『コンビニ人間』-村田沙耶香

あらすじは、子供時代にあらゆる人間的な社会の営みに対して違和感と疑問を抱えてつつも自分なりに適応する努力をしてきた女性が、その社会の中でコンビニ店員という自分の居場所を見つけるというものだった。

彼女が人生で初めて社会に対して大きな疑念を抱いたであろうエピソードは、友人らと公園で遊んでいる時に鳥の死骸を発見する場面から始まった。彼女は焼き鳥が好きな父親と、唐揚げが好きな妹のために家で調理して食べようと提案した。だが周りの友人や大人たちは可哀想だからお墓を作ってあげようと提案した。
客観的に見て彼女の意見は友人や大人たちが構成する小さな社会の中で異質で理解されがたいものである。だが彼女と社会の差は、死骸になった鳥に感情を投影するか否かというだけだ。公園に落ちている鳥の死骸は果たして調理できるのか、それは衛生的に食せるか。という問題はさておき、それはスーパーに並んだ唐揚げに人々が感情を投影しないことと全く同じことだ。そう考えると彼女の意見は合理性が伴っていると言わざるを得ない。ではなぜ人々は公園に落ちている鳥の死骸とスーパーに並ぶ唐揚げにこんなにも違う印象を受けるかと言うと、死というものへ直感的に感じる恐れと、その恐るべき経験をした鳥への哀れみを"想像する力"があるからだ。と思う。

その他にも、授業中にヒステリックになった学校の女の先生を静かにさせるため彼女のスカートとパンツをおろしたり、喧嘩した男児たちを止めるためシャベルで殴ったり、倫理観が欠損している行動をしたエピソードも描かれていた。
これらに関しても、その動機を聞かれた時に「大人の女の人が服を脱がされて静かになっているのをテレビの映画で見た」や「ああすれば動きが止まると思った」と答えるなど、人間社会のあらゆる常識を度外視すれば彼女の行動には合理性が伴っていると言えてしまう描写が付属している。
彼女に不足しているものは、自身の言動によって相手の心身が如何なる影響を受けるか、そして相手や社会がそれに如何なる評価を与えるかということを"想像する力"のみだ。彼女の母親は事実として彼女への理解が不足していた。彼女の母親にできたことは、彼女が社会的な過ちを犯す度にそれを叱ることだけだった。結果として彼女はただ周りと同じ行動をし、ただ自発的な言動を押し殺すことを覚えた。その努力は彼女に社会的な過ちを犯させることをなくしたが、社会的な正義を教えてはくれなかった。もしも彼女の母親が彼女に不足しているものをよく理解し、それを言葉で伝えることができていたのなら、彼女の合理的思考を考慮すると、抜本的具体的な解決策で導いてあげるまでもなく問題が解決に進んでいた可能性は大いにあっただろう。と思う。

大学生になった頃、彼女は興味本位でコンビニでアルバイトを始めた。自発的な言動はなく、周りの人間に準じて生きることに慣れていた彼女にとってコンビニ店員という別の存在になることは苦ではなかった。それどころか、マニュアルがコンビニ店員においての模範の全てを彼女に教えてくれる。そしてそれになりきることは周りの人から、社会から評価を得られることだった。
彼女が偶然出逢ったコンビニエンスストアという社会的な組織は、彼女に今までの人生で知ることのできなかった社会的な正義の一部を教えてくれた。正しい笑顔の作り方、正しい挨拶の仕方、正しい商品陳列の仕方。それらはあくまでもコンビニエンスストアという組織内に限ったものであるが、社会の一部であることに間違いはない。学校も友人も家族も誰も教えてくれなかった社会的な正義のマニュアルがそこにはあった。彼女は今までの人生でやってきた営みのコンセプトを"コンビニ店員"に変更する、たったそれだけで感謝と評価と幸福を得た。それらは彼女が人生において心の底で渇望していたものであるはずだ。と思う。

コンビニ店員としての生活を続けてある程度の年月が順風満帆の流れていた時、彼女は同窓会をキッカケに再開した級友らとバーベキューに来ていた。彼女にとってその友人関係はコンビニ店員以外の姿で社会的な人間でいるための疎かにしたくないものだった。だが彼女はそこで、未就職かつ未婚であることを懐疑されてしまう。そして彼女は自身の本当の姿が社会的な人間ではないことを理解した上で言い訳を使い誤魔化そうとしていたが、限界を感じ始める。彼女の脳裏を過ぎったのは、数日でクビになった元新人アルバイトの男だった。彼は小さな社会のひとつであるコンビニエンスストアで適合できなかった、だから排除されたのだと。そして自分自身もまた、この大きな社会から排除されゆくのか。と。
彼女がコンビニ以外の場所で社会的な人間であり続けようと試みる理由は、幼い頃からそうなろうともなりきれなかったことに対するある種のコンプレックスのようにも思える。今までの努力によってギリギリでも保てていたその地位が脅かされつつある現状に対して、彼女はこの時から合理的な側面で社会の理を理解しつつ、湧き上がり始める恐怖を感じていたのではないか。と思う。

