見出し画像

リハビリ文章書き

※この文章は、FANBOXに投稿したものと同じです。

どうも、ステップの誕生です。略してステ誕とでも呼んでください。

30才という人生の節目を目前に控え、身体の衰えを感じる今日この頃です。

それどころか、思考力の低下を著しく実感しています。考えがまとまらない、言いたい言葉が出てこない。

なので、頭の体操として、頭のリハビリとして、思考力のトレーニングとして、文章を書くことにしました。1人で孤独に、誰にも見せないことが前提の文章ではやる気が出ないので、この文章をネットに公開することでモチベーションに繋げようと思います。

とは言っても、この文章を読む人は僕のことをエロいイラストを描く人間と認識しているだろうから、こんなエロくもなんともない文章を急に公開されても困惑すると思います。なので、別に読まなくても良いです。興味を持ってくれた人が読んでくれれば、それで幸いです。いや、別に幸いでもないです。興味を持ってくれたんだー、と、漠然と思うだけです。僕はあまり、幸せを感じるタイプの人間ではないので...。


今僕は居酒屋にいます。酒を飲んで、酔っ払っています。僕はお酒に弱いので、2、3杯飲めばベロベロです。そんな状態だからこそ、何か発信せずにはいられなくなって、この文章を書いています。

実は今日、手コキ風俗に行きました。指名したのは、僕の好みど真ん中のめちゃくちゃ可愛い女の子です。今回は2回目の指名です。

正直言って、その女の子にマジで惚れています。正直言って、僕の中の「美」の完成系だと思っています。

そして、それと同時に、「こんな形で出会いたくなかった。」と思っています。彼女が幼馴染の女の子だったら...、高校のクラスメイトだったら...、同じバイトで働く女の子だったら...、と。

そうだったら、普通に恋愛できたと思います。できないかもしれないけど。でも可能性はゼロじゃないですよね?

ただ、風俗で出会ってしまったら、恋愛感情は虚しいだけじゃないですか。向こうは仕事で会うだけの関係という認識。もしかしたら彼氏がいるかもしれない。ホストに貢ぐために働いているのかもしれない。日常的に、他の男に性的奉仕をしている...。そんな事実、耐えられますか?本気で美しいと思った女性が、そんな生き方を選択しているとしたら...。そんな境遇、認められますか?


僕の本音は、彼女にはそんな職業を選択せずに、清らかに汚れのない人生を生きて、幸せになって欲しかった。でも他人の人生に口出しなんて、学校の先生でもあるまいし僕にはできるはずもない。なにより、彼女はもう「それ」を選択してしまった。その無力感が、いや、その「無力である」という事実が、何より悲しい。彼女には、彼女にだけは、世界が滅んでも幸せになって欲しい。そう思う自分は狂っているのだろうか?ハッキリしているのは、今かなり酔いが回っているということだ。梅酒ロック。もう一杯飲めば文章は更に更に続くだろう。頼むかどうか迷う。



そんな彼女に首ったけの僕ですが、至極冷静な部分も持っています。

日本の人口は約1億人。その中で女性は約半分、五千万人といったところでしょうか。

それは五千万通りの顔が存在するということを意味します。僕が今まで出会ってきた女性は、せいぜい100数十人と言ったところでしょうか。日本に存在する女性の総数から考えると、その割合は僅か数%。そんな確率で出会った女性を、僕はまるで女神のように崇めている。

ということは、世の中には僕がマジで惚れてしまうような美女が、腐るほどいるんじゃないでしょうか?そう考えると、今日指名したあの女性も、僕が考えている程特別な存在ではないのではないでしょうか?


