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334 この記事を読んで今日はオシマイ

とてもいい

 この記事をさきほど読んだ。今日はもうこれで十分な気がした。

 以上。

 こうした言葉との出会いがあるから、SNSとかnoteは日常の延長として私たちの一部のようになっていくのだろう。

快適ボタン

 ほかのことを書く。
 エアコン暑すぎ寒すぎ問題について。
 昭和の時代にエアコンが導入されて以来、エアコン暑すぎ寒すぎ問題はほとんど解決されないままになっている。昨日も、近隣のオバサンが「私は23度でも寒いのに息子は20度にしろって言うのよ」と井戸端会議で発言していた。オフィスでも寒い場所と暑い場所があるので、いまでも大変かもしれない。
 だいたい店でも、店内に入ってすぐ「うわー、涼しくて気持ちいい!」と思わず叫びたくなる時は、五分もしないうちに寒すぎることに気付く。じっとしている客の快適さより、走り回っている店員の「暑さ」に合わせているに違いない。
 ただでさえ「40度を超えました」とか「朝から30度です」といった日々を私たちは今季、経験してしまった。この酷暑を乗り越えることも大変だけど、エアコン暑すぎ寒すぎ問題はきっと解決されることなく継続されていくだろう。推測だけど、外の気温が高くなっているので、外から来た人にとって気持ちのいい冷え方が求められるとすれば、それは室内にずっといる人にとっての「ちょうどよい」とはかけ離れている可能性が高くなる。
 こうなったら、「前室」を作って、外から来た人はいったん冷蔵庫みたいなところに入って震えるぐらい冷やしてから、店内へ入る、といったことでもしないといけないかもしれない。
 高齢の父母たちは、今年のはじめ頃にエアコンが壊れて新しい機種に変更している。するとリモコンに「冷房」「暖房」とは別に「快適」のボタンがあるではないか。ドラえもんの世界でもあるまいし。
「本当に快適なのよ」と母。そのボタンだけで、この夏を乗り切ろうとしているのだ。
 確かに「快適」ボタンがあればすべて解決してしまうかもしれない。「これが快適だ」と言われてしまうわけだから。
 それにしてもこのボタンをつけるには相当な議論が社内でもあったのではないだろうか。センサーによって室内の温度を測定するだけではなく、利用する人がどんなときにどのボタンを使うか観察し、そのパターンから「これがこの人たちの快適なのでは」とAIが推測し、以後、自動でそれをやってのける、みたいな装置らしい(カタログをざっと見てわかる部分だけで構成しているので、違うかもしれないが)。
 今後、私たちの身の回りにはさまざまな「快適ボタン」が設定されていくことになりそうだ。社会の不快さが増し、気象の不快さが増し、人間関係の不快さが増し、メディアの不快さが増していくにつれて、私たちは「快適ボタン」を押しまくるようになるだろう。
 そしてふと考える。この快適は誰のための快適なのか。

色合いを出すのが難しい。錆びたトタン。



 
 

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