初めての仕事

キャリアという言葉を知ったのは、いつ頃だっただろうか?

自分の将来を思い描くようになった頃、キャリアウーマンに憧れて、将来はキャリアを積み重ねながら働くカッコいい女性になりたいと思っていた。

短大に進学し、卒業後は出版関係の仕事に就く。そんな青写真は、高校卒業間際に母が倒れた事で白紙になった。進学しない事を決めたのは自分だ。けれど18歳になりたての私にとって、人生最大のターニングポイントだった。

高校の卒業式に、春からの進路を記載するプリントが配られ、私は未定と書いた。とりあえず車の免許を取得し、ゆっくり就職先を探そうと思っていた。けれど担任から連絡があり事情を話すと、学校に来ていた求人先を紹介すると言うので、私は卒業したはずの高校に行った。

担任から提示された求人は、3箇所。某大学の電話交換手。名の知れた会社の事務員。そして、歯科助手だった。

なんとなく、デスクワークはしたくないと思った。同じ事の積み重ね(というイメージ)よりも、変化のある仕事がしたかった。

「なんだかおもしろそう」

私は歯科医院に面接に行く事を決めた。トントン拍子で面接となり、即採用決定。3月1日の卒業式に進路が決まっていなかった私が、4月1日付で働く事になった。ついこの間まで思い描いていたのとは全く違う、思いがけない仕事キャリアのスタートだった。

歯科医院での初日は、専門用語や薬品の名前を聞かされ頭の中がカタカナだらけ。アルバイト経験の無かった私にとって、すべてが初めての事だらけでものすごく疲れた。でも、白衣にナースシューズで気分は看護師!職場の雰囲気にも慣れ、楽しく仕事していた。

その楽しい気持ちがざわつき始めたのは、同い年の歯科衛生士が入ってからだった。助手の私とは違って国家資格の専門職。歯科衛生士だけができる口腔内の処置や指導は、私には特別に見えた。

私も歯科衛生士の資格を取りたい。

そんな気持ちを歯科衛生士の先輩に相談すると、歯切れの悪い返事。私が想像している事とのギャップがあるようで、なんとなくモヤモヤしたまま歯科衛生士を目指す気持ちは萎えていった。

必死の1年、悩みの2年、諦めの3年、惰性の4年...。就職した時に先輩に言われた言葉だ。気が付くと、まさにそんな感じで過ぎていった。

仕事は楽しかったけれど、私にはどこか物足りなかった。自己実現はプライベートで、と考え英会話スクールに通ったり習い事をしてみたけれど、やはり仕事でキャリアを積み上げたいという気持ちがずっとあった。

そんな時、訪問歯科診療の依頼がきた。

これだ!私もやりたい。やらせて欲しい!

久しぶりにワクワクした。院長にも意志を伝えた。お昼休みに院長と先輩が出かけて行くのを見送りながら、自分に声がかかるのを待った。でも、いっこうに声がかからない。連れて行ってもらえない。技術が足りないから?お昼休みが無くなったって喜んで行くのに。やりたいのに。なんで私はダメなの?もっと必要として欲しい。私を認めて欲しい!

けれど、私に声がかかる事は無かった。「ここでやれる事はもうない」就職して5年目の夏、私は年内で退職しようと思い立った。

ところが夏の終わりに父の病気がみつかり、余命宣告よりもだいぶ早く、秋に父が他界した。あっけなかった。人生何があるか分からない。一度きりの人生、自分がやりたいと思える事をしよう。転職の意志は固まった。

でも、父の事でいろいろお世話になった職場に、年内で退職するとは言えなかった。あと1年。恩返しのつもりであと1年頑張ろう。心の中にしまった思いを胸に、そこから1年は初心に返って精力的に働いた。自分の中では気持ちも固まっていたから、もうモヤモヤする事もなく、素直に歯科助手という仕事に向き合えた1年間だったと思う。

そして翌年の夏、私は年内で退職したい旨を伝えた。何をしたいか今後どうするか決めていたわけじゃなかった。ただ、仕事が生活のすべてと思えるような仕事がしたかった。自分が満足できる仕事に出会いたかった。

私は23歳になっていた。


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