この事実をどう捉えるか。世の中には自分の好みど真ん中の女の子が、自分が思っているより遥かに多い人数存在するという事実を。

これは福音なのか?絶望なのか。

今のところ、その数多存在する女性を、誰1人「自分のモノ」とすることができていない現時点の自分は、絶望的な地点に立っていると感じます。これを絶望とするのはやや大袈裟でしょうか?しかし有性生殖をする生き物として生まれたからには、これはシリアスな問題だと思いますよ。


書き始めたら思ったよりスラスラと文章が進んでしまいました。僕はやはり文章をを書くのが好きなようです。読む人にとって読みやすいか、面白いかどうかは分かりませんが、少なくとも僕は文章を書くのが好きだ。

その割に読書をしないので、語彙はとてつもなく貧弱です。

難しい言い回し、慣用句、熟語。様々に操って文章を書いてみたいとは思いますが、なにぶん他人が書いた文章を読むのが苦手なので、ボキャブラリーは増えずに横ばいのままです。


今回はテーマを決めずに書き始めたので、思いもよらずに風俗体験の話をしてしまいました。本当は、ネット文化に対する僕の思いを書こうとして、書き始めたのです。どうですか?意外でしょう。

なので、ここからはネット文化に関して書き始めます。


僕は小学校高学年の頃からネット文化に触れ始めました。丁度Flash動画の全盛期で、恋のマイアヒとか、ラーメンズの「千葉、滋賀、佐賀!」とかを夢中になってみていました。

あの頃のネットといえば、「非リア充の巣窟」「ネットに個人情報を晒してはいけない」という思想が常識として流れていました。

しかし時代は流れ、今は令和。インターネットは180度変化してしまいました。

あらゆる人がネットを使用し、リア充、今風に言えば陽キャの人達も当たり前にネットを使うようになりました。マッチングアプリの興隆により、ネットで個人情報を明らかにするのも当たり前の行為になりました。

僕は、非常に居心地が悪い。そんな今のネットの世界が非常に居心地が悪いです。

インターネットは、現実に居場所がない人間が、唯一平等に発言権が得られる場所ではなかったのか?ブサイクでも、オッサンでも、チビでも、オタクでも、非リアでも、陰キャでも、コミュ障でも、クソガキでも、なんの才能も持たない凡人以下の存在でも…

誰でも「匿名」という傘の下、平等に発言できる場所ではなかったのか...。


今はインターネットをやるのにも「資格」が要る時代だ。

ネットも公共の場で、マナーや倫理が求められる。匿名で誹謗中傷するなんて、最低の行為である。そんな素晴らしい倫理観の向上が、向上の精神が、ネットの世界にも見られるようになった。これは、居心地が悪い。僕のような、現実世界からの逃避をネットに求めていた人種からすると、非常に居心地が悪い。


しかしそれも、致し方のないことだと思う。多くの人がネットをやるようになって、当たり前のようにネットを覗くようになって、匿名の言葉が現実世界の人間に届くようになってしまったからだ。

僕の中では、ネットの罵詈雑言は、現実を生きる人間には届かない言葉であった。なぜなら、リアルが充実していたらネットを見ている暇なんて無いはずだから...。


今は匿名で、Twitterのダイレクトメッセージで誹謗中傷をする人間がいるらしい。僕からすると、そんな行為をする感性が信じられない。なぜ直接誹謗中傷をするのだろうか。ネットの良いところは、誰にも届かない言葉を発信できることなんじゃないのか?僕は、僕の言葉を誰にも届けたくない。できれば届けたくない。この文章をネットに公開している時点でその主張は矛盾していると思われるかもしれないが、それでも思い続けている。こんな文章、誰にも届いてほしくない。でも、もしかしたら...。


この思いは僕が今日指名した女の子に対する思いと同じかもしれない。数多いる日本人の中で、奇跡的に出会った「これだ!」と思える人物。

僕はこの文章をそんな人に届けたい。これだ!貴方だ!貴方に届けたかったんだ!


数打ちゃ当たると言う言葉がある。

要は、回数をこなさなけりゃ成功は得られないと言うことだ。

僕は本当は文章を人に届けたくないけど、もしかしたら届いて欲しいある特定の人物に届くのかもしれない。

そんな思いを胸に、今回はこの駄文を締めくくりたいと思います。

ここまで読んでくれた貴方、どうもありがとう。


ありがとうオリゴ糖。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?