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「人類を裏切った男~THE REAL ANTHONY FAUCI(中巻) 」⑥ ポイント抜き出し 6/6~第8章 ファウチ博士の悪ふざけ

 2021年11月9日に米国で発売された本書は、書店に置かれず、様々な妨害を受けながらもミリオンセラーとなり、この日本語版も販売妨害を避けるためか、当初はAmazonでは流通させず、経営科学出版からの直売のみになっているようだが、現在はAmazonで買うことができるようになっている。

 日本語版は1000ページを超えるために3巻に分けられた。

 本書はその中巻「アンソニー・ファウチの正体と大統領医療顧問トップの大罪」だ。

 極めて重要な情報が満載で、要旨を紹介して終わりでは余りにも勿体ないので、お伝えしたい内容を列記する。

 今回は第8章 「ファウチ博士の悪ふざけ」。

 概略を書くと、

 ファウチ博士は規定を守らなくても誤魔化せると踏んだアフリカでの杜撰な治験にアフリカの子どもたちを使い、自らが特許権を持つ危険で効果のない薬に承認を与えるべくありとあらゆる手段を行使する。
プラセボ試験は行わない。
被験者に治験の内容を偽って伝える。
結果をねじ曲げた治験報告書を作成し、強引に承認を得ようとする。
承認が得られなくてもアフリカに導入する。
これらに異議を唱える者は排除する。

このような内容だ。

以下、抜粋。

 ベラ・シャラブが指摘するように、医療の独裁体制や人体実験には、人種差別思想が色濃く残っている。
『ネイチャーバイオテクノロジー』誌の編集長で分子生物学者のハーベイ・ビアリーは、エイズ研究の特徴として、人種や性別による偏見や差別といった実態の捉えにくい背景要素があると指摘する。

「この伝染病に引き込まれてしまった恐怖は、政府の公式見解によって増幅されました。サルを相手に性交したアフリカ人が発生源で、その後ハイチのブードゥー教の信者たちに広まり、ホモセクシュアルという性的偏好によってアメリカに広がったと発表されたのです」

 また、『ニューヨーク・ネイティブ』紙の発行人であり、ファウチ博士に批判的なチャールズ・オルトレブは、伝染病を広げている望ましくないマイノリティという考え方は全体主義の決まりごとで、ヒトラーが結核に対する民衆の恐怖をかき立て、反ユダヤ感情をあおったのはその有名な例だと語る。
「エイズには常にこの種の偏見がつきまとっていました。 ゲイや黒人、ヒスパニック、アフリカ人が有害な薬のターゲットにされたのは、ただの偶然だと片付けてよい問題ではないのです」

 ファウチ博士の治験責任医師たちは開発途上国を狙った。なぜなら、こうした国では、力のある多国籍製薬企業による加虐行為から貧困層の国民を保護できる制度が欠けていたからである。ベラ・シャラブによると、ファウチ博士がNIAIDとその仲間の製薬会社に高リスクで非難を避けられないような研究を海外に移管させたのは、「アメリカ国内では絶対に罰を免れない類のことができるため」であった。

 ジャーナリストのセリア・ファーバーも、シャラブの推論に同意する。
「薬を人々の『手に届ける』という慈愛に満ちた言葉で人種差別を巧妙に覆い隠しているのです。清潔な飲み水や教育、衛生的な環境、栄養を彼らに届けたことは一度たりともありません。 立場を逆にして考えれば、慈善事業という名を使った偽善だとわかるはずです。私はこれをファーマ・コロニアリズム(製薬業界による植民地化政策)と呼んでいます」

 アフリカはかれこれ一世紀以上もの間、製薬業界の植民地と化している。政府高官は協力的、国民は従順、被験者の登録にかかるコストは格安、メディアや取締官による監視は抜け穴だらけなのだから、製薬企業には願ったりかなったりの場所である。「志願者」たちには力も学もなく、必要なら志願しなかったことにもできる。だから、製薬企業の治験責任医師は悲惨な副作用や過失だって隠蔽することが可能だ。

 2005年、アメリカ食品医薬品局(FDA)は、ファウチ博士のDAIDSが数十名の死亡と数百名の健康被害を隠蔽していたことを知った。博士の虚栄心の産物である有害な抗HIV薬、ネビラピンのアフリカでの治験中に起きた事例だった。

 DAIDSのアフリカでのずさんな実験にもファウチ博士は関わっていた。1988年10月に博士がアジドチミジンの承認を得たことにより、技術系キャリア官僚として10億ドルの宝くじ当選にも等しい報酬を獲得した。

