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31 恋人の聖地

愛を語らない方がいい理由

 世の中を見回すまでもなく、恋愛テーマのコンテンツや恋バナに溢れている。それだけ多くの人たちが、恋愛に関心を持っている。言葉は悪いかもしれないが「後妻業」なるものが都市伝説のように語られて、高齢者といえども恋愛可能性を持っている。妻を亡くした高齢の芸能人が年の離れた女性と再婚する、という図式は、もはや珍しいものではない。
 ただ、なぜか、これだけ大人同士になってしまうと、むしろ恋愛話ではなくなっていく。
 なぜか、恋愛は「若い人」のものという固定観念が、これだけ高齢化社会になっても人の頭から離れないのである。
 だとしても、「いや、今度の彼女は56歳で、旦那さんとは30代に離婚して苦労しながら子どもを3人育てて、ようやくいま人生を楽しんでいるだよ。おれたちの青春はいま始まったばかりなんだよ」などと、70代の男性に言われても、にわかには信じがたい。
「絶対、騙されている!」と言いたくなってしまう。
 とはいえ、「なに言ってるんだ、これが愛なんだよ!」と言われても、こちらにはそれを受け止める受容体がない。
 恋愛の話が通じなくなっているのだから、愛を語ってもしょうがないのである。

美女と野獣

 異形のものへの憧れ、あるいはシンパシー、あるいは同情を超越した愛情によって、美女と野獣あるいは美男と野獣のようなカップルは、あり得る。
 不思議なのは、高齢者年の差カップルの愛は信じられないのに、若い人における美女と野獣的な恋愛は、むしろ大いに盛り上がる。伝説的に盛り上がる。
 だけど、これももしかすると年齢で変化していくのかもしれない。若い頃はあれほど好きだった野獣も、高齢になってくると「もういいかな」となってくる可能性はある。
 誰とは言わないが、どちらもすでに亡くなっているけれど、破天荒なロックンローラーと堅実な女優のカップルの場合は、離婚こそしなかったもののほとんど別居状態だったと言われている。なかなかうまくいかないものなのである。それでも世の中では「素敵だ」とさえ評価する声がある。
 誰とは言わないが、ある意味、衝撃的なスタイルの芸術家とアイドルから女優になった人気の女性のケースでは、突然、その女優が有名ではあるもののあまりにもノーマルな料理人との不倫が発覚して大変なことになった。いや、料理人もどこかに野獣を秘めているのかもしれないが、大多数の人たちが証言しているように極めてマジメで「いい人」らしいのである。異形との恋愛は醒めることがあるのだろうか。
 「なんで?」という疑問が先に立つような恋愛のケースでは、たまには、こうした残念な状況も生じる。それはある程度は、年齢による物の見方の変化が原因なのかもしれない。

恋愛には裏切りも含まれる

「あー、恋愛してえ」と叫ぶ女性を目撃したことがあるけれど、どう見ても、彼女の恋愛観は非現実的で、宇宙人でもなければ認めてもらえそうにないものだったりする。
 私の乏しい恋愛劇は、どこにもドラマはないけれど、たったひとつだけ、いつまでもふと夜更けに浮かぶ光景があるのだ。それは、ある駅前の喫茶店で、たまたま東京は大雪になってしまう。彼女が「そこで待ってて」と言うので出向いたのである。しかし、彼女は来ない。連絡もない。当時はまだ携帯電話もないが、彼女が指定した場所だから店の電話は知っているはずだ。2時間待ったが現われない。なにかあったのかな。とうとうこちらから彼女の家に電話をする。と、待ってましたとばかりに出てきた彼女の母親から「もう二度とうちの娘に会わないでください」と言われたのだった。
 いや、まだデートがそもそも2回目なんですけど。
 彼女を紹介してくれた人がずっとあとになって「ありゃ、ダメだな。もっといい子を紹介するよ」と言うのだが、それこそ「もう二度とおれにふらないでください」と言いたくなった。
 駅前なのに誰も客のいない喫茶店で、窓の外にどんどん雪が積もっていく中で耐えた2時間は、恋愛の厳しさとバカバカしさを象徴している。
 もっと楽しい思い出もある。あるんだけど、それをこんなところで語るのはもったいないから遠慮する。それにそういう話は他人からすればくだらないものだろう。私も誰かのそんな話は聞きたくない。
 観光地などに、南京錠をぶらさげて恋愛を誓う「聖地」がある。なぜか恋愛は「永遠」を誓うのである。それはもう、「恋愛」という状況にあまりにも頼り過ぎている。私が勝手に思うには、恋愛はそもそも相手の裏切りを含めたものだ。だから、もちろん、裏切りなく恋愛のまま成就することもあるだろうけど、多くはどちらかが裏切る。
 だから「恋人の聖地」を見ると、なんだか痛ましい墓標のように見えてしまうのである。思わず手を合わせてしてしまう。
 相手の資産を目当てに、思い切って自分の残りの人生のかなりの割合を提供してしまおうという覚悟は、それなりの恋愛ではないのか、などと捻くれた気持ちにもなろうというものだ。
 もしいま恋愛で失敗していたとしても、高齢になってから最後のチャンスがあるかもしれないなんて希望を持つのも、無責任なようだけど、ありと言えばありなのかな。
 
 
 

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