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福島の放射能汚染地区を巡る旅レポート

仙台の実家に帰ったついでに、福島の放射能汚染レベルの変化と復興の進捗、復興予算の使われ方を確認するために、車での帰り道に飯舘村、浪江町を回って来た。


10年前と放射線量を比較すべく、記憶を頼りに、2011、2012年に訪れた場所を目指して走ったが、街の様子が変わっているためか、同じ場所をほとんど見つけられなかった。

まずは飯舘村。

風力発電所が立てられようとしていた。
ソーラーパネルはもちろん何箇所かで見られた。
以前は田んぼに山積みされていた、除染土を詰めた黒いフレコンパックは見当たらなくなっていたが、この白い筒は何だろう?
しばらく行くと、フレコンパック置き場が何箇所かあった。
フレコンパックの近くだが、放射線量は意外に低かった。日本の通常値は0.07μSv程度だ。
草の上は比較的高い。
飯館村はかなり様子が変わっていた。田んぼだったところが区画整理され、コンクリートの水路が作られていた。
目的は何だろう?
飯舘村の中の高汚染地区、長泥。10年前は5μsあったが、ずいぶん下がっていた。
10年前に、私の測定した中で最高値の27μSvを記録した赤宇木地区。
ここも驚くほど低い値になっていた。
人の住む場所の立入禁止区域はほぼなくなっているが、山には立ち入り禁止区域が多くあった。
しかしバリケードの中でもこの程度。


10年前は津島地区が立ち入りのできる最前線だった。つまりかなりの高線量地域だ。

10年前は5Svほどあったが、驚くほど下がっていた。
10年前は、この辺りが入れる限界で、このすぐ先にバリケードがあった。


津島地区に浪江町役場の出張所があり、車が1台停まっていた。入口の前に立つと自動ドアが開いたので恐る恐る入ってみた。

すると日曜にも関わらず職員が1人いて、展示室に入るよう促された。土日も開けているそうだ。

最初の頃の汚染地図。よく見た地図だ。
復興の一環としてこのような取り組みが行われているらしい。

F-REIのサイトはこちら。

職員の方に復興の様子を聞こうとしたら居眠りしていたので諦めた。🤣

様々な工事が至る所で行われていた。
黒いフレコンパックが積んであったので、測ってみた。
上に置くとさすがに少し高くなった。

海沿いの6号線近くに道の駅ができていた!
ちょっとびっくり!ここで昼食を取った。
かなり賑わっていた。常磐道に浪江インターも出来ていて、そこで降りた人が多そうだ。

ナビを見ていたらこのような資料館を見付けたので入ってみた。その名も「東日本大震災・原子力災害伝承館」。

中々充実した展示内容だった。
50億円ほどの国からの復興予算で2020年に完成したそうだ。

この辺りの津波の高さは4メートルほど。
この頃は毎日ニュースに釘付けになっていた。最悪の事態も想定して、そうなったらどう行動すべきか毎日真剣に考えていたのを思い出す。

中で職員の方に話を聞いた。

・とにかく除染を徹底的にやって、放射線量を下げて、人の住める範囲を広げた。

・住民に戻ってきて欲しいが、病院、学校、店などの社会インフラが揃わないと難しいが、社会インフラも住民がいないと難しく、全てが同時に揃う必要があって中々難しいようだ。

・線量の下がり具合に、海外の方は驚いているそうだ。「日本の力は凄い!」と。

受付で復興の足取りを伝える本を買った。

本の表紙。
本の中身。避難区域解除の歴史。

資料も色々もらってきた。

これによれば、「福島イノベーション・コースト構想」と名付けられた国家プロジェクトがあり、震災からの復興を目指し、新たな産業基盤の構築を目指すとのことだ。

6分野ある中の5番目が医療関連であり、その中にアルカリスのmRNA工場誘致がある。

廃炉資料館のパンフレット。


海岸線の様子を見に行ったら、やはり岩手県同様に堤防が作られていた。

堤防の上から見る資料館。

この後は、復興予算がどれくらい投入されて、どのように使われているのかを検証しようと思っている。

巨額の復興予算に多くの企業が群がったので、碌でもない使われ方もされているはずだ。南相馬のmRNA工場のように。

その辺りを検証していきたい。

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