 2つの政権を経て、ファウチ博士は時の大統領ジョージ・W・ブッシュに、HIVがアフリカに根を下ろし山火事のように急速に広がっていると警告する。そして、アメリカの対外援助費をアフリカのエイズ撲滅という高潔な事業に振り当てることで、「思いやりのある保守派」の善意を示すべきだと進言する。

 ブッシュ大統領はこれを受け、2002年1月1日、エイズ撲滅のための150億ドルの予算案を発表した。そこには、アフリカの母子に配布するネビラピン数百万錠の購入費5億ドルも含まれていた。

 ファウチ博士が1988年にFDAからアジドチミジンの承認を巧妙に勝ち取ったことによって、エイズ治療薬のゴールドラッシュが始まる。

 カナダの規制当局は、1996年と1998年に毒性が強いことと有効性に疑義があることを理由に、ネビラピンの承認を拒否している。

 2000年12月の『ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーション (JAMA)』は、ネビラピンは患者の命にかかわる肝毒性を持つから処方しないよう、HIV医療従事者に勧告している。

失敗の許されない治療薬

 ファウチ博士はおそらく、ネビラピンが安全で有効な治療薬としてFDAに承認されていない事実をブッシュ大統領に告知していない。

 ウガンダは、好景気に沸く治験ビジネスに自国民を差し出し、儲けの多いビジネスで現金を得ようとする多くのアフリカ諸国の一員となった。1997年、ウガンダは、ジョンズ・ホプキンス大学を拠点とするファウチ博士の治験責任医師ブルックス・ジャクソン博士に首都カンパラでのネビラピン臨床試験を認可する。

 1999年、ジャクソンのチームは医学雑誌『ランセット』への投稿で、「ネビラピンにより生後14~16週の母乳栄養児のHIV-1感染リスクが約50%低減した。このシンプルで安価な治療法は、発展途上国のHIV-1母子感染を減少させ得る」としている。

 しかし、この華々しい成果の裏には、明らかな方法論的不備が隠されていた。 製薬会社の研究者たちは、試験群の有害事象を隠蔽するためにプラセボ対照群を置かないという極めて非道なからくりを採用した。 薬効のないプラセボ対照群がなければ、博士号を持つペテン師たちが、試験群の被験者の健康被害や死亡をすべて、試験薬とは無関係の悲しい偶然と片付けられるのだ。

 ネビラピンについてのDAIDSの正式な臨床試験のプロトコルには、プラセボ対照群を置くことが求められていたが、ウガンダに来るや、悪徳なDAIDSの研究チームは、プラセボ対照群をあっさりと排除してしまった。プラセボを使用しない代わりに、626人の妊婦の半数にファウチ博士の非常に危険なアジドチミジン製剤を投与し、残りの半数にネビラピンを投与し、臨床上の転帰を比較しただけだった。

 この研究に基づいて、ファウチ博士は2000年に世界保健機関(WHO)を説得して、HIVの母子感染予防薬としてネビラピン単回投与の緊急時使用許可を正式推奨という形で認めさせることができた。

 WHOはすでに、ビッグファーマの操り人形だった。 ファウチ博士はWHOによる場当たり的な承認を利用し、ブッシュ大統領を説得して数百万ドル分のネビラピンを購入させた。 ベーリンガー社は、開発途上国33カ国のクリニックや産科病棟に、致死性で効果がないその薬を出荷し始めた。

 ベーリンガー社はHIV感染の疑われる626人のウガンダ人妊婦を治験に参加させた。 もともとアフリカでのHIV診断はずさんで、めったに血液検査での確認は行われない。(中略)研究者らは試験開始の初日からプロトコルの安全性・有効性に関するほとんどすべての項目を黙殺し、「投薬の安全性」試験において最も重要な前提条件となる純粋なプラセボ対照群さえ置かなかった。

 アジドチミジンとネビラピン双方の試験群で起きた大量殺戮をなかったことにするからくりのおかげで、NIAIDの研究者は両薬の好ましい評価を集めることができ、それを1999年夏に「ランセット』誌で公表した。

 NIAIDの公式治験報告書では、お決まりの欺瞞に満ちた婉曲表現を用いて、「この2種類の薬剤による治療は良好な忍容性(訳注・薬物によって生じることが明白な有害作用が、被験者にとってどれだけ耐え得るかの程度)を示した」と論じた。
 このような詐欺的主張の根拠は、「2つの試験群の有害事象が類似していたため」だという。『ランセット』誌の論文は、脚注に小さな文字で、「38名の乳児が亡くなり、うち16名がネビラピン群、22名がアジドチミジン群だった」旨が書かれていただけであった。

