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昭和のあそび めんこ

昭和を懐かしむnote へようこそ!昭和時代の良き想い出を掘り起こしてみたいと思い、noteをはじめました。
今回はめんこ遊びを懐かしんでみたいと思います。

 地域性もあるのでしょうが、私が育った町ではめんこ遊びのピークは、6つ上の兄世代の頃の気がします。ピークとは言え、兄はめんこにはまったく興味が無く1枚も持っていなかったと思います。
 私の世代にはピークを過ぎていた事もあり、それなりにめんこ遊びはしましたけれども、同い年の友達の中にもそんなに大量のめんこを持っていた子はいなかったですね。多くても10枚程度、20枚持っている子なんていなかったと思います。

 面白かったですけどね。たまにスッゴイの持って来る上級生とかいましたね。同世代で遊んでいると、その臭いを嗅ぎつけて上級生がやって来るのですね。バカでかいめんこや、テープでグルグル巻きにした分厚いめんこを出して来て、私たちのめんこを次から次へとひっくり返して奪っていくのです。その奪い方を見て、いい上級生と悪い上級生を振り分けていました。
 全部持って行く『凄い嫌なヤツ』、少し残していく『普通のヤツ』、逆に格好良いめんこを置いていく『良いヒト』

 根こそぎ持って行かれるとさすがに凹みます。めんこ遊びって面白いけれども「汚いヤツが勝つ」みたいな世界だなと思いますね。あんなグルグル巻きにしたの反則だろ~!とか言いながら、でも悔しいのでひっくり返してやろうとムキになっている自分がいたり。スキを狙って相手のめんこの下に砂利を仕込んでやったり、それでもやっぱりビクともしないので、もっと上の上級生を呼んで来る。すると相手が反則じゃ~と叫んだり。。
 めんこ遊びというのは、もしかしたら人間社会を生き抜く上でとても大切なトレーニングをしていたのかも知れません。
 ルールが曖昧という所が世の中の仕組みととても似ていると思います。

 世の中で本当に突出した才能を発揮できる人はごく僅かですね。才能を持っていても芽が出ない人が殆どな訳です。何が足りないか分かれば、みんな芽が出る訳ですが実際にはそうではありません。運かも知れないし、さらなる努力かも知れないし、心身の健康かも知れないし、それら全部が必要なのかも知れないし、ひとつだけで良いのかも知れません。

 バカ正直にやれればそれに越した事はないのですが、小さな薄くて軽いめんこで勝ち抜くには相当なテクニックが必要です。突然の風や砂利が味方してくれる時もあれば、味方だったはずのそれらがいつの間にか相手方についている事もあります。ルールが曖昧な中で、何枚貼り重ねるのか、どこまで大きくするのか、これ以上やったらダメだ、これはイケルとか、その時々で相手を見ながら対応を変える。相手の納得させる言い方を考える、反則だ!と言って良い相手かどうかを見極める、引き際を見つける、気に入られる相手を探す、負けたフリをする、とか。

 う~ん、ナンカ薄汚い事ばっかですね。でも実際こんなヤツがゴロゴロいる世の中です。
 どうあがいても上手くいかない時、少し真面目にやり過ぎているのかも知れません。曖昧なルールの下では大体の事は許されるものです。
 めんこ遊びの中に状況を打破する為の良いヒントが見つかるかも。


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