な山をつらぬき谷戸と湊をつないでくれる隧道。なかでも北端の追浜にはそれがいちばん多く隧道めぐりが町おこしになるという。*  明治以来のタイムトンネルを抜けるとそこは昭和20年以前の追浜だった。改札口をでるとDOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA の蒼い文字が目についた。横浜DeNAベイスターズだ。DOCKは船渠。艦船を造り、修復し再船出させる。近代造船発祥の地の横須賀らしい。追浜には横須賀スタジアムと改名した球

横須賀、花見の長官舎と看板建築の街|新MiUra風土記

この連載「新MiUra風土記」では、40年以上、世界各地と日本で20世紀の歴史的事件の場所を歩いてきた写真家の中川道夫さんが、日本近代化の玄関口・三浦半島をめぐります。第6回は、三浦半島を東西にまたがる横須賀市の東側をめぐります。  横須賀の町は坂と谷戸と丘陵でできている。港の周縁はほとんどが埋立地で、人は日々、坂の上り下りを宿命づけられている。  市の中心街(東京湾側)は坂の下で、かつての行政・公共施設や老舗商店街がある坂の上は町名どおり上町と呼ばれてきた。  季節は