 2001年7月、ベーリンガーインゲルハイム社は、NIAIDのウガンダの臨床試験だけを根拠に、ネビラピンをHIVの母子感染予防薬として市販できるようFDAに一部変更申請を行った。

 ところが、すでに「ランセット』誌の論文の根拠となるファウチ博士のカンパラでの治験が正確さや倫理の面で重大な問題のあるいかさまだという話は、ワシントンにも聞こえていた。このタイミングでFDAは、海外での治験に対する計画的査察を行う標準手順に沿って、ウガンダに調査員を派遣するとの声明を出した。

 NIAIDの実験はめちゃくちゃで、「重大なFDA規則に対するコンプライアンス違反」もあった。 DAIDSのチームは、危険で効果のない薬をFDAに承認させたいがために、ほぼすべてのGCP(訳注・Good Clinical Practice のこと。 医薬品の臨床試験実施の際に、企業や医療機関が守るべき基準)に抵触していた。

 FDAの査察の機先を制しようと、NIAIDは2002年2月、民間コンサルティング会社 Westat (ウェスタット)にカンパラでの試験の調査及び監査を依頼した。

 監査員は数々の重大な「GCP」違反を確認したが、どういうわけか、都合よく「重要記録が紛失」していた。

 ウガンダでの臨床試験を実施したNIAIDのチームは、ウェスタットの調査員に、すべての有害事象と死亡を記録した重要な日誌も紛失したと話した。

 ウェスタットがジャクソン博士のチームの研究者に試験の問題点を突き付けたところ、ウガンダの黒人被験者にはFDAがアメリカ国内での安全性試験で要求される基準を緩めていたことを認めた。
 アメリカの白人なら「重篤」や「致命的」と記録されるような被害も、アフリカの黒人では「軽度」の被害とされた。研究者たちはゆるい規則を適用して、「致命的」な健康被害を「軽微」と記録していった。 そもそも、NIAIDは、アフリカ人志願者たちの死を、「死亡」ではなく「重篤な有害事象」に分類して報告していた。NIAIDのウガンダの臨床試験では、数千件の有害事象と、少なくとも14件の死亡例がまったく報告されていなかった。
 中でも、試験終了後数ヵ月以上たって発生した死亡例は、すべて報告書から除外されていた。

 ウェスタットの監査員は、毒性の強いネビラピンがHIV感染を予防することを示すデータは皆無だったとして、この薬に太鼓判を押すのを拒否した。

 最終的に報告書を確認したFDA取締官は、「NIAIDとベーリンガー社の幹部に停止命令を出した」。FDAはベーリンガー社にネビラピンの申請取り下げを求め、そうしないとFDAの公式棄却という汚点が残ることになると指導する。
 これを受けて2002年3月、ベーリンガーインゲ ハイム社はFDAに対するネビラピンの一部変更承認申請を取り下げ、ジョンズ・ホプキンス大学とNIAIDのチームはスキャンダルまみれのウガンダの研究拠点を閉鎖した。

 ネビラピンはアンソニー・ファウチの「愛児」だった。彼は大統領との信頼関係をこの治験の成功に賭けていた。だからこそ、アジドチミジンと同じく、ネビラピンも失敗の許されない薬だった。

 ファーバーは言う。「様々な役割を持った人たちがその治験に深く関わっていたため、ファウチ博士とブッシュ大統領の関係を損なわずに、そしてNIAIDをウガンダでのスキャンダルに巻き込まずに、研究を亡きものにすることは不可能だったのです」

 NIAIDは事実を隠蔽する作戦に出た。議員や手ぬるいマスコミを操る名手となっていたファウチ博士は、自らの広報チームに命じ、ウガンダの遺体安置所スキャンダルは些細な事務的ミスが生んだ単なる誤解だと話を作り換え、起死回生を図った。

 NIAIDは、FDAによる重大な安全性・有効性の警告やベーリンガー社の屈辱的な申請取り下げをいとも簡単になかったことにし、ウガンダでの残虐行為は単なる記録管理上のミスだとするプレスリリースを出した。

