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Home Party Tour2023-MAZIMENIFUMAZIME-雑記


行ってきました。フレデリックFCツアー「Home Party Tour2023-MAZIMENIFUMAZIME-」 。

セトリ演出MC云々、の話は上手いこと書けないのでゆるりと考えたことを書いてみることにする回です。

ホームパーティー、という言葉にわたしは苦手意識がある。明るいところでわいわいと騒ぐことに苦労のない、自分とはかけ離れた生活を送る人たちの活動的な休日の過ごし方の一種で、どうも居心地が悪い、ような気がする。たいそうに書いたが苦手意識とかいう以前にそうした類の集まりに参加したことすらなく、未知の世界である。だがしかしこれはバンドのライブであり、たとえば招かれたからと言って手の込んだ手料理をタッパーに詰めて持参したり、気の利いたセレクト(好き嫌い、予算、センスetc)のお菓子やお酒を買っていく必要はなく、ただ純粋に楽しむ気持ちさえあれば私のすべきことは音に任せて踊るだけであり、ホームパーティー、も悪くないなというところに落ち着いた。

今回のライブ、私にとっては約3ヶ月ぶりのフレデリックだった。しかも初めての名古屋遠征からの大阪参戦というライブ漬けの2日間を送るという、楽しさとハードさを兼ね備えたスケジュールであった。

FCツアーならではのレア曲連発オタク大歓喜セットリスト、まじめにふまじめ、というタイトル通りいつにも増して遊び心に溢れたライブアレンジ、本当に家にいるかのようなゆるいMC。ライブを構成するすべてが心の底から愛おしいと思った。

踊る、という言葉はフレデリックというバンドを語る上で切っても切れない。そして、この踊る、という言葉にもホームパーティー同様苦手意識があった。正式にはツアーに参加して苦手意識があったことをふと思い出した。ちなみにここでいう踊る、は振り付けが予め決められている体育の授業や体育祭などで踊らされたいわゆるダンス、のことである。どのくらい苦手かというと、高校時代の体育祭で背の順だったか何かでうっかり最前列中央で踊ることになってしまい、あまりの踊れなさに担当の先生から「変わってもらわなくて大丈夫か??」と肩を掴んで尋ねられたほどである。この話は完全な余談であるので無視してもらって構わないが、要はとにかく踊る、ことが不得意であり苦手なのである。

ところが私の愛するバンドは踊る、という言葉と切っても切れない縁があるのだ。そして私はライブに何度も足を運んでいる。居心地が抜群にいいのである。

バンドのライブにおける踊る、は先に述べたダンスとは勿論大きく異なる。基本的には振り付けが決まっている(こともあるが)わけではないし、手を挙げるとか、ゆらゆら揺れるとか、ジャンプをするとか、そういう簡単な動きであり、またどこで何をしようが自由である。

この自由が確保されたフロアがなんとも心地いい。考えてみると日々生活する中で、今自由だ!と感じる瞬間ってどれくらいあるか。そしてそういう環境下にあったとしてそれを実感する余裕がどれだけあるか。拡大解釈かもしれないが、要は自分と向き合う時間がどれだけあるか、そして何より自分と向き合える時間が、私にとってはライブである、という結論に至った。

観ているのは紛れもなくステージであり、何度ライブに行ってもどこを観ればよいか分からなくなるくらいにステージ上は端から端まで見所に溢れている。間違いなく目線はステージ上に釘付けである。なのに私は自分と向き合っている、と感じたのだ。

手を挙げたいときに手を挙げ、歌いたければ歌い、跳びたくなれば跳ぶ。自分のしたいことに素直に行動でき、それが守られている空間がホームパーティー、として提示されたこと。なんて尊いことなんだろうか。その事を自分なりに言語化できて、すっと腑に落ちた。

ホームパーティーで踊る、という自分の人生には無縁であった行為を(本来の形とは大きく異なるとは思うが)肯定できた。康司さんについて「この世のネガティブを全部ひっくり返してくれる」と評されていたのを先日聞いたが、正しくその通りで、自分の中の苦手や不得意にも、見方を変えれば好きな部分があることをいつだってフレデリックは教えてくれる。まじめにふまじめ、というツアータイトルもそういう面を表していると改めて感じさせられている。

またいつでもホームパーティーに招待して欲しいし、みんなと踊りたいと思う。

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