転職で天職に出合う

23歳の夏。年内での退職を決めたものの、転職先が決まっているわけでも、やりたい事が決まっているわけでもなかった。

そんな時に目にした広告。

司会者養成講座。

胸が高鳴った。ドキドキした。受講してみたいと思った。ワクワクした。

そして9月、私はその講座の受講生になった。司会の勉強がしたい方はもちろん、人前で緊張せず話せるようになりたい方、仕事のプレゼンに活かしたい方...など、性別年齢問わずいろんな人が受講していた。その中には容姿端麗で華のある方もいて、当時実年齢より落ち着いて見えて地味だった私は、その華やかさに圧倒されながら、やる気だけはあったので毎回最前列で受講した。

講座が終わるのが半年後、自分が司会者になれるのかを見極め、その可能性が無いなら別の道を目指そう。

そう決めた私は、12月で退職した後に年明けからの数ヶ月は無職になるけれど、これから先の半年間はチャレンジする時間にさせて欲しい。と、母に告げた。

あの日あの広告を目にしなかったら、司会者を目指したいと思う事はなかっただろう。人前で話をするのが苦手ではなかったけれど、話好きではない。司会という仕事の存在を考えた事もなかった。

けれど振り返ってみると、子供の頃に運動会や遠足の日の天気が気になって天気予報サービスに電話した後、聞いたばかりのアナウンスの真似をするのが好きだった。デパートのエレベーターガールの真似をするのも好きだった。中学生の時、電話に出た私の声を聞いた10歳上の兄の友人が「妹、良い声してるな」と言っていたと聞いて、嬉しくなった。高校生の時に、アナウンサーに憧れた時期が確かにあった。

さらに花嫁のウェディングドレス写真への、妙な執着笑 誰かが結婚したと聞くと、親戚ご近所問わずウェディングドレスの写真が見たくてしょうがない。なんなら頂きたい。たぶん変わった子だと思われながら、結婚式の写真を収集していた。

あぁ...あれは、ここに繋がるのか。幸せそうに微笑む花嫁の表情の輝きと、素敵なデザインのウェディングドレスに、子供の頃から魅了されてきた。

結婚式の司会者になりたい。

私の目標が決まった。

地味で落ち着いた印象の私にスポットライトが当たる日がやって来た。確か11月初め5回目の講座が、結婚式の司会発表だった。

周りにいる同年代の可愛くて綺麗な司会者志望と思われる方達に当たるスポットの影で霞んでいた私が頑張るポイントは、ここしかない。最初に講座カリキュラムを見た時から、ここが勝負の回だと思っていた私は、歯科医院の先輩に拝み倒して結婚式のビデオを借り、何度も再生と巻き戻しを繰り返しながら司会者のコメントを起こし、イメトレをして発表の場に臨んだ。

発表のシーンはキャンドルサービスだった。私の発表が始まった時、会場にざわめきが起こった。宿題だからとりあえず発表するのとは違う。私にとっての勝負どころ。用意したコメントを暗唱できるくらいに頭に入れ、ゲスト(講師や受講生)に八の字に目線を配りながら、司会者になったつもりで発表した。うまくいった手応えがあった。

その日の講座終了後、それまで私に全く興味のなかったプロダクションの社長から声を掛けられた。

「結婚式の司会した事あるの?」「やった事は無いですが、やってみたいです」「(驚いて)すぐにでも出来そうな感じよ。でもお仕事してるのよね」「年内で退職する事になっています」「えっ...!?」

年明けから、そのプロダクションに勉強に通う事が決まった。講座が終了した時に何らかの答えは出るだろうと思っていた。そのためにも大事な発表の場。しっかり準備して臨んだ事で、想像よりはるかに早くチャンスを掴んだ。私は私の勝負に勝ったのだ。

講座の受講と平行して、年明けからプロダクションに通い、運の良い事に2月から事務のアルバイトとして働かせてもらえる事になった。途絶えるはずの収入の道もでき、結婚式の司会者になるための勉強が始まった。

いきなりデビューの日が決まった。3月2日。結婚式の司会者になりたい!という気持ちだけはあるものの、素人の私がこんなに早く司会デビューする事になろうとは...。怖いくらいにトントン拍子だった。

先輩が担当する結婚式の見学に入らせて頂いたり、先輩にコメントを見て頂いたりした。オーディションに近いリハを経て迎えたデビューの日は、夢が実現するワクワクする気持ちの方が大きくて、あまり緊張しなかった。もちろん初めてで未熟ではあったものの、2月末で24歳になったばかりの私の司会デビューは、その時自分にできる精一杯で成し遂げた。いきなり進路が白紙になった18歳の春から6年後の事だった。

それから1、2年は結婚式の司会を中心に経験を積ませて頂いた。会場の担当者から指名される先輩司会者に憧れを抱きつつ、ひたすら一生懸命に務めた。

私は結婚式の司会が好きだ。

改めてそう思えた。そう思える仕事に出合えた事、その仕事ができる事が嬉しかった。もちろん紆余曲折、うまくいかなかった事もあったし、ミスした事もある。土日祝日の仕事だから、友人達と会えなくなった。毎日ある仕事じゃないから、司会の仕事だけで食べて行く事の大変さや厳しさも知った。

司会者3年目の春に担当したイベントのアナウンスで、評価して頂いた。認められた事で自信をつけた私は、司会の仕事1本で食べて行けるようになろうと覚悟をし、プロダクションの事務職を卒業したいと告げた。

その頃には私だけが担当する仕事も増えていて、私が抜けるとマネージャーだけでは回らない。今まで同様事務所の仕事をしながら週末は司会をして欲しい。何度も社長と話し合いを重ね、私の本気を理解して頂いた。そして翌年の春、新卒の事務員と交代で私は週末にしか仕事の無い状況になった。

自ら望んだとはいえ、毎週コンスタントに仕事を頂けるわけじゃない。結婚式やイベントの仕事が入る週末もあれば月に1本あるかどうか、という月もある。トップシーズンとオフシーズンの激しい業界。最初から分かっていた事だったけれど、司会の仕事だけで生活するのはやはり無理だった。

その後、平日はいくつかのアルバイトを経験した。月によってはアルバイトの収入の方がはるかに多い月もあった。それでも私にとって「職業は司会者」だった。アルバイトしながらでも、司会の仕事量が安定していなくても、職業を問われると司会者と答えた。

プロダクションの事務の仕事をしている間、司会の仕事だけで食べていけない現実を知り、諦めたり辞めていった同年代の司会志望者を何人も見た。事務職分の収入があった私は恵まれていたと思う。華やかに見えて実は職人のような司会業。経験を積んで本当の意味で一人前になるのに3年はかかる。まさに修行だ。そこを越えても生活できる収入を得られる保障は無い。諦めたくて諦めたわけじゃない人もいただろう。

でも、本当にやりたい事だったら、諦める事を諦め、ひたすら夢を追いかける。人生の中で、そんな時期があっても良いのではないか?たとえアルバイトしながらでも、少ない収入でも、私は司会者だと言い続けた。

司会業は、自分にとって天職だ。

そう思える仕事に私は出合えた。

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