 ファウチ博士は彼の妄信者たちとの広いネットワークを駆使し、多数の機関に隊列を組ませ、NIAIDの公式談話を支持する声明やプレスリリースを発表させた。隊列にはエリザベス・グレイザー小児エイズ財団、ジョンズ・ホプキンス大学、ベーリンガーインゲルハイム社などが参加した。NIAIDは、衝撃的なベーリンガー社の申請取り下げを単なる一時的後退と表現し、ファウチ博士はジョージ・オーウェルのニュースピーク(訳注・小説『1984』に登場する、全体主義国家が国民の思考を制限するために作った言語)ばりの奇妙だが見事な物言いで、称賛に値する企業責任の取り様だと歪曲した。

 2003年1月28日、新しい大統領が一般教書演説の演壇に立ち、ファウチ博士の新たな取り組み、「大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)」を世界に向けて発信した。

「アフリカ大陸では、3000万人近くの人がエイズウイルスを持っています。(中略)しかし、アフリカ大陸全土で5万人――わずかに5万人のエイズ患者しか、必要な薬を手にすることができません。
(中略)私は議会に、今後5年間で新たな約100億ドルを含めた150億ドルを拠出することを要請し、アフリカやカリブ地域の最も被害の大きい国々でのエイズとの戦いに勝利します。」

 エドマンド・トラモントは、上司であり雇い主でもあるファウチ博士、さらにはこのスキャンダルに加担したすべての人たちの面目を保つため、自らの任務に果敢に立ち向かった。

 トラモントは、ベッツィ・スミスとNIHエイズ部門の規制遵守担当官トップのメアリー・アン・ルーザーの2人が発見した不都合な事実を抹消して、不適格と判断されたウガンダのデータを「再構築」することにした。

 DAIDSが2003年3月30日に発行したトラモント版の再調査報告書からは、スミス博士の安全性報告が消えていた。 トラモントは、その報告書を書き換えたと後日認めた。彼の報告書は、冒頭から、安全審査委員会の結論が「不適格」から「適格」へとあからさまに書き換えられていた。
そして、大胆にもこう結論づけた。
「単回投与のネビラピンは、NIH母子感染を予防する安全で効果的な治療薬である。このことは、ウガンダで実施された臨床試験HIVNET012を含めた複数の試験によって証明された」

  トラモントは、報告書の他の箇所がこの捏造された結果に矛盾しないよう、データを改ざんし始める。

2002年12月、トラモントの編集技術により、FDAが全世界の妊婦に致死薬の投与を認める根拠となる文書が完成した。

大統領の承認印

  ここで、「テフロン・トニー」が奥の手を使った。ファウチによるとどめの一撃は、ブッシュが個人的に現場を訪問して不祥事まみれのネビラピン・プロジェクトを聖なるものにするというホワイトハウスの声明だった。

 2003年7月11日、ブッシュ大統領はカンパラの治験施設を訪問した。施設はDAIDSがこの日のために慌てて再開し、臨時の医療従事者を配した。

 この陰謀には、別の問題があった。NIH医務官のベッツィ・スミスとメアリー・アン・ルーザーは、隠蔽に加担しようとしなかった。この未決の問題を片づけるために、ケーガンはNIAIDの倫理責任者ジョナサン・フィッシュバインに、業務命令不服従でルーザーを懲戒処分にするよう指示する。
 だが、調査を行ったフィッシュバインは、内部告発者のルーザーこそが英雄だと確信していた。そして、ルーザーを処分する正当な理由が見当たらないとトラモントに告げ、公式な懲戒処分にすべきではないと勧告した。
 フィッシュバイン博士の抵抗に遭い、トラモントは引き下がった。

 ベーリンガーインゲルハイム社はその後、NIH母子感染予防に関する申請をFDAに提出しなかった。にもかかわらず、WHO(後述するように、このころにはビル・ゲイツとアンソニー・ファウチの支配下にあった)はこの致死薬を世界中の途上国の妊婦に使用するために出荷し始めた。「なぜネビラピンがあのように製造され、販売され、途上国市場に投入されたのかは謎です。西側諸国の医薬品安全当局にことごとく却下されたのですから。それがなぜ、見直されて途上国に出荷されることになったのでしょうか。ダブルスタンダードもいいところです。

 また、フィッシュバインはこうも語った。「ファウチは、カンパラでのネビラピンの試験はアメリカでの使用を許可するには不十分なレベルでも、アフリカの黒人たちへの投与を認めるには十分だと熱心に主張していました。率直に言って、人種差別だと感じます」

喉から手が出るほど欲しい利益

 歴史的に、製薬会社や医療カルテルは、危険な医薬品や治療法は有色人種で試験することを好んできた。しかし1990年代終わりごろになると、アメリカの黒人たちは医学的な権威への不信感を募らせていく。

