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113 芸人の不祥事と影響

不祥事もいろいろあるからね

 このところ、ダウンタウン松本人志問題(と勝手に名づけたが)は、ずいぶんとテレビにおいては時間を費やしているようだ。それをネットニュースやスポーツ紙が追うので、例によってそもそもの事件の内容や信憑性については大して新しい情報はないままに、やたら大勢の人たちがこれについて発言をしたり、させられたりしている。
 ある記事についての感想やコメントを、もし強要されているとしたら、それはそれでパワハラなので、実際はたまたまレギュラーだった芸人たちに「どう思うか?」とふることさえも、パワハラになりかねないと思うんだけど、そこはどうなのかな。
 また、当事者だった芸人さんが擁護というか援護というか、なにかを発言してしまうのも、とても危険なことだと素人的には思うのだけど、それもまた誰かへの忠誠を示すために必要なことなのだろうか、などと勘ぐってしまうんだけどね。
 芸人(あえて、芸能人とは呼ばず芸人と呼ぶ)の不祥事は、私の知る限り多数あって珍しいことではない。ギャンブル(違法な賭博)、暴力団との関係、違法な薬物の使用、暴力事件などなど、調べたらいっぱいあるだろうし、いまは罪を償ってテレビに出ている芸人もいる。
 だいたい昔から、「芸のためなら」的な破天荒さは、凄味のあるエピソードとして必要なものだとされていた時期もあって、たとえば「若い頃はヤンチャをしてました」的な笑い話になることもあるけれど、そこにはそもそも被害者への配慮はほとんどない。
 もっとも、被害者側にも芸人に取り入ろうとして、あえて調子を合わせている人たちもゼロではないだろうから、一般の人たちからすれば「よくわからないな」となってしまう。
 そこから生まれる「なぜ」に、週刊誌をはじめとした芸能ジャーナリズムも乗っかっていくので「実はこうだった(かもしれない)」といった記事を書き飛ばすようになるだろう。「あの人はいま!」的ないじくり方もあるだろう。さらに「あの話には裏があるんだ」といかにもすべてを知っている風な芸能関係者も出てくるので、話はややこしい。

物言えば唇寒し

 とくに、過去の話では、「これは社会的にも重要な事件だ」とメディアで大騒ぎをしておきながら、いつの間にかかき消されて、うやむやになっていくこともあったので、「芸人の件は、まともに考えてもバカを見ますよ」と冷笑されることも多かった。
 刑事事件として立件されればわかりやすいのだが、そこまで行かず、あるいは裁判も民事で対応して、いつの間にか和解で決着しているケースもあるし、センシティブな話題として、関係者を含め全員が口を閉じてしまう可能性だってゼロではない。
 

ピーナッツ

 つまり、この件について、外野でいろいろ論じたとしても、それはなんだか虚しいのである。

虚と実

 とくに、芸人について言えば、この世界の人たちが命がけで切望しているものは「笑い」である。あるいは「ウケること」である。そのために命をかけている。そのため、なにかをやらかした芸人とその周囲の芸人たちは、「これを笑いにできないか」「もっとウケるためにどうするか」といった方向に走りがちだ。
 よく「真実はひとつ」とか「徹底的に真実を暴く」といったかっこよさげな言葉があるけれど、そういう姿勢ともっとも遠いところにあるのが芸人たちの世界だ。
「彼は大物だから」とよく言うけれど、その大物の半分ぐらいは虚像である。「一緒に乗っかろう」という意欲ある者たちが、つぎつぎとその人を支えて、大物に仕立て上げる。なぜ大物にしたがるのかといえば、その方がいろいろ便利で利益が大きくなるからだ。
 経済的に考えると、群雄割拠で下剋上も頻繁な「自由市場」の方がいいはずだが、そうすると「買い叩かれる」恐れがあるため、とにかく大物を作り上げて、その人物がいなければ成立しないような番組を多数作る。大物のギャラが上がれば上がるほど、その傘下にある支持者としての芸人も潤う。または傘下として認められないと、大物たちがメインの番組には出られない。
 つまり自由市場よりは、独占市場の方が都合がいいのである。大物の総取り状態を作りあげることで、傘下にさえいれば所得は上昇する。
 そして「伝説」をつくる。なぜ、大物なのか。さまざまなエピソードが語られる。傘下の芸人たちは、それを伝道師としていいふらす。
 事件によっては、こうした傘下の者たちが一斉に離れていき、いわば「虚」の部分が剥がれ落ちてしまい、大物だったかもしれないのに、いなくなってもなんの影響も及ぼさない。
 これは政治家の中にもあり得る構造だ。「あの人がいなくなったら大変だ」と言われている人がいなくなっても、特に大きな変化は起きないのである。いくらでも「代わり」が存在している。実は、この「代わり」はお笑いの世界でもいくらでも存在しており、大物がいなくなっても、なにも変わらないのである。例としてあげれば、「アメトーーク」という番組は、司会者の二人組漫才師のうち、ひとりが地上波には出られなくなってしまったのにもかかわらず、いまだに番組は続いている。なんともないのである。
 というわけで、今回の事件(と呼べるかどうかはいまの段階では不明なのであるが)についても、恐らく、世の中への影響は限りなく軽微だろう。
 毎週『夢で逢えたら』を楽しみにしていた、あの頃が懐かしいので、たまにネットに上がっている当時のコントを見たりもするけれども、だ。
 
 


 
 


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