彼女はその元新人アルバイトの白羽と結婚を前提に同居を初めた。白羽は彼女や自分自身のことを社会に対する役目を全うできない人間であり、その存在は人々から裁かれ排除されると評価をしている。結婚という手段を用いることで二人は人々が行う裁判から逃れようと彼は提案し、彼女はそれに同意した。
彼女は結婚という一般的に沢山の大きな意味のある行為に対しても社会的な大義を見い出せておらず、その意図を飲み込めていない。彼女なりに家族をはじめとした周りの人間から社会的な人間になったと評価されるための方法を昔から探していたが、彼女にとって結婚は非常に簡単な解決策のひとつだった。と思う。

勤務先のコンビニでの迂闊な発言から、彼女は白羽と同棲していることが他の従業員にバレてしまう。それを起点にコンビニ内で彼女を取り巻く環境は変化した。今までコンビニ店員として従事してきた場所で、彼女は社会的な人間という側面で観測され始める。コンビニという小さな社会の中でしか社会的な人間になることができない彼女にとって、その雑音たちは不愉快だった。
彼女にとってコンビニという環境は自分自身が社会的な人間で居られる唯一の場所だった。そしてその中では小さな社会という尺度で、あくまでもコンビニ店員という生物として従業員たちは会話をしていた。だが他の従業員たちへ彼女が漏らした異性関係の事実は、彼らにとって彼女を大きな社会の一員として取り扱い始めるトリガーになった。彼女は既にマニュアルという模範を見つけたコンビニという小さな社会とは違い、大きな社会においての生き方を知らなかった。今まで順風満帆に過ごしてきたはずのコンビニという小さな社会が、コンビニ店員という器が消滅していく様を見ていると、幼い頃社会との差を体感させられた体験を想起しただろう。と思う。

彼女は結局、コンビニのアルバイトを辞め就職活動をすることになった。それは白羽が示した展望であった。彼女はその面接へ向かう途中でコンビニに立ち寄る。商品の陳列が理想的でなく、補充も不十分であること。レジに並ぶ客の量に対してレジ店員の技量が不十分だが、他の店員がそのことに気づいていないこと。細部までの清掃が行き届いていないこと。そんな様々な改善点が、コンビニの声として彼女には届いていた。その店舗は彼女が初めて訪れた場所だった。だが彼女はスーツ姿のまま、コンビニの声のまま、自分の体が無意識に動くままに作業をした。結局彼女は白羽の制止を意にも介さず、自分のいるべき場所はコンビニエンスストアだ。自分のあるべき姿はコンビニ店員だ。そう確信し、新しい勤務先のコンビニを探す決意をした。という結末だった。
彼女の行動原理は大きく分けると二つだけだ。一つは家族を喜ばせたいということ。二つは社会的な人間になりたいということ。前者がよく表されていたのは、鳥の死骸を調理して家族に振舞おうとしたことや、自身が社会に適合できない人間であることに苦悩していた母親をはじめとする家族らに独自ではあるが解決策を模索していたことだ。後者がよく表されていたのは、コンビニ以外での友人関係を一定保つためにバーベキューに参加したり、白羽の進言通りに結婚や就職活動を受け入れたことだ。ただこの二つの行動原理の本質は、自分自身の行動によって自分自身が報われたい、という一点で収束する。彼女はエネルギッシュな性格ではないので目的を達成するための手段へ使うエネルギーはある程度限定的ではあるが、それに使用したエネルギーに対して見合う結果が返ってきた行為をよく覚えている。具体的には子供時代に自発的な行動をしなくなったことや、他人の真似をしたり同調することだ。だからこそ彼女は人生においてこの手段を繰り返し運用していた。コンビニアルバイトで必要な業務は、まさにこれと同じことだ。マニュアルという模範があり、それの従うことで相応な評価を受ける。その営みは彼女の順風満帆な生活の要素全ての由来だった。その動作に慣れ親しんだことで無意識にコンビニの声までもが聞こえるようになった。彼女にとって、その完璧な居場所を手放してまで他の可能性を探求する価値を想像することは、もはや不可能だろう。と思う。

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