 1996年にクリントン大統領がタスキギー梅毒 実験(1935~1973年)の犠牲者に遅ればせながら公式に謝罪をしたことで、黒人たちは、J・マリオン・シムズ(現代婦人科学の父)による黒人女性たちへの残忍な婦人科医学実験など、別の歴史的残虐行為にも改めて目を向けた。

 また、1992年の『ロサンゼルス・タイムズ』紙が、疾病対策センター(CDC)により1986年以降に、ハイチとカメルーンの黒人児童およびロサンゼルス中南部の1500名の黒人児童に対し、死に至る可能性のあるインフルエンザワクチンの無許可実験が行われていたことを暴露した。

 2003年、テネシー州メンフィスに住むアフリカ系アメリカ人のHIV陽性の母親が、ファウチ博士のネビラピン治験中に亡くなった。その年の4月、ジョイス・アン・ハフォード(妊娠4カ月で、13歳の子の母親でもあった)は、小児科医が推奨するHIVの定期検査で陽性反応が出たことを知り、ショックを受けた。 陽性診断は死の宣告に等しいと信じていたハフォードは、やがて生まれる息子がエイズを発症しないことを願いテネシー大学でのDAIDS 臨床試験に登録した。

 ファウチ博士の治験責任医師であるエドウィン・ソープは、4種類の抗HIV薬の妊婦での「用量制限毒性」を確定する目的で、440人の妊婦の募集を計画していた。

 ハフォードは健康で症状もなく、その後の検査ではエイズであることを示す指標は皆無だった。だがソープは、HIV検査は抗体の存在を検知するだけであり、HIV感染の有無を知るために信頼できる指標ではないことをハフォードに伝えていなかった。

 ハフォードの健康状態は、ネビラピンの初回服用後、急激に悪化した。ほんの数日で肝機能低下を示す兆候がはっきりと現れた。ソープは、死に至る可能性のある薬を中止せず、 皮膚発疹用にコルチゾンクリームを処方する。

 数週間後、ハフォードは肝臓に血液が循環しなくなる危険な状態に陥った。そして治験開始から41日後、肝不全で亡くなった。

 ソープと彼のチームに、死因は急激に進行したエイズだと告げられ当惑した。
 彼らは嘘をついたのだ。 彼女が亡くなった翌年、AP通信のジョン・ソロモン記者が、情報公開法に基づいて貴重なDAIDSの報告書を入手し、ジョイスの家族に見せた。この内部メモでは、DAIDSの職員たちは、ジョイス・ハフォードの肝不全の原因はネビラピンだと公然と認めていたのだ。
 ソープとその仲間は、スターリングに3ヵ月間アジドチミジンを投与し続けた。1.5ヵ月後の検査では、スターリングはHIV陰性だった。家族の再三の要求にもかかわらず、ソープと病院は、スターリングの医療記録の開示を拒否した。スターリングの家族は、NIAIDが記録を伏せているのは、ジョイスもスターリングもHIVに感染していなかったことを隠すためだと考えている。

「メンフィスでのジョイス・アン・ハフォードの死は、ファウチの子分による入念かつ計画的な黒人女性に対する殺人行為です」とファーバーは私に語った。

 2003年夏、フィッシュバインはハフォードの事例に介入する。
 フィッシュバインの規制チームはFDAにハフォードの薬剤関連死を報告する。

 被害を受けた治験参加者はハフォードだけではない。21人の妊婦を対象としたフェーズIで、22人の乳児のうち4人が死亡し、12人に「重篤な有害事象」が発生したとNIAIDの調査員が後に報告している。さらにこの試験では、ネビラピンに効果がないことも示唆されている。ウイルス量が減少した妊婦はひとりもいなかったのだ。ソープのチームが2004年になってようやく公表したネビラピン試験結果の報告書には、「予想よりも高い毒性のため、試験を一時中断した(後略)」と記されていた。

誠実さを根絶やしにした職場

 フィッシュバインのDAIDSでの責務は、臨床試験と倫理政策を推し進めることだったが、それは長くは続かなかった。致命傷となったのは、インターロイキン2製剤に関して不法行為がないかの調査を決断したことだった。

