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【短編】反面教師

 面白い小説の「あとがき」ほど、興の醒めるものはない。と、常日頃より明言しておきながら、文壇の友情というしがらみに丸め込まれるがまま筆を執るわたくしはさぞ酔狂に映るであろう。果たして、いっぱしに成人した者同士が嬉々として友情と呼ぶその間柄に、ある種の駆け引きが絡まないためしがあるだろうか。お粗末ながら文筆家を名乗るものの端くれ、わたくしも平生は損得の旗色に踊らされる質ではないものの、立場、いやもはや激しさを増す淘汰の荒波にあやうく残ったいかだの足場、それがはなはだ頼りない浮き沈みにさらされているのだから、是非には及ばない、というところ。清水君はいい人だ、それに努力を欠かさない立派な小説家だ。彼とは同郷の仲だけれど、高校時代の彼が売れない季刊誌への投書に夜な夜な推敲を重ねていたのをよく憶えている。清水君が今や、書下ろしの文庫版を刊行するまでになるとは、嬉しい誤算、筆舌に堪えぬ喜びだ。だから、わたくしが十数年来みずからに課してきた訓戒を曲げてまで「あとがき」の頁に名を連ねようと、これは妥協ではないのだ、決して。

 しかし通り一遍の「あとがき」では甲斐がない。世にはびこる面白みのない「あとがき」は大抵、本編への手放しの賞賛と少しばかりの引用、安易な解釈とナルシシズムあふれる感傷の披瀝ひれきに終始する。「この小説は素晴らしかった、ぜひ読むべきだ」と喧伝するのに、意見のほうは決まっているのだから、何とか表現や解釈のところで個性を示そうと躍起になり、飾り立てた絶賛の大演説と化すのだ。わたくしに言わせれば、孔雀の羽根のひけらかし合い。雌鳥の気を惹こうとして、実用に耐えない技巧ばかりを発展させた末の、痛々しいサンバ衣裳だ。「あとがき」を書いて、どれくらいの稿料が入るのか。(この点については、わたくしも、現時点では知らされていない。)

 小銭稼ぎに本末を見失う同胞はらからが多いのは、ゆゆしき事態である。人の目に触れやすい文章なのは確かかも知れないが。書店の棚先であがなうべき一冊を見極めるのに、あろうことか、「あとがき」をひらく者もいると聞いている。店主の迷惑顔をよそに、文庫本の後ろから三ミリばかりをつまみ読みする姿は、想像するだにあきれてしまう。

 それではわたくしは、今さら吊るし上げられても失うもののない身を武器に、これまで紋切型の染みついた「あとがき」の悪習に一石を投じるとしよう。革命を起こすには、美辞麗句の裏側にひかえる意見の方をひるがえるしかない。これが吉と出るか、凶と出るか。わたくしが伝えたいのはこうだ。「この小説はまったくもって読む価値がない、みっともない立ち読みの最中であれば、即刻この本を置いて去れ。」

 清水君はこの小説を『お気に召すまま』と名付けたのだね。実に彼らしく計算高い選択だ。シェイクスピアの戯曲、それも名は知れているが内容を答えられる者の少ない一篇の表題をかすめ取って、虎の威を借るさもしさ。たかが題名に狭量なようだが、例えば『全自動洗濯機』という題で小説が書けるだろうか。『幕の内弁当』、『日和見感染症』などではどうか。手垢にまみれた日常語より、先人の残り香が馥郁ふくいくとただよう作名から、魅力的な聯想をつなげやすいのは当然のこと。彼はパロディかオマージュだと言い張るんだろうね。この本は、一から十まで高飛車な女の言いなりになって尽くす哀れな男の話だった。どんな無茶苦茶な望みにも、お気に召すまま、と虚ろな言葉を吐いて従ってしまう主人公の哀切。これが片思いの愛情の末路だというのだから、世紀末だね。つぎの世紀末には八十年ばかり早いから、これは時代を先取りしたということなんだろうか。『レインコートのように無関心』なんて比喩も気障だ。水をはじく雨具のように、主人公の心酔を撥ねつけるプライド、というところだろうが想像するしかない。誕生日に男が、花言葉をつなげて文章になるというブーケを贈る場面もあった。アセビ、ウィンターコスモス、ジャスミン、クチナシの取り合わせで『忍耐や献身を要しても、一緒にいられて幸せです』だったか。香りの張り合いが物凄い。それにアセビには毒があることを、清水君はご存じなのだろうか。

 あまり「あとがき」で本編を暴露してはいけないと、編輯へんしゅうの者に釘を刺されていたのだが、覆水盆に返らずである。「あとがき」を先回りして読んでしまう者は去れと忠告したはずだ。この期に及んでなお、このしがない一冊を会計カウンターへ持ち込む者がいるとするなら、あなたは随分と度胸があり、そのかわり想像力と人の話を聞く力に欠けている方なのですね。敬服いたします。

