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193 面倒くさいやつ

そんなことはわかっている

「でも、やっぱり気になるんですよ、この組織、どっちを向いて活動しているのか」
 ああ、こいつ、面倒くさいやつ。
 それはわかっている。なぜなら、そんな面倒くさいことを言い出しているのが私自身だからだ。
 花見客や新人歓迎会でごった返す千ベロの居酒屋の片隅。ようやく見つけた席に男が四人、ちんまりと身を寄せ合っている。テーブルにはホッピー、中身を追加した容器。ホタルイカ。串揚げ。たまねぎをスライスしたサラダには、これ以上小さいトマトはプチトマトになっちゃうだろうと思われるほど小さいトマトの薄切り。小さなトマトを六枚に切るって、なかなかの技だろうな、と想像したりする。焼酎のお湯割りを飲んでいるのは七十代で退官した教授、いや元教授の大迫だ。老後の楽しみは「湯治場巡り」という。
「湯治場はいいよねえ。全国の湯治場を巡って、それを原稿にするから、5万円ぐらいで買ってくれないかな。いや、2万でもいいけど」
 それをうなずきながら聴いているのは還暦を迎えた元大手出版社の編集者だった宇月。いろいろな理由でいまは個人事務所を立ち上げて出版関係の仕事をしている。
「いいですね、写真も撮ったらいいですね」と宇月の部下でフリーライターになっている近藤が適当なことを言う。彼は五十代で子どももまだ未成年、所得を増やす必要に迫られている。
 するとやおら、私の中の面倒くさい虫が顔をもたげて「先生、それはムリでしょう」とつい言ってしまう。ホッピーを飲む。思った以上にすっきりした喉ごし。「『マツコの知らない世界』に出るぐらい、全国の湯治場を回ってその情報をネットで配信しているとかならともかく」と、余計な言葉が滑らかに口をついて出て来る。自分でも不思議なぐらい、余計なことはいっぱい出てくるのだ。肝心なことは出て来ない。
 あー、またやってしまった、と後悔するそぶりもなく、むしろ「またやってるな、おれ」みたいな気持ちになっている。よろしくない。そんなことはここにいる連中はみなわかっているのだから。
 先生、あるいは先生だった大迫を、できる限り気持ちよくしてあげて、この場の支払いを気持ちよく引き受けて貰いたいだけなのである。

空っぽの倉庫のような団体

 もちろん、この会合の趣旨は別のところにあった。
 大迫が理事長を務めている団体を、宇月に引き継いでもらう、ついては私と近藤も理事に加わって盛り立てて欲しい。そんな提案だった。
 宇月は以前から大迫とは仲がよく、大迫は宇月と取材旅行を何度もしてきた仲である。それは宇月が大手出版社の社員だった頃の話である。取材旅行を楽しみながら、数冊の実用書を出版していた。驚くほどのことではないが、いずれもすでに絶版状態である。
 大迫の団体は、定款やこの数年の事業内容を見る限り、私にはなんの魅力もない空っぽの倉庫のようにしか見えなかった。つまり、いまさら盛り立てても、ほこりぐらいしか出てきそうにない。
 近藤は乗り気である。「理事になれるってよくない?」と私に言う。
 フリーになっているクセに肩書きに憧れてしまうのは、アルアルなのかもしれない。フリーランスは気軽、身軽、そして財布も軽い。これまでにも私の知り合いで、怪しげなNPO法人を立ち上げたライターもいたし、一般社団法人(誰でも作ることができる)を立ち上げた人もいた。その後、素晴らしい成果を上げた話は、私には聞こえて来ない。
「やっぱり、これから誰のために、何をするのかが見えていないから、私は遠慮します」とまだ酒宴は序の口なのに、言ってしまう。言葉の暴力である。
 大迫先生は鞄から薬の袋を出し、「飲まなくちゃ」と言いながら水を貰って六種類の薬を飲み始める。それを見ていた宇月が「私も同じのを飲んでますよ」と言い出す。それからしばらく、スピルバーグの映画「ジョーズ」の漁船の中で傷を自慢し合うシーンみたいに、みんなが口々に持病と薬の話をし始める。私だって、少しは薬を飲んでいるのだが、立場としては盲腸の傷跡ぐらいしかない警官と同じだ。こういう時のために、もう少し派手な持病のひとつもなければ、と感じる。
「いや、もうこんな時間だ、では諸君、今日はありがとう。宇月君、あとはよろしく」と大迫先生は立ち上がり、宇月にすっと寄って剥き出しの千円札を数枚渡す。「これで」と。宇月は慣れているらしく「ありがとうございます」と卒業証書でも受け取るように札を貰うのである。足りるのか、それで。
 先生は機嫌よく帰っていく。周囲の若者たちの酒盛りはピークとなって、私たちの声も聞き取りにくい。それでも残った三人は、過去に一緒にやった仕事の話や、共通の知り合いの消息などをぐだぐだしゃべりながら、酒を追加して飲むのである。
「あー、もう、なんだかなー」と宇月がひときわ大きな声を上げた。「今日はこれで終わりにしよう」と言い出す。なんの結論も出ていない。
「じゃ、これで」
 会計すると、四人で七千円弱。さすが千べろだ。半分以上を先生が持ってくれた。残りを割ろうとしたが「いいよ、ここは」と宇月。彼だってそれほど仕事は順調ではないだろうに。
 こうして、たぶん、私の前に現われた案件は、きれいに流れていくのである。二度と、私の前に戻ってくることはない。恐らく宇月と近藤は「あいつ面倒臭いから、次は呼ばないようにしましょう」とか話しているに違いなく、もしそうだとすれば、私としてはとてもありがたいのである。

スタンダードプードル


 

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