 この製剤(後に商標名をプロロイキンと言う)は、がんの化学療法やエイズの治療を目的として、ESPRITと呼ばれる臨床試験が行われていた。ESPRITは、無症候性のHIV陽性者に対するインターロイキン2の臨床結果を見るための試験だ。
 2003年12月、ESPRITの担当医務官がフィッシュバインに、インターロイキン2治験で厄介な副作用が見られると報告した。例えば、自殺念慮といった精神面の異常や毛細血管漏出だ。担当医務官であるラリー・フォックスは、NIAIDが法に則って危険要因を治療薬概要書に記載しておらず、参加者たちをリスクにさらしていると悩んでいた。

 NIAIDは概要書を更新しておらず(最後の更新は2000年)、治験登録を検討している人たちに、これらの重大な危険について十分に告知していなかった。

 NIAIDの幹部にとって、フィッシュバイン博士が面倒な存在になりつつあったのは明らかだった。専門的知識を持ち、好奇心が強く、清廉潔白で、まじめに職務を遂行する人だからである。
「彼の大きな問題は、自分の仕事がまともだと思っていたことです」とファーバーは言う。

 フィッシュバインはNIAIDの危険領域に足を踏み入れてしまった。彼の行為は、進行中の承認手続きに横やりを入れるものだった。 患者の安全を心配し、NIAIDの中核ミッション一肯定的な評価を出して新薬の承認を獲得する一を邪魔するフィッシュバインに、トラモントは立腹した。そして、早まらないよう警告する。
「君は少し焦りすぎだ。 ここがどんな場所か、ちゃんと理解したほうがいい」。こうも言った。「我々はもっと製薬会社に近い振る舞いをすべきだ。患者を獲得し、試験を終わらせないといけないんだよ」

 フィッシュバインはインターロイキン2の治験中に、さらに別の厄介な事実に出くわした。アンソニー・ファウチは個人的にインターロイキン2の特許を保有しており、FDAの承認が得られれば、何百万ドルという特許権使用料を受け取れるのだ。
「ファウチ個人が治験中の薬と金銭面で利害関係にあったのです! 彼はインターロイキン2の共同特許権者に名を連ねており、特許権使用料を得る立場にありました!」

  AP通信が入手した当時の記録によると、50人ほどのNIHの研究者が試験に携わった製品から特許権使用料を秘密裏に受け取っていたことがわかっている。

  2004年2月6日、フィッシュバインは研究実行委員会に文書を送り、大幅に遅れている治療薬概要書の改訂版を60日以内に発行し、新たに発見されたリスクに関する警告を追記するよう要請した。フィッシュバインは述懐する。「私は実行委員会に概要書の改定を要請する手紙を送りました。そしてそのとき以来、私は孤立したのです」

 研究規制の遵守のためとは言え、フィッシュバインはNIAIDの越えてはならない一線を越えてしまった。治療薬の承認プロセスを妨害しただけでなく、ファウチが格別に関心を持っているプロジェクトに口を挟んでしまったのだ。

 ファウチ博士の特許権にフィッシュバイン博士が疑義を呈したことで、NIHは防御体制を最高レベルに引き上げた。「あらゆるアラームが発動しました」とフィッシュバインは回想する。

  フィッシュバインはこの後、解雇に対する不服申し立て手続きや訴訟の過程で、水面下の動きのわかるメールや文書を入手する。ファウチ博士は上級管理職らと、 事が露呈した場合、どうすれば研究所長の地位を維持したまま、火の粉が降りかからずにフィッシュバインを解雇できるかを主眼に置いて話し合っていた。

 2004年2月24日、ファウチはケーガンとトラモントと共に、フィッシュバインを処分するための作戦会議を開く。 そして、ファウチの指紋は残らないプランを練り上げる。
 しかし、それは非常に困難だった。関与する者全員が、フィッシュバインを解雇する法的権限を持つのはファウチだけだと知っていた。NIAIDの人事責任者は、ファウチ博士が解雇を承認したとフィッシュバインに告げた。 ファウチ博士は後に、NIHや連邦議会による複数の調査で、自分は解雇を指示していないと抗議している。NIHも、ファウチ博士が解雇を指示したことを否定した。

 フィッシュバイン博士は、この主張は虚偽だと言う。「NIAIDの中で、私を解雇する権限を持っているのは、ファウチ博士だけだったのです」

 2004年2月25日、ケーガンはフィッシュバインを解雇する。 ケーガンはフィッシュバインに、DAIDSを即刻去るように求めた。だが、フィッシュバインは、とどまって解雇処分と戦うことを選択した。

