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仏教を逆輸入する①:「いかに仏教を読み勉強するか」

この記事について

※仏教のアレに投稿された記事です
「仏教を逆輸入する」は海外で有名な仏教サイトから
優れた記事を日本語に要約してご紹介する企画です。
日本文化としての仏教に慣れ親しんだ日本人にとって
時には新鮮な発見もあるかもしれません。

本寝坊主
「この記事は仏教をどのように学ぶのかについて
学習と実践のはじめかたを、間違いのないように丁寧に説明しています。
もうすでにアメリカでは常識となった
「仏教は自分を成長させるのに役立つ」
という考えを前提として書かれているのが注目の点です。」

元記事はこちら(英語サイトです)


いかに仏教を読み学ぶか

沢山の仏教本や教えがありますが、どこから始めたらよいでしょう?

多くの人が仏教と言えば“静かに坐って内面の智慧を見つける”モノだと思っています。

本寝坊主
「多くの人がそう思っています…って
日本じゃ思い浮かぶの葬式と法要と法話くらいですよ。坐禅したことある人なんて普通いませんよね……」

あなたが仏教の実践を始める時、そのステレオタイプを持つことは簡単です。

しかし、どの指導者も必ずあなたに言うでしょう。

「ある段階において、実践と確かな学習のバランスはとても重要になる」

ブッダは教えの学習(時には暗記することまで)の重要性を強調しました。

ハッキリ言って、現代には仏教についての多くの誤った情報があります。

仏教実践の目標の一つは智慧(般若(prajna))を育てることです。

それには瞑想の実践と共に献身的な学習が必要です。

本寝坊主
「お寺で修行して初めにやらされるのは
“お経の暗記”ですが、意味は習いませんので無駄です^^
ちなみにこの智慧(Prajna)は「般若心経」の般若です!
パーリ語でパンニャーっていうんですって。かわいい。」

何を学ぶのかを選択する


いつでも最初が一番大変です。

仏教についての教えや経典、本や伝記や研究は数え切れません。

どこから始めたらよいでしょう?

あなたに指導者やコミュニティがあれば、彼らの教えやオススメに従うのが良いのは言うまでもありません。

もしあなたが学ぶべき決まった方法や伝統を持っていなくても心配しないでください。

まず、あなたが何を読みたいのかに気づいてよく考えてください

そしてその教えがどこから来たのかを確認してください。

もしあなたが仏教の実践の途上にいるのであれば、

その教えは壊すことのできない確かな仏教の伝統から生まれたものです。

その伝統の主要な言葉をまずは探検してみてください。

本寝坊主
「日本人には当たり前の仏教文化、
あたりまえすぎてそのルーツなんて考えたことないですよね。
わたしはもちろんルーツをたどったからお坊さんになりましたが
ルーツ辿るために漢文読まされたり山奥で修行したり
しなければなりませんでした!」

どのくらい学習するべき?


これは完全に主観的な意見です。

実践する人の中には仏教の本を読むのが好きで実践をしない人もいれば、

あるひとは静寂の中に坐ってただ漠然と瞑想するために読書を拒む人もいます。

学習と実践はどちらも重要です。大まかなやり方のおすすめです。

どんな瞑想の実践をやっていても、あなたの学習はそれを助けます。

学習することで、あなたは実践の中で何を自分がやっているのかを知っていて、

あなたが経験することを説明づけることができるからです。

あなたの学習は実践の案内です。そして実践は学習の証明です。

自分自身を学んでください。そして、あなたの実践の中で、あなたがどこにいて何に挑戦しているのか、

読書や瞑想をどのように感じるのか感覚を持ってください。

学習と実践がお互いに支えあっていると知ることで、あなた自身のバランスを見つける努力をしてください。

どれだけ読書などの学習をしても、実際の利益が生まれるかの保証はありません。

知識を増やすのはよいことです。しかし、その知識があなたを変えることの方がよいことなのです。

一見外側の世界に存在するような仏教の教えがあなたの深い内面と重なる地点に本当の利益はあります。

本寝坊主
「やらなきゃ意味ないよ。
もっというならやって効果がなければ意味ないよ。ってことですね。
これほど堂々と「自分のためにならなきゃ意味ないよ!」って言えるのは説得力あってうらやましいです。」

どのように智慧をしっかりと理解するか


一般的に、指導者はあなたの学習していることが身につくまでの時間をとることを進めます。

これは、十人十色の学び方があるということです。

たとえば、一章だけ読んだら、学んだ内容に基づいて瞑想する。

もしくは、ゆっくり読んで熟考するかもしれません。

ひょっとしたら、一つの段落だけを何度か読み、残りの一日中考え続けるかもしれません。

あるいは、お気に入りの言葉をトイレの鏡に張り付けて定期的に考えるかもしれません。

大事なことは、その知識があなたとどのような関係があって、どのように自分に適応するかです。

そしてあなたの世界観と経験に照らし合わせて真実だといえるかどうかです。

あなたは頻繁にTwitterやInstagram、ニュースなどをチェックしますか?

その朝の習慣だけでも、仏教の学習に費やし一日を通して智慧を保つのをおすすめします。

本寝坊主
「聞きましたか?
日本人の中で
「よっし!ツイッター我慢してお経読もう!」
って人いませんよね?(笑)
仏教の教えを実生活に結び付ける努力を
アメリカでは真面目に行ってきたからこそ言える言葉です。」

より深い三つの知恵の探求


いくつかの仏教教室では、智慧の発展を三つのステップに分けています。

最初の智慧は聞くこと、二つ目は、熟考すること、三つめは、瞑想することです。

一つ目の知恵、「聞くこと」では、文字通り仏教関連のテキストの学習をします。

何度もテキストを読んだり、暗記したり、テキストの深い意味まで学習したりすることです。

二つ目の「熟考すること」では、あなたの経験の文脈に照らし合わせてその教えを見ることです。どう感じるでしょうか?

三つ目の「瞑想すること」では、教えに従い、究極の真実に基づいて瞑想することで、規定されていない(unconditioned=条件づけられていない)経験を実践することです。

本寝坊主
「日本の仏教では、これはよく
『聞・思・修(もん・し・しゅ)』といわれます。
きいてみて、自分で考えて、納得して修行する
ってことですね。
あたりまえのことに聞こえますが、
日本では「納得できないけど黙って修行する」美徳の価値観
があるので、実はなかなか実践されてません。
ちなみに最後の『規定されていない経験』って
端的にものすごく大事なことを言っていてスゴイ!と思います。
色即是空の瞬間というか、認識以前の智慧のことですね。
分別以前の、無分別智ともいわれます。」

スキされると鼻いきあらくして記事書きます。