 いや、むしろその逆か? 革命的な「あとがき」を志したはずが、途中で嫌気がさして本を措いてしまうのでは、わたくしの軽蔑する陳腐な「あとがき」たちと同じ結末ではないか。どうやらつまらなそうな本だ、けれども「あとがき」は素晴らしかった。なんてことになるだろうか? 真に形勢を逆転するためには、不届きな立ち読み者が「あとがき」をめくってその力量に感動し、本編の良しあしについて理性的な判断をくだすよりも先に会計へ走るだけの筆力を見せつけなければ。きっと、そうでなければならない。さて……

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 窓に向かうように文机を配し、畳敷きに足を崩して筆を進めている。都会から離れたかりそめの仕事場に自らを閉じ込めて、時にはひなびた観光地も良いものだ。社内旅行がもてはやされた時分の勢いに任せて林立された宿場街の、生き残りの一棟である。透かし模様の障子を開け放つと部屋からは崖がちな海岸線が一望できた。三日目にして、私はこの宿が随分気に入っている。女将や仲居は浮つかない実直な表情をして、懇切なもてなしも、華美な演出を控えて感じが良かった。逃避行、失踪、自分探し。客の素性なんて外見ではわからないのだから、宿の従業員たちは訳の知らされない事情が鼻先を通りすぎるのを、顔色を変えずに見過ごしてきたのだろう。そんな憶測をするのは、いくらなんでも小説の読みすぎ、いや書きすぎだろうか。ともあれ、ちらほら往来する釣り人の外にはかき乱す者のない海辺のパノラマを独り占めにした私は満足だった。天はどこまでも高い初秋の候である。

 小説家を志した当初から旅宿での執筆は憧れであった。商売道具のペン一本持ち運べば事足りる、こんな身軽な生業なりわいはほかにないだろう。旅はいつの世も物語の種であり、文筆家の想像力の源である。しゃちほこばった肩書の背広をひらりと脱ぎ棄てて、好奇心の向かうままに名所をめぐりながら書き物をするのは至福に違いなかった。自主的に遂行する「缶詰」は、停滞したプロットの絶妙な熟成期間になるだろう。

 襖が背後で開き、部屋係が顔を出すのがわかった。
「お茶をお持ちしましょうか」
 おそれ多くも『松の間』なのである。上級の個室を予約する贅沢に、知らず知らず心臓が冷や汗をかいていた。空調の効き具合、入浴の時間、小鉢の好き嫌いに至るまで、すべてはお気に召すまま、注文は速やかに聞き入れられる。私は部屋係の気遣いに礼を言ってから、しばらくは独りにしてほしいと伝えた。
 埋まらない原稿用紙の山がうずたかくく私を脅かしている。白眼をむいた桝目ますめの群れは虚ろなまなざしを照射して転寝うたたねの夢をもかき乱すだろう。至れり尽くせりのもてなしを受け、張り合いのない昼間を費やしたことと言えば、瑠璃色の湾へ向かう釣り人の往来を数えるだけ。いま一度原稿に向き直り、ペンに力を込める。
 

 安直な刑事ドラマの終盤に似合いそうな崖だ。追い詰められた容疑者がもはやこれまでと身投げしようと構えるのを、周りの者が必死に阻む。しかし、こんなにも動乱からは縁遠い平穏な湾に、投身なんて無粋なまねができるはずはなかった。じっさいには、ふらりと力を抜いたところを狙われて、純朴な秋空に精魂を吸い上げられるのだ。

 波が年月をかけて削り取った岩肌が静かにたたずんでいる。音はない。音は発せられているはずだが、どういうわけか、昊天こうてんの底知れぬ包容力にいだかれて、虚空に消えるようであった。ふと、その空の上を一点の染みが汚した。視界の右から左へと、淡青の空を横切る一羽のかもめがある。波止場の雑魚に日頃からありついたせいか、度を越えてふくよかな体躯をしていた。その悠々とした姿が目に障り、私は半ばやみくもに走らせていたペンの動きを止めた。

 途端、強いてつないできた緊張の糸が切れた。私はペンを措いて、そのまま仰向けに寝転がった。依然として遅々とした飛行を続ける鴎の、ふてぶてしい腹を見上げる形になる。どっと疲れが出た。

革命は成ったか。
と訊くと、少年は張り裂けんばかりの声をかかげて、
ラマルク将軍が死んだ
と言った。

 今まで本編と称されたものが「まえがき」と呼ばれるようになるのはいつのことだろう。いやはや。
 唐突に、鴎が一声長く啼いた。「こんな駄文は棄ててしまえ。」と奇妙に甲高い鳴き声で叫びながら飛び去っていった。

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