「誰もがファウチを恐れていました」とフィッシュバインは言う。「彼の研究所運営は、完全に悪意に満ちた独裁者のものです。 全所員が彼を怖がっています。 ファウチには絶対に逆らってはいけないと、みんなわかっているのです」

 2004年2月26日、フィッシュバイン博士はNIHの経営評価局(OMA)に赴き、彼に対してなされた行為を訴えた。だが、OMAもまた、調査を拒否した。2004年3月1日、フィッシュバイン博士はHHSの監察官に申し立てたが、監察官も同様に、NIHの調査を拒んだ。その月の終わり、必死の思いでフィッシュバインは内部告発者保護を請求し、 NIAIDの腐敗全般に対する議会調査を求めた。

 連邦議会には、少なくとも、親身になって耳を傾けてくれる人がいた。フィッシュバイン博士は、上院財政委員会議長のチャールズ・E・グラスリー上院議員(共和党・アイオワ州)と、同委員会の有力メンバーであるマックス・ボーカス上院議員(民主党・モンタナ州)に訴えた。彼の解雇はネビラピンとインターロイキン2の治験における悪事を暴いたことに対する報復であると。
 両議員はHHSに、ファウチ博士のNIAIDに対する不正容疑の調査を強く求め、フィッシュバイン博士が提起したテネシー州とウガンダにおける殺人実験、およびNIAID内でのセクシュアルハラスメントと不適切なマネジメントという由々しき問題に回答するよう要請した。
 NIHのザフーニ所長や彼の上司であるHHSのマイケル・リービット長官に宛てた容赦のない一連の書簡で、グラスリーとボーカス両上院議員に加え、アーレン・スペクター上院議員とハーブ・コール上院議員も名を連ね、フィッシュバインの告発に対し行動を起こさなかったNIHを非難した。 メリーランド州選出のベン・カーディン、バーバラ・ミクルスキー、ステニー・ホイヤー各議員も同様の書簡に署名した。

 ファウチ博士とその上司らはこれらの抗議書を無視して取り合わなかった。こうした行為がファウチの圧倒的な力を物語っている。

 2004年5月、議員たちの圧力を受け、NIHは、医学研究所(IOM、2015年に全米医学アカデミーに改称)によるHIVNET012に対する調査に同意する。ⅠOMは、表向きは、科学問題を扱う信頼のおける独立した機関であり、議会へのアドバイザーである。定期的にトップ科学者を招集して委員会を開き、政府機関の科学活動を監視、調査している。仮定として、政府に規制される民間企業は連邦機関に取り入って譲歩してしまうのに対し、IOMは高潔な組織であるとされる。IOMのメンバーは、企業の社員でも政府の職員でもない。議会は、IOMなら信頼に足る情報を提供してくれるだろうと考えた。
 ところが当時すでに、ファウチ博士は見えない糸でⅠOMを操る術を考えついていた。連邦議会の議員たちは、ファウチの不正行為を調査するために召集されたIOMの委員会はファウチの治験責任医師たちが大勢を占めていたことに気づいていなかった。9人のメンバーのうち6人が、年間1万ドルから200万ドルの助成金をNIAIDから受けており、ファウチ博士のための治験を実施していたのだ。

 したがって、ⅠOMによるフィッシュバインの告発に対する調査は、やはりと言うべきか、またひとつ不正な隠匿行為を増やしただけだった。IOMの委員会はあえて調査範囲を極端に限定し、ウガンダとテネシー州におけるNIAIDの凶悪な違法行為を調査対象外とした。2005年5月、医学研究所委員会は、HIVNET012のデータは有効とみなされるべきだとする調査結果を報告する。

 同日、フィッシュバインはトラモントから解雇通告を受け取った。フィッシュバインは自身の内部告発問題を雇用機会均等委員会で弁護し、解雇の自動延期を申請して受理された。議会調査中のトラモントの行為は、NIHに対する両政党の権力者を公然と無視するという態度だった。何としてでもファウチ博士を守り、ファウチ博士を貶めようとする者の口を封じたいHHSの決意が表れていた。

 NIHで秘密裏に行われたネビラピン治験の内部調査では、ファウチ博士とHIVNETに対してフィッシュバイン博士が行った最悪の告発内容が証明されつつあった。

 2004年8月9日、NIH所長ザフーニの上級顧問ルース・キルシュシュタイン博士が、ザフーニに調査結果を報告する。キルシュシュタインは、ファウチ博士がフィッシュバインを解雇しようとしていることは、ごく控え目に言っても「報復措置という印象を受ける」と警告した。 「(ファウチ博士のDAIDSが) 問題の多い組織であることは明らか」で、フィッシュバイン博士の告発は「明らかに、より深刻な問題が存在することを映し出している」とも述べている。

 ザフーニは、この不都合な内部調査結果を口外しなかった。そして、上院に逆らい、2005年7月4日にフィッシュバインを解雇する。解雇通告を受けたフィッシュバインは、国の内部告発法のもと、あらゆる公の報復からの保護を行うメリット制保護委員会 (MSPB)に相談する。 MSPBは、解雇は「不当な報復」だとし、フィッシュバインを復職させる。だが、NIHにフィッシュバインの未来がないのは明白であり、退職に向けた和解交渉が行われた。
 フィッシュバイン博士は名目上の勝利を収めたにもかかわらず、NIAIDを越えてはるか遠くまで及んでいたファウチ博士の影響力に苦しめられ続けた。
「私は公衆衛生の職に5年間就くことができませんでした」と、フィッシュバイン博士はファウチ博士の復讐について語った。「科学に携わる者全員が、彼に盾突くことをひどく恐れています。まるでマフィアの首領です。公衆衛生界のすべての人や物をコントロールしているのです」
 フィッシュバイン博士はこうも言った。「ファウチは莫大な金をばらまいており、彼が復讐に燃えるタイプの人間だとみんな知っています。『ファウチを怒らせる金銭的余裕がないから、リスクを冒して君を雇うことはできないよ』と言ってきた友人がいました。

 フィッシュバイン博士はさらに続ける。「私は社会に貢献したくて民間企業を辞め、NIHに職を得ましたが、あまりに世間知らずでした。政府が解決してくれる、正義が必ず勝つと信じていたのですから。 DAIDSでの経験で、世の中が本当はどう動いているのか、真実を知りました。 連邦予算は、特定の利益集団を太らせる大きな餌桶です。でもそれに気づき口に出してしまえば、非常に大きな権力を持つ人間の機嫌を損ね反撃されてしまいます。 人を抹殺する資源を際限なく持つ政府弁護団が出動するのです。あちら側に真実がなくても、彼らはあらゆる障害物を設置して、抗議の声を上げる公平な機会への道を阻むことができます。裁判になればお金がかかり一文無しになってしまうため、訴訟を起こすこともできません。 被害者を救済する制度になっていないのです。私はファウチを罷免に追いやることはできませんでした。彼はインタビューを受けたり賞をもらったりと、ずっと忙しくしていました。 加害者には何の影響もなかったのです。 彼らは楽しそうに仕事を続けています。私はまたゼロからやり直さなければなりません。 彼らは誰かの人生をめちゃくちゃにしようと思えば、それができてしまうのです」

 ファーバーもまた、打ちひしがれている。 「彼らに逆らえば、その人の存在すべてが叩きのめされます。それまでと同じようには生きてはいけません。自分の価値を完全に否定され、死者のような気持ちにさせられます。彼らは大金をつぎ込んで、私の記事にも一連の攻撃を仕掛けてきました。核兵器並みの破壊力でした。 私の名声や信頼を傷つける彼らのキャンペーンは、今でも私の人生に影響を及ぼしています」

 ファーバーは続ける。「そしてあの戦いの本当の敗者は、ネビラピンを服用させられた数百万人のアフリカの女性や赤ちゃんたちです。エイズを防げず、飲んだ人に病や死をもたらすあの薬を飲まされた人々です」

 活性のないプラセボを服用する対照群を設けないという統計上のからくりは、エイズから新型コロナウイルスに至るまで、数百種の新薬やワクチンの承認を得るためにファウチ博士が行使してきた常套手段なのだろう。

 フィッシュバイン博士の受難のおそらく唯一の成果は、議会とマスコミがインターロイキン2におけるファウチ博士個人の金銭的利害関係に疑問を呈したことだ。それにより、ファウチ博士はこの陰謀から得られた特許権使用料を慈善事業に寄付すると宣言せざるを得なくなったのだ。

 これ以降、HHSは特許権使用料に関する政策を(ほんの少しだけ)変更した。職員への特許権使用料の支払いは、特許1件につき1人あたり年間15万ドルまでに制限された。

  最後に、ファウチ博士のNIH在任期間中はずっと、エゼキエル・エマニュエルが生命倫理学部門の部門長だった。この機関はNIHのすべての倫理を監視する。 副部門長を務めていたのが、トニー・ファウチの妻クリスティン・グレーディだ。
 2012年、グレーディは部門長に就任する。

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